出世のためななら
なんでもできる!












1.
僕が妻に出会ったのは89年ソウルのアップグジョンドン。洒落た人達が集まってくる洒落た街。自分も洒落た男だと勘違いし、この街に出入りした訳だから、僕の勘違い歴はかなり長い。なんとか治したい...

当時、日本語の勉強をはじめたばかりの僕は、知り合いの女の家に遊びに来た今の妻に日本語を試してみるつもりで接近、意外と好みだったので、その晩なんとかしようと思い酒をガンガン飲ませたが、これが僕より強い!泥酔いの僕はタクシーの窓から頭を出してさっき食べたのを確認する作業まで見せたあと、その晩は敗退。次の日、いい友達になりましょうと、いつもの決め台詞でなんとか繋いでいく。

妻が日本に帰ったあと、その知り合いの女が「彼女の父は読売ジャイアンツのオーナなのよ」と自慢げに一言。その時僕の返事「何それ?」知り合いの女「お金持ちということ!」と呆れた顔。でもまだ状況が分かってない僕の返事「へー」。

その後僕は2年間の軍隊服役(?)を終えて日本留学へ、しかし日本にいる1年間、野球に全く興味がなかった僕は読売ジャイアンツのことが分からないまま帰国、でも読売新聞社はなんとか分かるようになる。

帰国後親のカネで韓国ではじめてオープンカフェ&バーを作り、雑誌にも何回か出るようになった頃、今の妻が再び来韓、昭文社が年に一回出す世界の店を紹介する雑誌に載っていた僕を見つけ連絡が取れ、嬉しい再会。僕はこの頃、読売ジャイアンツのことが大体分かってきた。

人生の最大の転換期到来!と本能的に感じた僕は、その夜、もう一度妻を酒で攻略したが、妻と一緒に来たデブの子が超酔っ払って、アップグジョンドン大路に「大字」で寝転がってしまう。その処理に手間がかかり、またもやチャンスを逃す。あのデブ野郎、おまえ、旅行の恥じ捨てすぎ!

妻が日本に帰る朝、空港まで追っかけてなんとか携帯番号をゲット。しかし「私、彼氏いるの、だから夜は電話に出ないかも」と冷たい一言。しかし韓国民族はここで下がらない。「ヒル、デンワシマス」と、まだ3、4才レベルの日本語で必死にぶら下がる。手をふりながらゲートの中に入っていく妻の顔が、あのデブの顔に隠され一瞬見えなかったが、確かにひきづっていた。僕どうしよう... ホルド、ユアー、ラストチャンス、なのに。


2.
この焦り、経験した人じゃないと分からない、まじで焦る。せっかちな僕は次の昼に早速電話をかける。「もし・・・もし」あれ?泣いているじゃないか!どうしたの未来の妻?しかし、なにがなんだか聴いても全然分からない。僕の低レベルの日本語で、妻の泣き入り日本語は英語より難しい。結論から言うと、日本に帰ってきた途端、彼氏の浮気現場を見てしまい、今ちょうど別れてきたとのこと。ナイス彼氏!サンキューでござる。頂きます!その日から収入の半分近くを国際電話に注ぎ込むムチャな僕。

だが、ちと不安もあって、もし駄目になったら高い日本語レッスンだったと自分を慰めるつもりだったが、なんと!見事にゲット!更に頑張った甲斐があって彼女の口から韓国で一緒に暮らしたいという言葉を頂く。この時僕の人生はバラより美しい色でした。映画じゃないけど、ライフ、イズ、ビュティフルです。

ソウルで同居をはじめて半年が経ったごろ、無理矢理(騙して)籍を入れて正式な夫婦になり、1ヶ月後には日本で結婚式が待っていた。そこで妻を紹介してくれた知り合いの女に報告を兼ねてアップグジョンドンの居酒屋で久しぶりに飲む。その時、偶然妻の父の話が出てくる。今まで自分からは一回もきいたこともない聖域話、胸がドキッとする。しかし、聴いてないふりをしながら全部聴いている嫌らしい僕。こんな人間産み出す学校教育が悪い。

ここで、読売ジャイアンツのオーナーはどんな生活をしているのか聴いて置くのが筋が通る。なぜならば、僕は韓国でもうちょっと頑張ったあと、義父のお呼びにかかったら日本に渡り、次期読売新聞社の社長修行がはじまるからである、と勝手な妄想計画はチャクチャク進んでいく。

ところで、妻と知り合いの女は英語で話している。ふたりともムチャな発音なので聴いているとまじで疲れる。しばらく聴くのをあきらめていたその時、女が叫ぶ。「そうだったの? ジャイアンツのオーナーじゃなかったの? なんだよ、そんなの早く言いなさいよ」

な、なに? 今なんて言った?


3。
知り合いの女は「あらまあー、私の聴き間違いだったわ、やっぱり英語は難しいよね」と一言。

「・・・」僕、声が出てこねえ。

本ではよくこういう表現を使ってるのを見たけど、自分が経験したのはこの時が初めてで、なにか叫びたいけど、まじで声が出ない。彼女の聴き間違いで僕の人生も間違った方向に傾きはじめた。更に、知り合いの女めは「あら、残念だわ、ジャパニーズドリムは自分の手で!っていうことだよね?」

僕は新聞に載っている殺人事件の記事を読んでいる時、人が人をどれほど憎んだら殺せるんだろう?とずっと知りたがっていた。が、きっと今日みたいな日に殺人事件は起きる...

その夜、この前にも似たような場面があったけど、アップグジョンドン大路の上に、すごく酔っ払った人が「大字」で寝転がっていた。この前は、あのデブ、今度は僕。しかし不思議なのは、当時僕の頭の中には、デブは何故ここで寝転がったんだろう? おまえのドラマはなんだったの?と、あのデブの心境を理解しようとする情けない自分がいた。そんなこと心配してる場合じゃねえよ!と突っ込みたかったけど、冷たいアスファルトの上で、ずっとデブのことを考えた。デブ!おまえを憎んだ僕を許して... 

妻が僕をタクシーに乗せながらこう言う。「私が好きな人はみんなアップグジョンドンで寝転ぶよね」
「ちきしょー、おまえがそうさせてるんだよ!」僕は店を二日も休んだ。

しかし、韓国民族は立ち直りが早い。特に軍隊を出た奴... 結婚式も決まっている。親にも挨拶することになっている。もうあとがない。そしてあの夜、僕は希望の言葉を拾っていた。「でもね、オーナーじゃないけど、読売の偉い人みたいよ」僕、まだ頑張れる。しかし「みたいよ」ではもう駄目。自分の目で確かめるしかない。

普通、ここでみなさんは「じゃあ、父さん何してるの?」と聞くはず。しかし僕はそれがきけない。何で?韓国の教育環境はここまで駄目になっている。いや、僕が駄目な人間?どっち?

1997年11月20日、僕は読売の偉い人に会うために飛行機に乗った。だが、お土産は何故か日本酒、バカかよお前は!
そうみたい...


4.
日本に到着した僕は、妻の家族が待っているホテルに到着するまでリムジンバスの中で様々な作戦を練りあげる...つもりだったが、疲れて寝込んでしまう。緊張感なさすぎる僕。あっという間に到着する。ホテルのロビーに入ると、笑顔で迎えてくれる妻の家族たちの中からたったひとりムッとしている義父の姿、読売のお偉いさんである。いきなり緊張が走る、そして食事がはじまる。

妻との生活でちょっとだけ上達した日本語で、調子にのって休まず喋っている僕。義父のイラついた視線をまったく感じられない。耐え難い存在の軽さ、昔こんな題名の映画があったが、まさにこの時の僕である。

そして、時は意外と早く訪れる。

食事の途中で仕事の話が出て、最愛の娘が苦労しないよう安定した仕事を持って欲しいと力説する義父。僕の皿までツバが飛んで来る。でも食べるしかない。その時、隣に居た義母の口から自慢のような義父の仕事話が出て来る。妻に出逢ってから丸丸3年待った話、ようやく僕の将来が決まる瞬間である。全ての髪の毛が立ち上がる。ちなみに僕はハゲである。

義母「あの、とうさんはね、巨人軍の寮長なんです」

僕「・・・」

頭の中が急に白くなってくる。え?何?巨人軍?寮長?読売じゃないの? 読売と巨人軍の繋がりを全然知らない僕。勝手に人生最大のパニックに陥る。一瞬、韓国軍隊の訓練の中で教官が言ったことを思い出す。

「日本の自衛隊の階級の中で寮長というのがあるが、我が軍の連隊長と同じ階級である」

義父さん、軍人?・・・

この時の絶望感というのは、金メダルを電話ボックスの横に置き忘れたあの選手より、はるかに大きい。彼の金メダルは戻ってきたが、僕の金は戻ってこない。

しかし、ここであともどりできない。前に進むしかない。無理矢理ひらきなおる。

僕「あー、そうだったんですか?いやー、僕とお父さん、話が通じそうですね、僕も韓国で軍隊出ましたからね」

皆「・・・」

あれ? どうした? みんなの表情がおかしい。


5.
なんだ?この気まずい雰囲気は... と思いつつ、話を続ける超鈍感野郎僕ちゃん。ここで一つ、韓国男児は軍隊の話が出てくると、みんな急に熱くなってくる。僕も例外ではなく、義父と軍隊の繋がりをなんとか活かそうと必死に喋り続けるが、妻に口をとめられる。

妻「違う!その寮長じゃなくて、読売ジャイアンツの寮長なの!」

僕「え?... 読売ジャイアンツに... 軍隊もあるの?...」

義父の口からまた何か飛んできた。今回は酢豚だ。歯の跡がくっきり残っている。おっと!笑った!義父が笑っている!それから義父は、僕の話にずっと笑ってくれた。「こいつ面白い!」と... でも、僕は面白くない。

義父は読売巨人軍の鬼寮長と言われる人だった。
読売の偉いさんじゃなかったの?... がっくり...

僕は日本の野球をまったく分からない。そして寮長がどういう職業なのか、いいのか、悪いのか、実体が浮かんでこない。ただひとつ、読売ジャイアンツと巨人軍の繋りが分かった... もうどうでもいい...

日本で結婚式をあげて韓国に戻ってきた。出来上がった結婚式の写真を見ると、笑っている写真が一枚もない。読売新聞社を継ぐという夢が消えたからではない、と言ったら嘘である... 「ジャパニーズドリムは自分の手で!」と嬉しそうに言った知り合いの女の嫌らしい声が披露宴会の真っ最中に頭の中でずっと共鳴していた。

新郎新婦席へ挨拶しに来た背の高い人を「原です」と紹介されても僕は「へー...」、「清原です」「へー...」、「高橋です」「へー...」、誰だこいつら?ずっとこんな感じ。笑っても引きづる僕の顔、正直者、新聞社のほうがいい...

こんな僕の不穏な心を神様が分かって、当然のことに罰があたった。ソウルに帰ってきた途端、韓国は経済危機に襲われなにもかも潰れてしまった。僕の店も、親友の会社も、父の工場までも...

僕の通帳には30万円残っている、妻は新婚旅行の代わりにエルメスのバッグが欲しいと寝言まで言う。

僕、これからどうなる?


6.
僕の実家はニュージーランド、クライストチャーチにある。
父は数年前、ここクライストチャーチで母とふたりで年金生活を送っている。沈没するタイタニックのような韓国から妻を連れてクライストチャーチに逃れてきた。チャーチの空港に着くとポケットの中に3000円残っていた。危機一発、栄光の脱出である。妻の手にはエルメスバッグがぶら下がっている。偽物とは今も知らない、韓国、こういうのはよく出来てるのに...

ここで一度僕の人生を振り返ってみる必要がある。ちょっと別の話になるけど、韓国での人生を話してみない。

僕が生まれた町には小さなハゲ山があってその奥に牧場がひとつあった。5、6才頃、父と 絞り立ての牛乳を飲みによく行った覚えがある。多分その時から騙されたと僕は思う。

実はその牛乳今思い出して見ると粉ミルクにお湯を入れただけだった。それを本当の天然牛乳だと思って美味しく飲んだのである。僕は子供だったから言えなかったけど、何故父は黙って飲んだんだろう...

中学の時は父の長年の夢であったマイホームを購入、引っ越した。不動産業者の話によるとこの地域は政府による開発計画が進行中であり1年以内に土地の値段は10倍以上跳ね上がると騙され狭くて古い家を高価で買った。1年後、土地の値段は5分の1になった。もともと開発計画なんかなかったらしい。父は今もその不動産業者を追っている。

大学の時には学生運動に参加した。学生代表は「現政権と戦い、新しい未来へ向かおう!」と、僕達を励ましてくれた。必死に火炎瓶を投げ、警察や警察の車に火をつけ、仲間3人と武装警官一人を死ぬ程殴った。今、彼の安否が心配だ、生きてるかな...

そんな中、学生代表が政権から裏金をもらって逃げてしまい、結局僕の学生運動はあやふや終わってしまった。その後、仲間が学生代表の高級乗用車を見つけ火をつけて燃やした。僕が卒業する三日前のことである。

日本留学を決め、留学センターの紹介で成田に到着したが、お出迎えに来るはずの人が見えず一緒に飛行機を乗った留学生たちと、あっちこっち調べた結果、その留学センターはもうそこになかった。

今も覚えている。
3月、まだ寒い東京、昼は明治神宮の広い庭で、大きいスーツケースの上で昼寝をし、夜は新宿の夜の街をぶらぶらしながら親からの送金を一週間も待っていた。

韓国に帰国した後、知り合いとオープンカフェをオープンした。昼はコンピューター学校で勉強し夜は店で一生懸命働いたので商売は順調に伸び雑誌にも出た。ある日、取り引き先の銀行から電話がきて振り込みが3日過ぎていると言われ、銀行に行ってみたところ、店が担保になって2000万円ローンがあることを確認した。知り合いは既に休みを取ってシンガポールに逃げた後だった。別件だったが、彼は2年前出獄し、今はペットショップを真面目にやっている。僕は見たことないけど...

僕の家族はこの頃から移民を考え始めた。実はこの後も移民詐欺で色々あったが、これ以上書きたくない。
もう、うんざりだ。

1994年の春、父と母は夢にまで出てきた二ュージーランド、クライストチャーチ国際空港に足を踏み入れた。そして僕の家族と合流するまで暖かい思い出をたくさん作っていた。

僕はクライストチャーチに5年しか住んでないが「ふるさとはどこ?」と聞かれると「南半球の南十字星が見える国」と、答える。生まれてもないのにふるさとと呼ぶのは悲しい事だか、心がそう言っている。

空は高い、水はきれい、人は親切、そしてもっとも嬉しかったのは家族に笑顔が戻ってきた事だ。僕の顔にも、こんな処を「ふるさと」と呼んでもいいじゃないかな...

今ソウルはどうなってるんだろう...


7.
ニュージーランドで住んでいた頃はとても幸せだった。そして妻もこの時期は信じられないほど優しかった。全てが順調で、僕たちは人間らしい生活を楽しんだ。ただ、僕の仕事だけが問題だった。時給、日本円で約350円、びっくりしないで欲しい。これでもニュージーランドでは充分生活できるほどの給料である。物価はやすく福祉制度が発達している。市内電話、バス、水道はただ、病院、学校、運動施設はただに近い。まさにパラダイスである。

が、やっぱり比べちゃうのが人間の心理。日本で働いたら今の何倍も稼げるのに、と妻は口癖のように言っていた。僕もそう思いはじめた。今、日本で働いてるとしたら、僕の給料は今より6.2倍だ。こんなこと考えはじめたら、なにもかもバカバカしくなってくる。人間って卑怯な生き物?いや、僕が卑怯な人間?

仕事に熱心になれなくなった。そしてついに失業、ここで面白いことは、僕の一ヶ月給料が1600ドルだったのに失業保険からは1300ドル出る、なんで今まで働いたんだろう、最初からこれで行けばよかったのに。

あー、もう駄目だ!ここにいると人間駄目になる気がする。国自体はすごくいいけど、人間を駄目にする。いや、さっきも言ったようにもともと僕が駄目な人間なのだ。早速、妻が義父に電話した。日本に帰りたい、仕事を探して欲しい... しかし義父は「日本は狭い、そこで頑張ってくれ」ときっぱり断る。その上、怒られた。その夜妻はパパに捨てられたと思い込んでひどく落ち込んだ。「一生忘れない」と枕をぬらしながら三日間泣き続けた。僕のジャパニーズドリムは再び水の泡に... まあ、ニュージーもいいかー!なんだ、もうあきらめるの僕?相変わらず、土下座とあきらめは早い...

それから1年がすぎ、長男が生まれた。その次の週、義父から電話がかかってきた。「いつ日本に来るんだい? 仕事頼んであるから」との連絡だった。「えっ?...」でしょう? みんな「えっ?」だった。急にどうした? 次の日、今度は義母からの催促。妻「なんで今更来いって言うの?」義母「その時はパパ酔っ払ってなにも覚えてないのよ、孫の顔見たいから早く帰っておいで、カチャン!」

なんだこりゃー! 訳が分からないことではないけど、でも...

僕はどの曲に踊ればいいの?


8.
しかしこれもチャンス。
慌ててニュージーを脱出する僕達夫婦。こんなのもうやめて欲しい。どっかで定着したい。

2週間前ニュージーランド国籍をとったばかりの僕はパスポートが出た途端、ニュージーを離れる。空港入館でマオリの超デブのおばさんにやっぱり言われた。

「あんたら移民族、国籍とったら、すぐ海外へ行っちゃうけど、みんなこれだと、もう移民受け入れないわよ!」

やばい雰囲気、卑怯そのものの僕

「日本から税金沢山送りますんで、なんとかお願いします」

と乗り越えると、デブのおばさんが

「本当に?じゃあ、約束?」

と、ちっちゃい小指を僕に差し出して笑っている。
ジーンとくる僕、

「やっぱ、ニュージー離れないほうがいいかな...」

そう、この時そうするべきだった、しかし遅い、車も売っちゃったし、もうここでは生きられない。またお土産で日本酒を買ってJALに乗る。本当バカ... 車で決めるなよ!

久しぶりの成田、もう旅行じゃない。空気が違う。
更に、イエス・キリストではないけど、壮絶な受難劇がこれからはじまる。

その1、
マーチで迎えに来た妻の御両親、孫と妻だけ乗せて僕の手に電車賃を握らせる義父

「多めに入れたから、好きな納豆巻きでも食べながらゆっくり来い」

「Yes...」

頭が回らなくなると、まだ英語が出てくる。

途中で降りた上野で高級焼肉を死ぬほど食べてから帰った。60万円で売った車のお金、あと残り57万2000円、焼肉もそんなに美味しくなかった、やっぱひとりで食べると美味しくない...


9.
妻の実家に住むことになって、最低3ヶ月ぐらいはのんびり出来ると思ってバイオハザード3を毎晩やっている僕、しかし日本の壁は中が空洞になっていることを知らず、義父の隣の部屋で深夜までゾンビ達を射殺していく。

2日も経たないうち、僕は義父の知り合いの町工房で働くことになる。違う言い方をすると「追い出された」である。じいさん、ばあさん達が仲良くやっている超アットホーム的な工場は、空圧機械の部品を作る下請け会社、事務所の裏に案内されると、ドリルや削り工具を回しているじいちゃん、ばあちゃんが僕を見てお辞儀をする。みんな良い感じ。いじめはなさそうだ...

皆と挨拶が終わる前に旋盤の前に座って早くもドリルを回しはじめる僕、たくましい、軍隊を出たお陰だと思う。その時、隣のおばあさんが油の缶を差し出す。

「油、一個に一回つけてね」「あ、どうも」

旋盤に油缶を置くおばさんの指が4本しかない。一瞬ドキッとする。

「気をつけないと、ああなるからな!」

後ろからの声、振り返るとじいさんがニコニコ笑っている。えっ?.... 前歯がひとつもない。

な、なんだ、ここは!... じわじわ汗が出てくる。なんでみんなちょっとずつかけてるんだ?と思いながらドリルを回す。不安に包まれていく僕、いろんな想像の末いつの間に左手ばっかり使ってる。もし飛んじゃっても右よりましだ。

そして、数日後、あの事件が起きる。今も忘れない、生まれてはじめて聴くあの音と共におじさんの手が僕の足下に飛んできた。この事件についてはエッセイに詳しく紹介してあるのでここではやめたい、っていうより、書きたくない。思い出す度につらくなる。

ぶらぶら、なにもせず数日を過ごすと、また働きたくなるのが人間の本能、違う?という訳で履歴書を持っていったところが高級韓国クラブ。と言っても飛び込みではなく、遠い親戚のおばさんがやっているクラブであるので電話一本入れて面接に行く。

空気が冷たくなった横浜の夜の街を歩くと実に気持ちいい、更に前を歩いていく女のスタイルが抜群なので街の景色は最高である。NHKのドラマ「恋する京都」ではなく「恋する横浜」にしたい。この街好き...

おばさんの店が見えてくると、おっと!さっき僕の前を歩いていたスタイル抜群の女が「クラブ美真」に入っていく。おばさんの店である。

「あれ?...」



続く...
もう無理...












旦那のみなさん、
トイレでオナニをやれば、
奥さんが分からないと思ってるでしょう?
残念! 実は全部分かってます。

分かってるにも関わらず、
あまりにもアホくさいから言わないだけ、

「僕は今まで一回もバレたことない!」と喜んでる方、
メッチャ、バレてますよ、まじで。

女の第六感は犬の鼻に匹敵する、これって人間の約3億倍以上の能力を持っていると言われています。特に旦那の浮気、いわゆる射精に関しては、とてつもない力を発揮し、便器に残っている0.0001mgの精液の臭いも見逃しません。

さあ、これからどうします? 会社でやる?

ここで必殺わざを一つ御紹介しましょう。
シャーワする時します。
終わったあと、お湯で懸命に流してください。

アカデミ賞を受賞した映画「アメリカンビューティ」の冒頭に出てくる旦那のシャーワ室でのオナニ場面、この映画の脚本家、アラン・ボルドウィン、こいつ通です。よく知ってますね、びっくりしました。多分、この場面があったから、アカデミ最優秀作品賞が取れたと思います。

しかし、この僕ちゃんは、シャーワの時もオナニができません。うちのカミサンは犬よりも3億倍以上の探知能力を持っています。

深夜、会社から帰ってきてシャーワとあれを済まし、ベッドに入ります。強いせっけんの臭いからどうやって探知するのか知りませんけど、急に顔が変わってきます。

走る緊張...

あれ? 予想とは反対に優しくなってきた、訳が分からない、なんで? 更に体を密着して僕の耳をゆっくり噛んで行く。

さっき、風呂場で出したばっかりなのに、息子さんはすぐにビンビン。いやー、僕はまだ健康体なんだね! 

今喜んでる場合じゃないのに...

激しいピストン運動の末「いく!」と僕が叫ぶと、カミサンが「口で出してあげる!」と、いきなり超豪華サービス。

何故だ、何故だ、と不安に包まれながら、お尻にけいれんが走る。快楽の末、地獄の扉が開かれる。

ティッシュで口を拭くカミサンの低い声が部屋に響く。

「2ヶ月もやってないのに、ずいぶん量が少ないわね...」

「・・・」僕、言葉が出てこねえ...

「下でなにやった?」

「・・・」僕、まだすっぽんぽんのままである。

「こらー、もうすぐ40なのに恥ずかしくないの!」

「・・・」僕、国に帰りたい、この女怖い...

それから1年半、僕はエッチしたことがない。オナニさえ...
日本生活、まじでつらすぎる。

韓国、帰りてえ...












最近、韓国ドラマが流行っている。

妻と一緒に韓国ドラマを見ていると、役者の後ろの壁にトイレットペーパーが掛かってあるのが見える。

「なにあれ!」と、おもしろそうにきく妻に、
僕の口がこもった。

昔は当たり前に思ったのに、
海外生活10年で今は不自然に見えてきた。
なんとも言えない気持ち。

「トイレットペーパー?」
「それは分かってる、なんで部屋の壁に掛かってんのよ!」

韓国の寒い冬を思い出した。
幼い頃、貧しかった僕の家は外にトイレがあった。

寝る前、母はふた付きの壷を部屋に持ってくる。
そして、トイレットペーパーが掛かってある壁の下に置く。
夜中の便所。

父がお酒でも飲んだ夜は、すぐいっぱいになるので、
僕達3人兄弟はチンチンを窓に出してすました。

白い雪が黄色く溶けていく。
僕は自転車を描くのが得意だった。
弟は車。

次の朝、父が僕の自転車と弟の車の上で滑って半年も入院した。
母はこの時が一番辛かったと今も言っている。

あの韓国ドラマは貧しい家庭を見せようとしたかも知れない。
でも、今はそんな家はもうないと思う。

その貧しさが嫌で、僕は川崎まで流れてきた。

僕にはレトロでも、なんでもない。
ただの記憶。辛い記憶だ...

でも、今、それを懐かしい思い出に変えようとしている。
明日も頑張ろう。
僕、ソウルに住んでいた時、映画に出たことがあります。相手の女優さんは当時韓国でもっとも有名だったチョンソンキョンさん。

この時の僕は輝いたな~!結婚と共に全てが終わってしまった...
僕がソウルに住んでいた時の写真です。

たばこは2才の時から、童貞を失ったのが3才、ハゲになったのは5才、再婚したのが7才...

あとはよろしく。ちなみに彼女募集中です。妻にばれたら多分殺されるけど、でも募集します。

ファイト!一発!