月日は流れ、3月の中旬を過ぎたあたりだったか、マットが僕にこう話しかけてきた。

 

マット:「グッドニュースとバッドニュースだ。君の今働いているファームなんだけど、どうやら3~4週間よりずっと長く続きそうだね。それで、バッドニュースの方なんだけど、今度日本人の女の子3人が入ってくる事になったんだ。女子部屋が今空いてないけど、あまり彼女たちをバラけさせて男女ごちゃ混ぜにもしないほうがいいだろうし、悪いけど君に別の男子部屋に移動してもらって、今君がいるこの部屋にこの3人を入れるって形にしてもいいかな?」

 

このホステルで僕が最初に入った部屋での日本人のルームメイトSさんは既にレンマークを出ており、この頃この3人部屋には僕しかいなかった。僕一人が他の部屋に移動すれば今度くる日本人3人がスムーズに入れるから、それに協力してくれないか、という事だった。特にこの部屋がいいとかこだわりのなかった僕は二つ返事でOKし、新しい部屋に移動した。その部屋は4人部屋で、今度新しく入る僕を含めて3人になる。

 

僕の新しいルームメイトとなる2人のうち1人は、サムというイングリッシュネームの台湾人。サムはもう既に1年以上レンマークでファームの仕事を続けていて、時給のいい仕事で稼いでお金を貯めては、たまに休みを取ってアデレードやメルボルンなどのシティに旅行に行って遊んでくるのだという。サム曰く、シティよりも田舎なエリアを狙った方が労働条件のいい仕事が見つかりやすく仕事をして稼ぐ分にはこっちの方がいいから、台湾を出た時点で即レンマークに直行したのだそうだ。シティはあくまでたまに遊びに行く場所で、こういったエリアで働く事はあまり考えていないらしい。サムは人柄がよくて話しやすいキャラで、部屋の掃除や食器の片づけとかもしっかりする。ルームメイトとして申し分ない人間だ。

 

もう1人のルームメイトはオランダ人なのだが、こいつはけっこうな曲者であった。この男、清潔感のかけらもないのだ。部屋の床にはこいつのドロドロに汚れた服が散乱し、コイツ自身も臭いどういうシャワーの浴び方をしているのか知らないが、ベッドで横になっている時とかも、コイツも部屋に入ってきてベッドに横になった途端になんだか匂うのだ。最初はコイツがオナラでもしたのかと思ったが、普通のオナラと違って匂いが時間とともに消えていかない。いつまでも残るのだ。そして、このミスター悪臭には衛生面での常識もない土日になると、サムが掃除機を持ってきて部屋の掃除をするのだが、コイツは協力しようとする気が見られない。サムに言われてしぶしぶ邪魔な服をダラダラとどけるぐらいの事はするのだが、基本掃除はサムの掃除機と僕の小さいほうきとちりとりだ。だがあるタイミングで、どういうわけかこのミスター悪臭がキッチンに向かい、そこの皿洗い用のスポンジを持ってきたと思いきや、そのスポンジでベッドの下の床をゴシゴシとこすり、またそのスポンジを元の場所に戻したのだ。バカヤロー!どういう神経してんだ?床こすったスポンジで皿洗えってか?この後僕がすぐにスーパーに行って自分専用のスポンジを買ったのは言うまでもない。

 

同じ様な時期のある日、僕がキッチンにいるとドイツ人の女の子に話しかけられた。「ねぇ、これ誰の仕業かわかる?」と言いながら彼女が指差したのは、台所のそこら中に散乱した洗われていない食器や調理器具の数々フライパンに至っては、あまりに錆び方が酷くて「こんなフライパンで料理できるか!」状態なものもある。

 

ドイツ人の女の子:「私たち、こんな状況もううんざり。あなたは必ず毎回使った調理器具や食器をすぐに洗ってるからいいけど、他の皆はちゃんと洗ってるわけじゃないから、気が付くとこの汚い食器の山になってるんだよね。具体的に誰がやってるかわかれば、そいつに直接注意できるんだけど…。」

 

この子を含めてドイツ人は女の子2人と男の子2人の計4人。このドイツ勢はちゃんと食器を洗って片づけるのだが、他のヨーロッパ勢はそのような様子が見られない。このヨーロッパ勢が来る前も洗われていない食器は多少目についていたので、アジア勢にもちゃんと片づけをしない奴がいるという事だが、ヨーロッパ勢が来てからこの傾向がさらに酷くなったのだ。この女の子は「近々ミーティングを開く」と言っており、どうやらそれは実際に開かれたようで、そこから数日はその効果があったらしくキッチンは綺麗な状態になっていたのだが、そこからさらに数日経つとまた元の汚いキッチンに戻ってしまい、残念ながらあまり長期的には効果がなかった。

 

そして、このキッチンがカオスなのはみんなが料理をした直後の夜だけではない。朝は朝で別のカオスが待っているのだ。いつも平日の仕事のある朝は僕が一番早起きで、キッチンに一番のりで来るのだが、そこで毎日目にするのが食器の水切りラックにテンコ盛りになった食器や調理器具の山だ。それはまさにバランスゲームのブロックの如しで、どれか1つ間違った場所の食器を1つ動かしただけで山が全部ドンガラガッシャーンと崩れてきそうな感じである。決して大きくはない食器ラックに、これでもかとばかりに食器が積み上げられているのでそれも当然で、これだけ狭いスペースに食器や調理器具が密集しているので、水切りもできずにいつまでたっても乾かない。この食器ラックからわずか50cm~1mぐらいの距離に、おたまやフライパン等の調理器具を引っかけたり置いておくスペースが十分に確保されているというのに、そこをガラ空きにしてわざわざこの狭いスペースに食器と調理器具をギュンギュンに詰め込むのだ。絶対おかしいだろ、この積み上げ方。

 

そんな日々を過ごしているうちに、マットが言っていた日本人3人が実際にやってきた。AさんとMさん、それからH君の3人。あれ?女の子3人とか言ってたのに、1人男(H君)が混じっているではないか。どうやったらこれを「女3人が来る」と間違えるのか謎だこの3人は僕の時と違い、なかなか仕事が見つかりやすいタイミングに来たようで、到着したその翌日とかには既に仕事をもらって出勤していた。ところがそれがハズレファームだったようで、全くと言っていいほど稼げず尚且つボスの人柄も悪いというロクでもない所だったそうだ。確か3人の話によるとここのボスはトルコ人で、与えられた仕事はフルーツピッキングの仕事なのだが、カゴが文字通り寸分の隙間もできないほどフルーツでいっぱいにならないと1箱終わらせたとカウントしてくれないらしく、要求は厳しいらしい。それだけならばそんなに大した事がないのだが、こういった口うるさい事はアジア人のピッカーにばかり言ってくるのだそうだ。そして同じ職場で彼女たちアジア系と全く同じピッキングの仕事をしているヨーロッパ系の白人の女の子とかにはあからさまに優しいらしい。要するに、人種によって差別的な扱いをされるような場所だという事だ。

 

トルコ人をアジア人としてカウントするのかどうかはとりあえずおいといて、アジア人の中にはこういった白人をひいきする奴が少なからずいるアジア人の大半がそうなのだとまで言うつもりはないが、こういう白人崇拝者たちは単なる例外として片づけていいような少なさではないように思える。僕が以前メルボルンで働いていた時のカフェも、基本的に同僚は良い人たちが多かったのだが、やはりアジア人の中には白人崇拝で他のアジア人に嫌味な態度を取る奴がいたりした。キッチンスタッフにはネパール人が3人いて、そのうちの2人は親切で、人によって態度を変えたりしない良い人だったのだが、もう1人は僕に対する態度と白人のフランス人の男の子のキッチンハンドに対する態度がまるで違っていたコイツの英語はネパール語訛りが非常に強くて何言ってるのかわからないから、僕は聞きなおす事がよくあったのだが、一言言い直せばいいだけなのに敢えてそれをせず、明らかにイラついた表情で僕を睨み、嫌味を言ってきたりするのだ。その一方で、僕と比べて明らかに英語のできないそのフランス人のアントニオやマットが指示がわからない時は別人のようにフレンドリーな表情と声のトーンで懇切丁寧に教える。しかも仕事以外の会話でも、白人にはメチャクチャ積極的に「もうメルボルン離れちゃうのぉ~?また俺に会いに戻ってきてよぉ!友達だろ?^^」などと自分からドンドン話しかける。新しく来た日本人3人からトルコ人のボスの話を聞いて、この公平性に欠けたネパール人の事を思い出したのだった。

 

新しく来た日本人3人はこのトルコ人のファームは比較的すぐ辞め、別の仕事を少し待ち、AさんとMさんは2人セットで同じ仕事がもらえたのだが、H君には別の仕事が入った。どこかと思えば僕がこのホステルに来たばかりの時の部屋のルームメイトだった日本人男性Sさんが働いていた、例のベトナム人経営のファームだった。案の定H君から聞いた話でも、労働者に対する態度は悪く、1日十数時間もロクに休憩も取らせずにぶっ続けで仕事をさせたり、給料の未払いが何週間も続いたりと、話を聞く以上はこのエリアを代表するロクデナシファームの1つと言ってもいいほどのダメっぷりかもしれない。

 

そういえばこのベトナム人経営のファームで働くバックパッカーは基本アジア系ばかりなのだが、僕が天国ファームでの仕事を得たのと同じぐらいのタイミングでドイツ人のルーカスもこのファームで働き始める事になったって話を聞いていたな。で、その時ルーカスに「最近ベトナム人のファームで働き始めたんだって?そのベトナム人のボスはどぉ?」と聞いたら、「うん、面倒見が良くて、仕事も優しく丁寧に教えてくれる良い人だよ^^と答えたのだ。

 

やっぱりか~い!アジア系のダメボスはどいつもこいつも!白人が相手の時だけは紳士になりやがって直接会った事はないけどなんかすげームカついてきたぞ、このベトナム人のオッサン。

 

僕の個人的な経験から言うと、ヨーロッパ系の人間に肌の色だとかの見た目が原因で差別的な態度を取られた覚えはないが、アジア系の人間が白人には超優しいのに他のアジア人に冷淡な態度を取るというのは実際に経験したり話を聞いたりする事が比較的よくあった気がする。白人ばかりがチヤホヤされるのを見るとついついそのチヤホヤされている白人たちを責めてしまいそうになってしまうかもしれないが、ここで問題なのは白人たちではなく、無意識レベルで白人とアジア人に優劣の差をつけているアジア人たちの精神構造なのだ。白人を崇拝するあまり、白人と一緒にいられる事に優越感を覚え、同じ場にいるアジア人たちを知らず知らずの内に見下しているのだろう。恐らくこういったアジア人たちは自分たちが差別をしている自覚すらないと思われる。日本でも見かけるよね、白人だけにはやたら優しい日本人他にもオーストラリアにいる日本人でも、「アジア系の彼氏/彼女なんかができても自慢にならない」とかいう愚にもつかん理由でアジア系の人からのアプローチを冷たくあしらう奴とか。

 

ルーカスに「そっかぁ。まぁ、こういう事は言いづらいんだけど、実はね、他のアジア人たちは君のように親切に教えてもらえずに毎日罵倒されているんだもちろん君に落ち度があるわけでは全くなくて、むしろこういう差別をするあのベトナム人経営者の意識の問題なんだけど、裏ではこういう現実が存在するという事も知って欲しいんだ」と言うと、彼は素直に「そんな事があったなんて…。でも良い勉強になったよ。教えてくれてありがとう」と、自分が今まで知らなかった裏で起こっている事実を受け止めてくれた。

 

こういう事があると、ああ俺も白人に生まれてれば人生どんなにもっと楽できただろうとたまにチラッと思ったりする事もあるが、そんな事を考えていた所でアジア人に生まれてしまった事実は変えられないアジア人であるが故に、白人が経験しないような差別やその他の困難に直面する事も何度もあるだろう。だが人生というものは、ちょっとぐらいはウザったい障害物があった方が面白いのかもしれない。差別をしてくる、ペットボトルのキャップほどしかない小さい器しか持ち合わせていない連中を鼻歌交じりに軽くあしらえるようになってこそ、人生の荒波を乗り越えて大成できるというものよ。(でもやっぱり、困難に直面するのはあくまでちょっとだけね。たくさんは断る。)

 

これぞ朝のカオス。