とある金曜日のシフト。出勤するとジョンがお客さんとお喋りをしていた。
ジョン:「この職場は同僚だけじゃなくお客さんたちも親しみやすい人柄で本当に働きやすい。以前僕が別の職場でシェフをやっていた時は、そこは上流階級の人間ばかりが集まるけっこう高級な所だったんだけど、誰からも感謝なんかされた事がなかったんだ。どんなに頑張って仕事しても、彼らの態度はそれぐらい丁重にもてなされて当たり前って感じでさ。『ありがとう』の一言も言われなかった。だけどここではお客さんとこうして楽しくお喋りもできるし、最後に『ありがとう』って言ってもらえるのが嬉しいんだ。ここで働けて僕は本当に恵まれているよ」
そうだよな、やっぱり人と接する時はお互いに相手に対する敬意を示してこそ、気持ちの良い人間関係を保つ事ができるものなんだよな。たしかにサービス業で働く者と、そこでサービスを受ける客という立場の違いはあれど、原則として人と人は対等な立場なのだ。一方が王族のように振る舞い、もう片方が召使いのようにその「偉い人」のご機嫌とりをするなど、中世の社会構造のようだ。
そしてしばらくすると忙しい時間帯になり、お喋りなどする時間は全くなくなった。次々と客が食べ終わった/食べ残した料理の皿が大量に運ばれてくる。こういう忙しい日は、皿洗いだけでなく食材の準備のペースも上がるため、ダブルでキツイ。この2つのペースが上がっただけでも十分キツイのに、もう一つ「マジかよ、勘弁してくれよ」と思わされる事があった。それはウエイトレスの皿の置き方だ。常識的に考えて、たくさんの皿を限られたスペースに置く時は、スペースを無駄にしないように皿の大きさや形を考えて置く必要がある。長方形の皿があったら長方形の皿ばかりを重ねて置く。丸い大きい皿があったら丸い大きい皿ばかりを重ねて置く。サイズの違う皿をやむを得ずに重ねる場合は、大きい皿を下にして小さい皿を上にする。こうしておけば重ねて置かれた皿はバランスを保って安定していられるし、スペースも無駄遣いせずにすむ。だがどういうわけか、ここのウエイトレスの女の子たちは、そういった事を一切無視して皿をそこらじゅうにテキトーに置くので、とんでもなくカオスな状態になってしまうのだ。既に小さい皿が何枚か重なっている上に平気な顔して大きな皿を乗せる。何故かシンクの皿を置くスペースからわざわざ皿が一部(時には半分ほど)はみ出すような置き方をする。Why Australian people??わざとやってんだろ!?と、厚切りジェイソンのように叫びたくなってしまう。そしてそれも、僕が皿洗いをしている最中でシンクのすぐ前にいる時にやるのならすぐに皿を直せるからまだいいのだが、僕が食材の準備をしていてシンクの方まで手が回らない時にまでそれをやられるため、食材の準備が一区切りついてシンクに再び目をやると、あまりにも荒れ放題な光景に発狂しそうになるのだ。
そしてその日はジョンの方もいっぱいいっぱいで、ジョンも例の暴走を始めてしまい、キッチンは軽く修羅場状態になっていた。だが一度ピークが過ぎると、ジョンは平常心を取り戻し、見事なリーダーシップを発揮し始めた。まずジョンはまだ僕が食材の準備で忙しくしている間、わずかなタイミングを見逃さずにウエイトレスを捕まえた。
ジョン:「いいかい?今みんなものすごく忙しくて大変なのはわかるけど、ちょっとだけ聞いてほしいんだ。キッチンハンドのショーンの仕事は皿洗いだけじゃなくて、シェフが使う食材の準備にもたくさん時間を使わなければならない。1人で複数の役をこなしているんだ。だから彼が食材準備をしている間、君たちがお皿を置く時に綺麗に整理整頓されていないと、皿洗いの仕事に戻った時にとても大変だ。だからせめて彼がシンクから離れている時は、同じ種類の皿を同じ場所にまとめて置いてあげるようにしてくれるかな? (^^)」
するとウエイトレスの女の子は素直に「ああ、ごめんなさい。次からは気を付けるわ」と謝り、その後はちゃんと皿を整頓された形で置くように気を付けてくれた。そしてジョンは僕の作業も少しだけ中断させてこう言った。
ジョン:「どうだい?ウエイトレスの子、ちゃんと言う事聞いてくれただろ?キッチンハンドの仕事は忙しくて大変だけど、こういう一瞬のタイミングを逃さない事が大事なんだ。僕だってシェフの仕事で複数の作業を同時にこなさなくちゃいけなくて大変だしね。ウエイトレスの子が何か間違ったやり方をしているのを見つけたら、やっているその場ですぐに注意してあげる。簡潔に、わかりやすく、そして丁寧に。敬意を持って相手に接すれば、相手だって敬意を持って答えてくれるはずだ。」
たしかにジョンの言う通りだ。僕は今までもウエイトレスの子たちの皿の置き方を注意しようと思えばできたはずだった。たしかにあの子たちはキッチン内に入ってきても皿を置いたら即またホールへ戻っていくので、キッチン内にいるのはほんの一瞬だが、全く話しかけられないわけではない。皿の置き方がおかしい、常識で考えればこんなものわかるだろうというのも、僕が頭の中でそう思っているだけでは彼女たちには伝わらない。彼女たちが僕の持っている常識に沿って皿を置いていないという事は、彼女たちにとって僕の常識は常識ではないという事なのだ。ならば、彼女たちに皿の置き方を直してもらうには、まずお互いの認識のズレに気づき、はっきりと口に出して「こうして欲しい」という事を伝えるのが大事なのだ。それもあくまで落ち着いた口調で。
今回の話に出たようなカオスな皿の置き方をするのはこのウエイトレスの女の子1人だけでなく、ここで働いているウエイトレスの大半がそうだ。だからこの日以降他のウエイトレスがメチャクチャな皿の置き方をしても、落ち着いて呼び止めて「こういう置き方にしてくれるかな?」と丁寧に頼むと、みんなそれに耳を傾けてくれた。一人すぐに指示に従わず、実際にそれが原因で皿を割ってしまった子がいたが、それに対してもきつく当たって責め立てるのではなく「これで僕が皿の置き方を直して欲しいって言ってた理由がわかるよね?^^;」と諭すように言うと、「ごめんなさい、ショーンの言う通りだったわ」と申し訳なさそうに素直に謝って行動を改めてくれるのだった。
そういえば、僕がまだスウェーデン語の勉強を始めたばかりだった頃は、Bamseという日本でいうアンパンマンみたいな子供用のお話を教材代わりにして勉強していたのだが、その物語の主人公がこんな事を言っていた。Ingen blir snäll av stryk. (叩いて素直になる子なんていない)。もちろん中には優しく注意すると逆にこちらを舐めるようになってどんどんつけあがり、最終的にきつく叱りつけられなければわからない奴もいるだろうから、この世にいる人間全員にはこの言葉は完璧には当てはまらないのかもしれない。だが、せめて何かを注意する最初の段階ぐらいは、誰に対してでも平等に「優しく言えば伝わるのだ」という姿勢で臨むのもいいのではないのかなと思ったりしたのだった。