9月22日の月曜日。今日から先日採用が決まったカフェで週5日のペースで働き続ける事になる。キッチンに着くと、この日はサイモンではなく別のシェフがいた。彼の名前はペイヴァン。アフリカの国モーリシャスから来た僕と同い年の青年だが、オーストラリアにはもう7年も住んでいるのだそうだ。彼の第一印象はとてもフレンドリーで非常に好印象。いい人っぽいなと思ったのだが、その期待が裏切られる事は最後までなかった。
彼とのやり取りで唯一難点かなと思ったのは彼の非常に強いアクセントだった。彼のネイティブ言語はフランス語らしいのだが、アフリカで話されているフランス語はフランスのフランス語とは発音が結構違っており、その訛りが入った英語は独特の響きがする。そもそも今彼の口から発せられた単語は本当に英単語だったのだろうかと疑いたくなるような事もよくあった。はっきり言って訛りの強さだけで見れば、訛りの種類こそ違うものの、以前かなりガチで喧嘩したジャパレスのスネ夫ちゃまと結構いい勝負なのではないかと思った。だが彼がスネ夫ちゃまと決定的に違うのは、その人間性の器のデカさだ。ペイヴァンは僕が彼の英語が理解できなかった時、自分の英語が伝わらないのは聞き手のせいだと、相手に責任があるのだと決め付けて相手を見下すような態度は決してとらなかった。むしろ、「ああ、ゴメンよ。俺、もう既に7年もオーストラリアに住んでるのに、まだこんな英語しか話せないんだ。他の皆もあんまり俺の英語わかってないし、気にしないで^^」と優しく声をかけてくれるのだった。ペイヴァンを見て思った事は、ちょっとぐらい英語に癖があったって、人間性で補ってしまえばそんなのものは大した障害にはならないという事だ。
そして、ペイヴァンの人格者ぶりはこれだけでは終わらなかった。僕がこのカフェに配った履歴書には「ジャパニーズレストランでのキッチンハンド経験2014年8月~9月」と書いておいたのだが、実際には8月の終わりから9月の始めだけのため、1週間ちょっとしか働いておらず、僕は事実上キッチンハンドの経験がほとんどないも同然の状態だった。なので当然僕は即戦力のキッチンハンドとして使える人材ではなく、ほぼ一から教えてもらわなくてはいけなかったのだが、ペイヴァンはいつでも自ら手本を見せながら、明るい態度でやり方を教えてくれた。
そんなペイヴァンと一緒に働き始めて2~3日すると、彼に「サラダのドレッシングやソースを容器に移してくれ」と頼まれる事があった。ドレッシングやソースの容器の容量は1リットルなのだが、それだけではすぐになくなってしまうため、当然たっぷりと作り溜めしてバケツに入れて保管してある。それをペットボトル程度の大きさの容器に移すのだから、漏斗が必要になる。先日は白い漏斗がキッチンにあったはずなのに、それが見当たらなかったのでペイヴァンに聞いてみた。すると彼はすかさず「ああ、それね。ちょっとついてきて!」と言って僕を地下室に連れて行った。地下室には食材を保存しておくための冷蔵庫や冷凍庫、調理に必要な道具や調味料などがびっしりと揃えられているのだが、ペイヴァンは棚のちょっとわかりにくい所から漏斗の代わりとして使える三角形のビニール袋を取り出した。これにドレッシングやソースをたくさん詰め、先端部分を切り、ケーキのホイップクリームを搾り出すような形にする事で漏斗の代用品とするのだ。すると珍しく、ペイヴァンは少しイラついたような表情になり、こう言った。
ペイヴァン:「こういう職場で働いている人たちの中には、こういう事(この場合漏斗が見つからなくても実はその代用品になるものが地下室に存在するのだという事)を敢えて新人に教えない奴がいる。自分が持っている知識や情報を丁寧に教えないことで自分を賢く見せようとして優越感を味わっているみたいだけど、俺はこういう連中が理解できないんだ。だって、仕事の役に立つ知識や情報があるんなら、みんなでシェアした方がみんなが気持ちよく仕事ができるから、その方がいいに決まってるじゃないか」
今の職場にそういうような奴がいるからイラついているのか、それとも前の職場でそういう事があったからそれを思い出して嫌な気分になったのか、彼はそこまではっきりと言及しなかったためその点については定かではないが、いかにも彼の人格者ぶりがにじみ出たイラつき方だった。
このようにペイヴァンは、「ああ、こういう人がいる職場で良かった」と思わせてくれる上司なのだが、それに加えてやはり勤務開始から2~3日ぐらいの所で、またしてもこのような気持ちにさせてくれる人がもう1人現れた。僕が食事休憩のためキッチンを一旦離れ、カフェの奥の方で夕食をとっていると、一人の青年が同じテーブルに座って僕に話しかけてくれた。イラン出身のオミッドという人で、オーストラリアを代表するレベルのとある大学の大学院でITを勉強しながら、このカフェでバリスタとして働いているのだそうだ。
オミッド:「やあ!この職場はどう?もう慣れてきた?^^」
僕:「そうですね、本当にみんないい人たちで、働きやすいです!以前キッチンハンドをしていた職場はボスが酷い所だったんで、こういう職場で働けて嬉しいです^^」
オミッド:「そう言ってくれて嬉しいよ!確かに良くない環境の飲食店はあるよね、同感だよ。例えば僕の出身の国ではサービス業っていうのは、いわゆる「低レベルな人間」が集まってる業界なんだ。(※もちろんオミッドがここで言っている「低レベルな人間」とは、学校の勉強ができないとかいう意味ではなく、人格的にできていない連中の事を指す※)何をどのようにして欲しいのかの具体的な指示もロクに出さないし、何かちょっとでも気に食わない事があると癇癪を起こして部下や同僚に怒鳴ったりするし、困っている同僚がいても優しく助けてあげようとする精神がない。客だって横柄な態度の奴が多い。心に余裕のない奴らばかりなんだ。だから僕は母国に戻ったとしたら、向こうではサービス業なんかはやりたくないね。だけど、ここは違う。ここはちゃんとした教育レベルの人たちがやってるから、同じサービス業という業界でも働きやすさがまるで違う。だから僕はここでならサービス業ができるし、ここで働くのが好きなんだ。」
僕自身はイランに行った事がないので、イランのサービス業で働いている人たちがどんな人間性を持っている傾向にあるのかは直接は知らない。オミッドの「低レベルな連中」という表現がどの程度当たっているのかは検証できないが、とにかくオミッドは他人に優しく丁寧に接する事の出来ない人間が許せないようだ。実際、オミッド自身は本当に心に余裕のある優しい人で、彼は客だけでなく同僚や部下に対しても、いつも笑顔で親切に丁寧に対応してくれる。自らが口にした事を実際に日ごろの自らの行動で示しており、文句なしの説得力だ。
スネ夫ちゃまとガチバトルをしてジャパレスを飛び出し、3つ目のセールス会社の仕事が決まった時に日本にいる家族に連絡をとった時は、家族も飲食業界に対してネガティブなイメージを持っていたらしく、「やっぱり飲食業界って良くないイメージあったし、そういう業界で仕事が決まったって聞いた時は内心は大丈夫かなって思ってたんだよね。」等と言われたものだった。だが、ジャパレスとカフェという細かい違いはあれど、同じサービス業、同じ飲食業界で同じ様にキッチンハンドとして(面接抜きで)雇われた事には変わりはない。にも関わらず、こんなにも違いが出るという事は、やはり決定的な要素は「人」だという事だ。僕が度々このブログで名前を出しているAPLaCのサイトでも「シェア先だろうが職場だろうが『人』で決めろ」という、非常にわかりやすいアドバイスがあったのだが、そのアドバイスの正しさと重みを身をもって実感したのだった。