2015年1月5日の月曜日の夜、アデレード行のバスが僕を乗せて出発した。アデレードまでは約10時間の道のり。けっこうどこでも寝られる僕はバスの中でもそれなりに睡眠を取ることができ、朝の6時台にはアデレードのセントラルバスステーションに到着した。
予約しておいたホステルのチェックインを済ませると、僕はインターネットが使えそうな場所を探した。ホステルの部屋の中でも無料WiFiに接続できるのだが、コンセントが不便な場所にしかなく非常に使いにくい。僕が当時持っていたノートパソコンはバッテリーの持ちが非常に悪くなっており、コンセントにつながれていない状態では40分ももつかどうかといった所だったので、WiFiが飛んでいて尚且つコンセントもある場所を探していたのだ。
パソコンの入ったリュックを背にシティ内を歩き回っていると、iPadとパンフレットらしきものを持って道で立っている男の子に話しかけられた。どう見てもセールスだな。ここオーストラリアはセールス、それもチャリティ系のセールスが盛んで、シティのそれなりに人通りの多いストリートやショッピングセンターではこのようなセールス業界の人間がよく見られるのだ。
こういったセールスに関わりたくない場合、一番簡単で効果的なのは立ち止まらずにそのままスルーする事だ。僕もそのようにしてもよかったのだが、僕はこういったセールスの人たちに道やショッピングセンターで話しかけられたら、特に急いでいない場合は敢えて立ち止まるようにしていた。その理由の1つには、自分もセールスの仕事をしていた経験があり、大勢の人間から冷たく断られ続けるのがどういう感覚なのかを知っていたから、できれば完全にシカトして立ち去るのではなく、相手が失礼でムカつく奴でない限りはフレンドリーに話を聞きながらもやんわりと断りたいなという気持ちがあった。もう1つは、どんなセールスの人間でも僕をクローズする事(契約まで持って行く事)はできないという絶対の自信があったからだ。
まず、僕は一応セールス業界で働いていた事があったため、セールスの人間の手の内を一通り知っている。どこのセールスでも、大体KISS、SF、ABCのルールに従ってセールストークが展開されるのだ。
KISSは、Keep It Short and Simpleの略。セールスの人間は大抵売り込んでいる商品の特徴についてざっくりとした抽象的な説明しかしない。その商品の細かい部分の説明を詳しくしたって、どうせ消費者はそんな所まで熱心に聴いていないし、聴いていても理解できていない場合が多いからだ。そのため、現場に送られるセールス社員も、自分が売り込む商品の細かい部分については、会社の研修で詳しく教えられていない場合が多い。よって、こういうセールスの人間に対しては、その気になれば「そんな些細な事まで質問してどうするの」と言いたくなるほど細かい事を執拗に聞きまくって少々困らせてさしあげる事も、やろうと思えばできなくはない(^ω^)(←やなヤツ~)
僕は特に失礼なセールスパーソンが相手でなければ、基本的にはこの辺は特に意地悪な質問や切り替えしはせずに相手のやりたいように話をすすませてあげるようにするのだが、一つ気を付けるのは、相手にこちらの具体的な情報はあまり与えないようにする事だ。例えば、「こういう子たちを救うために、月いくらまでなら出せると思う?」「これらエリアの中で特に関心のあるエリアはないかい?」などと聞かれても、「いやぁ、こういう業界でいくらぐらいが相場かわからないし、答えられないねぇ」「普段あまり馴染みのない分野だし、大きな違いがわからないから選びようがないよ」などと言って、フレンドリーな表情は保ちながらもこちらのスタンスは明らかにしないようにするのだ。なぜなら、ここで「月20ドルぐらいまでなら」等と具体的な数字を出してしまうと、「じゃあ月20ドルなら払えるんですね」と、自分は毎月20ドル払えますよと宣言したも同然という前提で話を進められてしまうからだ。
さらには、「もうちょっとだけ奮発して月25ドルとかは?」と金額を吊り上げられる事だってある。相手に言質を取らせてはならないのだ。また、向こうから「いやいや、どれぐらいが相場なのか知らないとかそういう問題じゃなく、あなた自身がどれだけ払えるのかを聞いているんです」と食い下がられる事もあるかもしれないが、そういう時は「そんな事言われてもわからないものはわからないんだから答えようがないよ~」とノラリクラリ流しておけばよい。
SFは一般的にはScience Fictionの略として知られているのだが、セールス業界においてはSense of urgency & Fear of lossだ。つまり緊急性を演出し、お得なチャンスを逃す事に対する恐怖感を煽れ、という事なのである。こういったチャリティ系でよく緊急性を演出するために使われるセリフの例としては、例えばこちらが「じゃあまずホームページやパンフレットを見せてください。家に帰ってまずちょっとリサーチして、それでよさそうだったら寄付を開始する事にしますね」と言ったとすると、「後でネットでやるより、今ここでやった方が登録料が取られないからお得ですよ。ここで登録しても、2週間たつまではクレジットカードの引き落としは始まらないので、今登録しちゃって2週間の間にリサーチして、それで気に入らなければいつでお電話で登録解除すればいいんですから」などと切り返して来たりする。
さらには、「そうやって『後で家でネットで調べとく』と言う人の内、一体どれだけが実際にネットで調べて寄付の登録までいってくれると思いますか?99%の人は家に帰ったら今この場で話している事を忘れちゃって、こういった活動に協力してくれないんですよ」と言われたりもする可能性もあるが、そんな時は、「ではいい事を教えてあげましょう。実は私はその残りの1%の、家に帰っても覚えている人たちの内の1人なのですよ^^」と言えばよいのだ。重要なのは、向こうはこちらにゆっくりと考える時間を与えずに登録まで持って行きたいのだから、こちらはその逆の方向へ進む、つまりその場で決断するのではなくいったんその場から離れてリサーチをできるようにしておく事が大事なのだ。向こうは何が何でも今この場で登録させようとしたがるだろうが、それは真剣に受け止めずに適当に笑顔であしらっておけばよい。
ABCはAlways Be Closingの略。会話がどんな方向に進もうとも、最終的には必ず登録させるという方向の話に戻そうとするというのがセールスの鉄則。何気ない世間話から入っても、数分したら連中は本題のセールスの話に切り替える。こちらが話題を逸らすような事を言っても必ずセールスの登録の話に引き戻す。人によってはかなり押しの強い場合もあるので、注意が必要だ。ここでも先ほどのSFの例のように、「いったん家に帰ってあなたの組織の事に関してリサーチをしたいので」と言ってその場を離れるのは有効な方法の1つだ。ここで考えられる向こうの食い下がる方法としては、「じゃあ今ここで私のiPadでホームページを見せてあげるから、それで十分でしょ?」と言ったり、「今登録しても2週間たつまではカードの引き落としは始まらないんだし、その間にだってじっくりリサーチはできるんだから何も変わらないじゃないか」と言ったりしてくる事が考えられる。前者に対しては、「今ここでは大したリサーチはできないでしょ」と言えばよいし、後者に対しては「何も違いがないのなら、なぜ君は今ここですぐに登録させることにそんなにこだわるんだい?」と切り返せばよい。
セールスの人間たちがどのように攻めてくるのか、それに対してこちらはどのように切り返せばよいのかに関して細かい事は他にもいろいろあるが、大まかな部分の簡単にまとめると大体このような感じとなる。僕は先ほどセールスの連中は僕をクローズする事は絶対にできないと書いたが、その自信を持てるのにはこういった知識の他にもう1つ理由がある。
このようなチャリティ系のセールスは、長期間寄付を続けてくれる人を登録する前提で動いている。僕が最初に働いたセールス会社は12か月間、他の多くのチャリティ系のセールスは24か月間、セールスのターゲットとして狙いを定めた人に資金提供の協力をし続けてくれと要求するのだ。故に、これから登録をしようとする段階の時点で、セールスパーソンはターゲットがセールスの対象になるのかを把握しておく義務があるのだ。ほとんどのセールスでは、対象者が21歳以上で、経済的に自立しており、一定期間の間毎月お金を払い続けられる事を前提としている。僕の場合はビザがワーキングホリデーで、セールストークをされている時点で残りのオーストラリアの滞在期間が余裕で12か月を切っているため、「一定期間お金を払い続けられる事」の項目に引っかかる。つまり、セールスの人間たちはたとえ僕を説得できたとしても最終的にこの部分で引っかかってしまうため、クローズしたくてもできない。僕が先ほど言っていた、連中は僕をクローズする事はできないという自信の根拠はここにもあったのだ。
ちなみにこういったセールスの人たちはNo contract!と言って、これは「契約」ではないんですよ、法的な拘束力は一切ないんですよという事を強調する傾向がある。確かに法的拘束力はなく、法的には「契約」とは呼べないのかもしれないが、自分の名前が「登録」されて、自分の名義でお金が毎月引き落とされる事には変わりはないので、その点に関しては注意が必要だ。
ちなみに、ここまで長々と書いたが、これはあくまでこういったセールスに対してあまり関わりたくないが、一旦立ち止まって話を聞き始めてしまい、尚且つなるべく自然な話の流れの中でやんわり話を断りたい場合はどうすればよいかについての話(それも単なる一例)であるため、別に必ずしもこのやり方でセールスの人間に接しなければならないわけではない。別に冷たく無視してスルーしてもいいし、逆に本当にこういう活動の力になりたいと思うのなら、後でその組織のホームページに行ったり、評判を調べて安全性を確かめた上で、実際に寄付をすればよいと思う。実際僕自身も自分で「良いな」と思った団体は3つほど寄付してるし。(ちなみにネット上の寄付はセールスパーソンとの直接のやりとりによる登録と少し仕組みが違うため、ワーホリの人間でも可能な場合が多い)。多くのセールスは実際に集めたお金を本当にチャリティのために使っているとは思うが、一部の悪質な連中がやっている詐欺である可能性も全くのゼロとは言い切れないので、その場で登録する事は僕は個人的には強くはお勧めしない。
で、今回実際僕に話しかけてきたセールスの男の子はどんな子だったのかというと、どうやらセールスの仕事を始めたばかりの子だったようだ。通行人に対して笑顔で明るく話しかけるのは最初からよくできていたが、全体の流れで見るとややぎこちない感じもあった。特に悪い印象はなかったため、途中で話を遮ったりせず、ほぼその子の好きなように話を進めさせてあげ、いざ実際に僕を登録しようかという話になったら、例の「いや、僕のビザはワーホリだから、あと数か月しかオーストラリアに滞在していられないので」を出し、男の子はあっさり引き下がったのだった。
逆に僕がWiFiが使える場所はないかと聞くと、「あ、僕ちょうど休憩時間になる所だし案内してあげるよ!」と、WiFiの使える所まで親切に案内してくれた。ビジネスライクに考えれば、契約まで持って行けないと既にわかっている相手と道案内のためだけにわざわざ一緒に歩いてあげるというのは時間と労力の無駄でしかないのだが、そういった損得勘定の考え方に染まっていない、良い意味でプロ意識の足りていないこの新人セールスマンの男の子に僕はなかなかの好印象を持った。
フードコートに案内され、お礼を言って笑顔で男の子とお別れをし、いざWiFiを使おうと思ったら、早速気がついた事があった。コンセントがないのだ。僕のノートパソコンはバッテリーがもたないためコンセントが使える所でなければまともにネットもできない。しょうがない、とりあえずいったんホステルの部屋に戻るか。