語学の勉強は、それがいかなる言語であっても勉強すべき要素は大きく分けて6つ。聞く、読む、書く、話す、文法、そして発音です。文法と発音は読み、書き、聞く、話すの4技能に統合されるという考え方もありますが、発音は語学において覚えるべき要素の1つである事に間違いはないでしょう。でも今回の僕のこの記事では、発音の上達の仕方についてはそこまで詳しく述べず、別の切り口から話を進めていきたいと思います。理由は後述。

 

まず、どうやったら勉強している発音が上手くなるかですが、これはぶっちゃけ「モノマネ」がどれだけ上手にできるかの一言につきると思います。もちろん理論で発音の学習をある程度サポートできなくはないです。例えばThの音は上の歯に舌を当てて、その舌と歯の間から空気を出すんですよ~とか、Vの音は上の歯を下唇に当てて、その間から音を出すんですよ~とか、そんな感じです。でも、これにも限界があると思うのですね。

 

いくら理論で「○○の音を出す時は口のどこどこの部分が△△の形になっている」と説明して、学習者がそれを頭では理解できたとしても、実際に正しい音が発せられなければ意味がないからです。だから最終的には聞いた音をどれだけ忠実にモノマネで再現できるかという事になってきます。できたらいい発音になるし、できなければ違和感のある発音になる。それだけの単純な話です。

 

僕は英語の先生になる前に一応アメリカのTEFL(Teaching English as a Foreign Language)で英語教授法の理論を勉強したのですが、そこで勉強した内容によると、発音は語学の要素の中で唯一臨界期(この時期を逃すとスキルの習得が十分にできなくなるという時期)の存在が確認されている要素だと言われているそうです。

 

そういえば以前の記事で紹介したTED Talkのパトリシア・クール教授の話だと、むしろリスニングに臨界期があるという風に言われていましたが、このTEFLのコースの先生の話ではリスニングは確かに若い子に比べると上達スピードは明らかに遅いが、勉強次第では大人になってからでも新しい言語でネイティブ並みのリスニング力まで押し上げる事が可能であるという事になってました。人によってちょっと話の内容が食い違ってるようにも思えますね。

 

語学習得の臨界期というテーマについては、物理や数学の分野ほど答えがはっきりとわかりやすいものになっておらず、まだ完璧な結論には至らず諸説あるといった所なのでしょうかね。んで、そのTEFLの先生によると、発音に関してはどうやら13歳を過ぎたあたりがネイティブ並みの発音習得の臨界期であり、この時期を過ぎてから学習を始めた言語に関しては、ネイティブの発音を身につけるのはほぼ不可能に近いのだそうです。

 

ただネイティブの発音になるのが極めて難しいとはいえ、だからといって発音の練習が全くの無意味というわけでもなく、ネイティブスピーカーから見てもそれほど気にならないぐらいまで訛りを落とす事は、一応年を取ってからでもある程度は可能だそうです。

 

語学において発音というのは、できる人とできない人の差がもっともわかりやすい要素かもしれません。その人が喋っているのを数秒も聞けば、発音の良し悪しはすぐにわかってしまうのですから。だからなのか、それともアメリカ人の「アメリカ英語」の発音に憧れているからなのか、日本人(あと韓国人も)は発音を気にしすぎる人が多いように思います。

 

英語を勉強している日本人の中には「自然な発音で英語を喋れるようになりたい。だからアメリカに来たんだ」という人がいたり、英語教材や英語のスクールにも、「これであなたの発音がドンドン良くなる!」といった謳い文句が踊っていたりします。でも、ちょっと考えてみて欲しいのですが、発音っていうのはあくまで語学の力を伸ばすいろいろな要素の1つにすぎません。仮に発音が完璧にネイティブ並みになったとしても、文法もロクに身についておらず、ボキャブラリーも貧弱で、リーディング力もリスニング力もないし、まともな長さの文章を書く力もなかったら、はっきりいってそんな「良い発音」はほぼ何の役にも立ちません。

 

実際、僕はまだフィンランドの勉強を始めて間もなかった頃、丸暗記しておいたフィンランド語のテンプレ台詞を披露したら、フィンランド語の発音がネイティブスピーカー並みに自然で上手だとフィンランド人からビックリされた事があります。でも、僕はフィンランド語の文法は少ししか知らなかったし、使えるボキャブラリーもかなり限られていました。よってフィンランド人相手にフィンランド語のみで会話など成り立ったものではありませんでした。すぐ前にも書きましたが、このようにただ発音がいいだけでは何の役にも立たんのです。

 

にもかかわらず、「ネイティブの発音」を身につける事が何よりも大事だとお考えの方はなかなかたくさんいらっしゃるようでございまして、中学校や高校に「ウチの子のクラスを担当している英語の先生は発音が悪い。ネイティブ並みに発音がいい英語の先生に交代させてください」という苦情を入れる親もいるという話を聞いたり読んだりした事があります。アメリカをはじめとする英語圏の語学学校でも、先生がネイティブスピーカーではなくて韓国人だったからネイティブスピーカーの先生に替えてくれと苦情を出す韓国人の生徒がいたという話を、アメリカにいた頃TEFLコースの授業中に聞いた事があります。

 

ちなみにこの韓国人の英語の先生はアメリカに長年住んでおり、他のネイティブスピーカーの先生同様、英語教授法の修士号を大学院でとった人です。韓国語訛りはほんの少し残ってはいるがそんなに気になるほどでもないというぐらいで、英語自体はかなり流暢だそうです。それでも韓国人の生徒はネイティブの先生ではなかった事が不満だったのだそうな。

 

また、こういう人たちはどういうわけか、アメリカ英語の発音でなければ「正しい」発音だと認められないらしく、例えばオーストラリアやニュージーランドに行く人に対して「変な訛った英語が身についちゃうんじゃないの」とか言ったりします。でもそもそも英語の元祖はイギリスなんだから、オーストラリアやニュージーランドの英語が訛ってると言うのなら、アメリカ英語だって「訛り英語」じゃないのかって気もするのは僕だけでしょうか。

 

実際には、国際的にはこれらの英語圏の国々の英語の発音の違いは「訛り」や「間違い」ではなく、単なる「違い」として認識されており、どれも平等に正しいという位置づけになっております。その証拠にTOEICとかの英語テストでも、登場人物の英語の発音はアメリカ式だったりイギリス式だったりオーストラリア式だったりと、一種類だけではなく複数種類の発音でリスニングセクションが進むではありませんか。

 

もっと言ってしまえば、これら英語のネイティブの国々以外で話されているいわゆる「もっと訛った英語」も、国際社会では当たり前のように通用しております。インド人の英語は独特の訛りだし、アラビア語訛りとかもけっこうキツイです。他にもアジア系の連中だって、みんなそれぞれのお国の言葉の訛りが入ったままの英語を平然と喋っているではありませんか。中国人は中国語訛り、ベトナム人はベトナム語訛り、フランス人はフランス語訛り、タイ人はタイ語訛り、ロシア人はロシア語訛り、その他色々。

 

オーストラリアにいた時も、香港人などのチャイニーズ系で「なんで日本人はあんな『カタカナな』英語しか喋れないんだ。聞き取りづらくてしょうがないんだよね」とか言ってる奴を見かけましたが、そういうあんたらのチャイニーズ訛りの方がよっぽどわかんねーんだよって気もします。

 

そんな中で、何故日本人だけが多少日本語訛りの入った英語をそこまで恥ずかしいと思う必要があるのか、不思議だとは思いませんか。これが今回の記事が「いかに発音をネイティブ並みによくするか」という事には焦点をあてていない理由です。

 

だから、発音に関しては「訛りが強すぎて伝わらない」という状況が回避されていれば、ネイティブらしい発音になる事に固執して発音にエネルギーを割きすぎるのもどうなのかな~と個人的には思ったりもしています。もちろん発音が良ければそれに越したことはありませんから、練習できる時にできる分だけしておけばいいとは思いますが。。。

 

《ポイントまとめ》

・発音が上達するかどうかの重要なカギはモノマネである

・ネイティブ並みの発音の習得には臨界期があると言われているが、年を取ってからでも努力によってある程度は訛りを落とす事は可能である

・ただし発音だけが良くなったところで、リーディングもリスニングもスピーキングもライティングも文法もバランスよく伸ばさなければ、ほとんど何も役に立たない

・世界の英語のノンネイティブたちは訛りなど気にせずにそのまま訛ったままの英語を喋っている人たちばかりである

・よって日本人だけが日本語訛りの英語だとバカにされるのはおかしいし、日本人も別に英語に日本語訛りが残っていても恥じる必要はない