以前にも少し書いたように、僕はこの年の始めに大学の無料オンラインコースで勉強を始めていた。取っていたコースはカリフォルニア大学サンディエゴ校の“Learning How to Learn”と、ルンド大学の”European Business Law”の2つだ。僕が滞在している所はネットが繋がらなくて、どうしてもネットを使いたい場合は携帯の月々の限られたデータ容量内でやりくりするしかない。図書館のネットも使える時間が限られているので、やはり十分なインターネット使用時間を確保する事はできず、ルンド大学の方のクラスはついていくのが難しそうだと判断し、早々に諦めてドロップアウトする事にした。

 

一方で、もう片方のカリフォルニア大学サンディエゴ校の方は内容がそれほど難しくなく、課題もEuropean Business Lawと比べて時間がかからないし、尚且つコース全体で見ても4週間と短めのコースだ。(ドロップアウトした方のは10週間)こちらに絞って勉強していた甲斐もあって、このコースでは自分はなかなか良くできていたと思う。

 

プラムの箱詰め作業の雇用期間が終わり、次の仕事を待っている間はけっこう暇だったのだが、2月3日(火)はこのオンラインコースのファイナルプロジェクトの成績が発表される日だった。自分としては手ごたえはそこそこあったつもりだったのだが、結果は予想をはるかに上回るもので15点満点中15出されていた課題はビデオ講義で取り上げられた「効率の良い学び方に関する理論や、学びのテクニック」について自分がどれだけ理解しているかを示すためのプレゼンテーション資料を作成する事で、「自分がビデオ講義の内容をしっかり理解した」事を示す事ができるものであればどんな形態のものでもかまわない。

 

その採点基準には「出された指示に忠実に従って課題をこなせていたか(例えばファイナルプロジェクトの内容に、少なくとも授業で取り扱ったこのトピックとこのトピックを盛り込んでおく事)」とか、「このファイナルプロジェクトの内容は実生活の学びにおいても応用が利くものであるか」とか、「文章の全体の流れはスムーズで一貫性があるか」など5つあり、各項目0点~3点の4段階評価であるため、5つの項目を合計すると、その評価は0点から15点の16段階評価となる。

 

ちなみに採点はコースを受講している生徒同士で行うPeer Gradingと呼ばれる方式を採用している。ランダムに選ばれた誰かの課題を、匿名で採点し、自分の課題はまた他の誰かに匿名で採点されるのだ。採点をする際には「この項目に関してはこういう基準が満たされていたらこれだけの点数をあげてください」という採点マニュアルが渡されてはいるものの、「迷った時は高めの点数をつけるようにしてあげてください」という指示もあったため、基本的に採点は甘くなる。ふと思ったのだが、これってもしかして、採点が甘いが故に実はほぼみんなが満点だったなんていうオチだったりして(笑) 自分以外の生徒の成績は見られないから確かめようがないが。

 

さて、今回の課題で用意されていた「学びに関するトピック」から僕が選んだのは、「記憶」と「テスト」と「知識の移転」の3つだ。この3つを全てカバーするように、オンライン記事を書くという設定で課題に取り組む事にした。記事のタイトルは「外国語を学ぶにあたって気を付けるべき3つの事」で、それを自分が感じた日本における英語教育の問題点と照らし合わせて書いた。

 

以下が実際にこのオンラインコースで提出した僕の模擬オンライン記事の英文を日本語に直したものだ。もちろんこれは僕の個人的な見解を基に書いているものなので、物理学などにおける新発見とかのように科学的に証明されたものではないが、あくまで僕はこの問題に関してこういう意見を持っていてこういう記事を書きましたというだけの事なので、興味があれば少し時間をとって読んでいただければと思います。

 

ちなみに、実際のオンラインコースで提出したオリジナルの英文もあるのですが、長くなるので別の記事で載せます。

 

[外国語を学ぶにあたって気を付けるべき3つの事]

多くの国では、ほとんどの人が外国語を勉強するという経験を学校でするが、その勉強してきた言語を上手に使いこなせるまでには上達しない場合が多い。いくつかの国では、学校での外国語教育における問題は非常に深刻なものである。その原因は、学びの過程において非常に重要ないくつかの要素を見落としたまま勉強をしている事にあるのではないだろうか。日本人であるという自身の立場から、日本における英語教育の問題点を指摘しながら、外国語を学ぶにあたって気を付けるべき3つの事について話を進めたいと思う。なお、ここで話すのは日本の英語教育における問題点だが、同じような点は他国にも当てはまるものかもしれないし、この記事の内容自体は、これから外国語を勉強しようという人、または既にしている人に取っても役立つものになると考えている。

 

1. 記憶

<問題点>

日本の英語教育における問題点の1つは、学んだ内容が生徒の脳の長期記憶に入る事があまりないという事だ。カリキュラムや定期テストのスケジュールの組み方からして、生徒たちの勉強の目的はテストで点を取る事になってしまっており、勉強方法も短期間で知識を詰め込むだけのものになってしまいがちで、いったんテストが終わったら勉強した事を忘れてしまうのだ。同じ文法項目や語彙を身につくまで繰り返し勉強するのではなく、すぐ次の項目に移ってしまう。繰り返したとしても、その場で3~5回繰り返して声に出して読む程度で、後日それ以上同じ語彙や文法項目を繰り返す事はあまりない。そして授業の内容がわからない生徒がいたとしても、その子のためによくわからなかったポイントに戻って補足説明をしてあげるだけの時間的余裕は十分になく、授業はどんどん先に進んでしまい、わからない子はさらにわからなくなってしまうのだ。また、記憶というものは、勉強したものを実際に使う事によって強化されるものなのだが、生徒たちは学習した内容を自分自身で使うための機会が十分に与えられない場合が多い。そのため、せっかく覚えた文法や語彙も、時間とともに蒸発してしまうのだ。日本の英語の教材は、取り扱っている文法項目や語彙自体は特別不足しているわけではないし、生徒たちも実際にそこからインプットを得ているのではあるが、ほとんどの生徒は実践的な状況設定で英語をすぐに使えるようにするための神経回路を脳内に構築できないままで終わってしまうのである。

 

<何をすべきか>

新しい文法項目や単語を覚えるのには時間を要するため、長いスパンで覚えるという前提で学習する必要がある。生徒が勉強した新しい事柄を忘れかけるあるいは忘れた直後のタイミングで復習すれば、記憶の定着率は高くなるだろう。また、復習をする時は、復習の回数を重ねる毎に最後に復習をした時と次に復習をする時のインターバルを徐々に長くしていくとよい。加えて、生徒たちが学んだ文法や語彙を実際に使う機会を設けてあげる事も大事だ。学習した新出単語や文法項目を使って生徒オリジナルの文を作らせてみるなどして、覚えた知識を使う経験を積ませてみよう。記憶の強化をする方法はいろいろあるはずである。

 

2.テスト

<問題点>

日本の英語教育は明らかにテスト偏向だと言われており、しばしば批判の対象となっている。ここで注意したいのは、テストが重視されているからといって、必ずしも英語を使いこなすために必要な全ての技能がバランスよくテストされているとは限らないという事だ。ここでいう「必要な全ての技能」とは、リーディング、リスニング、ライティング、スピーキング、文法、発音の6つを指す事とする。日本の英語教育におけるテストのほとんどは筆記試験であり、その中にはできたからといってあまり役に立たないような実用性に乏しい問題も多くある。

 

例えば、

「次の単語'education'で、もっとも強く読まれる所を次の(A)~(D)の中から選びなさい。 (A)ed (B) u (C) ca (D) tion")

「次の下線部の英文を日本語に訳しなさい」

「次の英文は第1文型、第2文型、第3文型、第4文型、第5文型のうちどれに属するか答えなさい」 等がある。

 

さぁ、ここで日本の英語のテストにおける問題点が浮き上がってきた。「英語のテスト」と一口に言っても、先ほど挙げた「必要な技能」の中には、このような筆記試験ではテストされていないものが多く存在するのだ。特に、自分から情報を発信するタイプの技能であるライティングやスピーキングに関しては、全くといっていいほどテストされていない生徒たちはこれらのスキルをテストされていないのだから、このようなアウトプット系のスキルに関しては、そもそも自分に何がどれぐらい足りないのか、どのような勉強をすればいいのかなどを自覚する事すらできないのだ。テストというのは本来、自分には何ができて何ができないのかを診断するものである。英語を使いこなすために必要な複数の技能を万遍なく測る事のできていないテストなど、そもそも英語のテストとしての役割を果たしているのかどうかそのものが疑わしい。

 

<何をすべきか>

テストというのは何も日本で広く行われている典型的な筆記試験の事のみを指すわけではない。どんなものでも「テスト」になりうるのだ。英語で実際に喋るという試みをすれば、それは立派なスピーキングとリスニングのテストとなる。生徒にここ2週間分の日記を英語で書かせれば、それはライティングと文法のテストとして機能する。生徒の理解度を把握する事ができれば、そのアクティビティは「テスト」と呼ぶ事ができるのだ。生徒の理解度を測る「テスト」は、必ずしも定期テストである必要はない大事なのは、英語を使いこなすために必要とされる技能を全て測定する事だ。それなくしては、次に生徒がどんな課題に取り組むべきなのかが診断できないではないか。

 

3. 知識の移転

自分のネイティブ言語が何語であるかは、学習している言語の学習がどれぐらい効率よくいくかに非常に大きな影響を与える。自分の既に知っている言語と勉強している言語が似ていれば似ているほど、その言語を覚えるのはより簡単なものとなる少し例を挙げて考えてみよう。スウェーデン語は文法も語彙も英語と非常に似通っている言語の1つだ。例えば、What shall we do now?(私たちは何をしましょうか?)はスウェーデン語ではVad ska vi göra nu?であり、How long shall we stay here? (私たちはここにどれぐらいいましょうか?)はスウェーデン語でHur länge ska vi stanna här?となる。

こういった類似点のおかげで、スウェーデン人にとっては英語の文法や語彙を覚えるのは大して難しい事ではない。スウェーデンには当たり前のように英語を高いレベルで使いこなせる人がに大勢いるが、こういった事を考慮に入れれば、別に驚くような事でもないのだろう。彼らは既に自分たちの言語スウェーデン語の中で英語の文法の大まかな骨組みを理解しているから、英語の文法の勉強のために多くの時間を費やす必要はないのだ。似たような傾向は、日本語を勉強している日本語のノンネイティブたちにも見られる。例えば、韓国語は日本語と文法も語彙もよく似ているため、一般的に西洋人と比べて韓国人の方が日本語習得には時間がかからない。

 

<問題点>

これはつまり、もし自分のネイティブ言語が自分の勉強している言語と似ても似つかない場合、特に気を付けなければいけない事があるという事を意味する。スウェーデン人の場合は、たとえ英語をスウェーデン語の知識を基に勉強してもそう大した問題にはならないだろう。スウェーデン語訛りがあっても、スウェーデン語の文法を基に英文を組み立てても、英語のネイティブにもちゃんと理解してもらえる可能性は高い。しかし、自分の第一言語が英語とは全然似ていない場合は、事情はガラリと変わる例えば、アジア系の言語の文法を基に英文を組み立てたら、ほぼ理解不能な文章になってしまうだろう。アジア系の言語の訛りで英語を喋れば、それはそもそも英語として認識すらしてもらえないかもしれない。そしてこれこそが、日本の学生が英語を話す時に起こってしまいがちな事なのである。日本語の文法に英単語を当てはめて文章を組み立てようとする生徒もいれば、日本語に存在しない英語の発音を日本語の音に置き換えて発音する生徒もいる。もし自分のネイティブ言語が学習している言語と全く違うのであれば、自分の言語の知識に基づいて勉強をしないように気を付けるのが極めて重要となる。

 

<何をすべきか>

自分の言語と勉強している言語の間に類似性がない場合、勉強している言語を自分の言語に置き換えて考えないようにするのが大事だ。発音を学ぶ際は、聴き慣れない音を自分の言語の音で代用するのではなく、元の音を真似するのだ。フレーズを学ぶ時も、自分の言語と完璧に一致する表現をいちいち探す事はない。その代わりに、その新しく学んだフレーズがどのような状況設定の中で使われているのかに注目する。文法や単語やフレーズは、文脈を通して覚えるものなのだ。

 

学習している言語が自分が既に使いこなせる言語と似通っている場合、その類似性を大いに利用するとよい。例えば、もし既に英語を話せる日本人がスウェーデン語やドイツ語やオランダ語などの英語とよく似た言語を勉強するのであれば、その言語は日本語ではなく英語を使って勉強するとよい。日本語ではなく英語で説明が書かれた教材を使うのだ。逆に、英語を話せる日本人であっても、学習したい言語が韓国語の場合は、英語ではなく日本語で書かれた教材を利用した方がよい。