ホステルの自分の部屋に戻ると、2人のバックパッカーがいた。2人ともフランス人で、それぞれベンとエリックという。エリックは僕と同じくちゃんとコンセントをつなげてWiFiが使える場所を探しているらしく、僕と同じタイミングでアデレードCBD内の図書館に行く事になった。
図書館までの道のりではエリックと喋っていたのだが、フランス人と話していて改めて感じた事があった。これはあくまで僕が今までランダムに接した何人かのフランス人たちを基にできあがった僕のフランス人(あるいはフランス語圏の人間)のイメージなのだが、彼らの多くは英語はあまり流暢に喋れないが、人柄はただフレンドリーなだけでなく謙虚さと礼儀正しさも持っているという事だ。エリックが僕と話していてまず最初に言ってきたのは「あ、僕英語はあまり上手じゃないから、それが原因で上手く話が伝わらなかったらゴメンね^^」という台詞だ。別にこういった謙虚な姿勢で相手に歩み寄ろうとしてきたフランス人はエリックが初めてではなく、むしろ「あ、このフランス人もこういう人なんだ」という印象を受けたのだった。メルボルンのカフェで働いていた時に僕の後輩で入ってきたフランス人の女の子もそうだったし、そのもう少し後で新しく入ってきたフランス人のキッチンハンドの後輩のマットも大体似たような感じだった。そして僕がメルボルンに住んでいた時のアパートに僕が出ていく1~2週間程前に入居してきたニューカレドニア(オーストラリアの近くにあるフランス語圏の島国)の女の子も、むしろオーストラリアで出会った他の日本人のワーホリの人たちよりも謙虚さがあった印象だった。そういえば僕がカフェで仕事をし始めたばかりの頃に特にお世話になった同い年の上司のペイヴァン(アフリカの国モーリシャス出身でネイティブ言語はフランス語)も、職場での立場上は完全に僕よりも圧倒的に上なのにも関わらず、いつも謙虚な態度だった。
フランス語圏以外の人間でも、同じく英語が通じにくい人間は今まで何人も見てきたのだが、その中には「何でお前は俺の英語が通じないんだ」と逆ギレするような態度を取ったりしてくる奴がチラホラ見受けられた。そしてそういう連中は相手の反応が自分の思い通りにならない場合は落ち度は相手側にあるというような前提で話を進めようとする。非常に上から目線なヤツらだ。
実はこういった傾向は、僕が以前までなんとな~く持っていたフランス人に対する偏見そのものだった。別に「フランス人とはそういう偉そうな態度の連中だ」と強く信じ込んでいたほどではないが、噂話のレベルで「フランス人はプライドが高いから英語は喋れるけど喋ろうとしない」とか、「フランス人は横柄で常に自分たちが世界一だと思っている」だとかいうような話を人から聞いたりネット上とかで読んだりした事があったため、少なくとも「あぁ、フランス人とはそういう評判を持っている人たちなのだな」というぐらいの認識はしていた。ところが、実際に会ってみたフランス人やフランス語圏の人たちはことごとくその評判が外れているのだった。唯一当たっているかなと思えるのは「英語を喋る人があまりいない」という部分だが、それとて「プライドが高くてフランス語に誇りを持っているから英語なんか意地でも喋りたくない」のではなく、「英語をもっと喋れるようになりたいけど、まだまだそんなに上手じゃないからあまり喋れない」という感じだった。
他にも、エリックと喋っている間、彼は興味深い事を話してくれた。エリックはフランスで大学を卒業したばかりだが、フランスは今凄く景気が悪くて特に若者の失業率が高く、あそこにいたって仕事が見つかる見込みがないから、言葉が不自由ながらもとりあえずオーストラリアに来たのだそうだ。そういえばニューカレドニアの女の子が僕のルームメイトになる前(僕が当時住んでいたアパートでは同じベッドルームで男女ミックスの組み合わせになる事もあった)のルームメイトだったフランス人のパスカルも、フランスでは大学を出てもなかなか仕事が見つからないし、それよりもオーストラリアに来てこっちで仕事を探してみようと思ったと言っていたな。どうやらフランス人の中には出稼ぎ的な要素も持ってワーホリに来る人もいるようだ。若者の失業率が高いのは知っていたが、それを理由に海外に働きに行くというのは、ネットやテレビのニュースではあまり聞いた覚えのない情報だ。
そしてアデレードに着いた日から2日後の木曜日。僕はアデレード市内のセントラルバスステーションを訪れていた。ネット上で予約しておいた、翌日金曜日のバスのリコンファームをするためだ。受付に行って「バスの運行時間に変更はありませんよね」と確認を取ると「ええ、このスケジュール通りで変更はありませんよ」と返事をされたが、もう1つ確認しておきたい事があったのだ。
僕:「あ、すみません。もう1つ念のために確認しておきたいんですけど、いいですか?今回アデレードからミルデュラ行のバスを予約したんですが、実際には僕の目的地はレンマークなんです。レンマークも停車地点の1つに含まれてますし、ここで降りて荷物もおろす時間は十分にありますよね?」
受付:「ええ?ダメですよ。途中での下車は認められません。法的にも、最終目的地に着く前に乗客を降ろすのは禁じられているんです。」
なんという事か。レンマークでも停車するというのだから、てっきりそこでも降りられると思っていたのだが、万が一の事を考えて念のため聞いておいてよかった。例えば日本の新幹線では、新大阪から東京行きの新幹線に乗り、その途中の新横浜で降りる事もできるが、それと同じノリでオーストラリアのGrey Houndのバスに乗ってはいけないのだ。さらに僕が購入したチケットはオンライン上で予約されたものであるため、払い戻しの処置ができないのだという。(窓口で購入したチケットはネット予約より少し割高だが、チケットをキャンセルして払い戻しを要求すればたしか払った料金の90%ぐらいは返ってきたと思う。)泣く泣く窓口で別のバス会社のレンマーク行きのバスのチケットを買い、レンマークのホステルのオーナーのマットにも到着時間変更の連絡をしておいた。これで何も確認せずに当日ミルデュラ行のバスに乗っていたらとんでもない事になってた所だったぞ。
ホステルに戻り、キッチンの冷蔵庫に保管しておいた飲み物を取りに行くと、何故かそのキッチンでニコニコしたインド人に話しかけられた。急いでいたわけでもなかったので、僕はそのインド人とそのままお喋りをした。彼はまだオーストラリアに来たばかりで、このホステルに滞在しながら住む場所を探しているのだそうな。どうやらインドにいる段階で既にオーストラリアの永住権を取得しており、悠々と渡豪したようだ。聞けば母国インドでは自分の研究所も持っているらしく、おそらく相当な金持ちなのだろう。永住権申請のための条件の1つである英語力証明テストIELTSでも全てのセクションで7.0以上を記録しており、英語力要件も満たしている。ここで僕は以前から気になっていた疑問をこの人にぶつけてみる事にした
僕:「ちょっとネット上とかでIELTSのスピーキングとライティングのセクションの点数はオーストラリアとかの英語圏の国で受けるより非英語圏の国で受けた方が点数が上がる可能性があるって噂を読んだ事があるんですけど、あれって本当なんですかね?」
インド人:「ああ、あれはマジで本当だよ!IELTSは絶対非英語圏で受験した方がいい!僕は母国で受験したけど、自分の地元から200km以上も離れた、誰も英語を話さないようなかなり田舎なエリアにわざわざ行って、そこでテストを受けたんだ。そのおかげもあって7.0取れたんだよ^^」
おお!噂は本当だったのか!ちなみにこの噂の内容をもう少し詳しく説明すると、こういう事になる。IELTSは英語のリスニング、リーディング、ライティング、スピーキングの4技能の全てを測定するテストなのだが、この中で受験地によって差が出ると噂されているのがライティングとスピーキングのいわゆる「アウトプット系」(自分から情報を発信するタイプのスキルの事。リーディングやリスニングは入ってくる情報を正しく理解するための「インプット系」に分類される)のテストだ。リスニングとリーディングのテストは、回答が穴埋め方式のため、仮に全問正解で評価が9.0の受験者が10人いたとすると、その回答内容は10人とも全部同じになっているはずだ。このような何問中何問正解という減点方式のテストは、模範解答と照合して採点されるので、どこで受験をしようが採点者によって点数に差は出ない。ところが、ライティングとスピーキングは違う。この2つは体操やフィギュアスケートのような、これがここまでのレベルでできたらプラス○○点という加点方式だ。受験者の回答が与えられた課題の内容と規定(例えばこのライティング問題に対しては最低150単語以上で答える事とか)に沿っていれば、原則どんな答えをしてもそれは受験者の自由だ。というか、そもそも質問の内容が「○○という社会問題に対するあなたの考えを聞かせてください」とか「もしあなたがここで○○の立場だったら、どうすると思いますか?その理由も教えてください」とか、決まった正解のない問題であるため、回答の自由度が広がるのは当たり前と言えば当たり前だが。そしてそれに対する答えの採点は機械ではできないので当然人間がする事になる。スピーキングやライティングは、
・「出題者の指示に従って回答しているか(例えば『○○の内容を要約しなさい』という指示だったらやるべき事は単なる要約で、そこに自分の個人的な見解を含ませてはならないとか)」
・「どれだけ流暢に話し続けられているか」
・「発音」
・「文全体の流れは自然で整合性はあるか、主張に一貫性はあるか」
・「語彙(適切な語彙を選んでいるか、また簡単な単語だけでなく難しい単語も使いこなせているか)」
・「文法(文法に間違いはないか、また簡単な構文だけでなく難しい文法の文も使いこなせているか)」等々
といった予め定められたものを基準に採点が行われるので、一応名目上はどこでIELTSを受験しても同じ英語力の人が受験すれば同じ点数が出るという事になっているが、やはり採点をしているのは人間であり、回答内容も受験者によって様々なので点数に誤差が生じる可能性はつきまとう。同じ英語上級者が同じ時期にIELTSのテストを受けても、周りの受験者の英語力が高い人ばかりの英語圏の国で受験すれば6.5しかもらえないかもしれないが、逆に自分と同じ試験会場にいる自分以外の受験者が自分より英語のできない人ばかりであれば、相対的に自分の回答がより高度なものに見えるため、同じレベルの人が同じような回答をしても採点が甘くなり7.0もらえる可能性が高いという事だ。
今までは、こういった情報はネット上で噂として読んだ事があっただけだったので、どこまで信用できるものなのかという印象だったが、今回初めてそれを体感した人から直接話を聞く事ができた。もっとも、僕にこういう話を聞かせてくれたのはまだこのインド人1人だけだし、これだけでこの噂が事実であると証明されたわけではないが、それでも、ただネット上で噂を読んだことがあるというのと、それに加えて実際にそれを直接経験した人から話を聞くというのではだいぶ違いがあると思うのだ。
最近の世の中はネット社会化しており、インターネットだけでこの世の情報の全てをわかった気になってしまいがちだ。確かにネットがカバーする情報量は膨大だ。例えば今この文章を書いている途中で、試しにYahoo Japanで「オーストラリア ワーホリ」というキーワードで検索してみたら、約477,000件もの検索結果が出てきた。ではこの検索結果だけでオーストラリアのワーホリに関する情報全てがカバーできているかというと、答えは否。オーストラリアにワーホリで来ている人の全てが自分のワーホリでの体験をネット上に公開しているわけではないし、仮に全員が公開したとしても、それはその人たちがワーホリ中にした体験の全てが1から100まで事細かに書かれているわけでもない。ネット上で見つけられないワーホリのお話は、それが誰からでもアクセス可能な状態になっていないというだけで、ネット上で見つけられるワーホリのお話以上に山ほど存在しているはずなのだ。それは今回僕が書いたフランス人に関しても同じ事が言えるし、他の何に関してだって言える。ネットで調べたらこうだと思ってたけど、実際に生で見てみたら全然違っていたなんてことはいくらでもある。自分の直接的な体験を通して得られる一次情報がなくても、インターネットで間接的にそして簡単に得られる情報がどんどん増えてきているこんな世の中だからこそ、一次情報の大切さとネットの便利な情報検索のバランスを上手くとりながら生きていきたいものだ。