yahoo旅日記の再編集( ..)φ
コチラの続きです。
姫路編なので、書庫は近畿地方に移動。
【3日目】
さて、ツアー最終日。
本日朝イチで向かうのは、言わずと知れた天下の名城・姫路城
国宝、そして世界遺産に指定されていることは説明するまでもないでしょう
ホテルを8時半に出発で10分後には駐車場に到着したかな。お城から1.5km程度の場所に位置するビジネスホテルに宿泊していたのでその点は有利ですね。
姫路城をバックに最後の団体写真撮影(記事では触れていませんが、他に鳴門公園、岬の分教場でも撮影がありました
)。
開城は9時なのですが、開城前にもかかわらず本当に沢山の人がいました。
こういう時は団体客の方が有利。添乗員がまとめて券を購入してくれますし。だって一般客は券売り場の前で長蛇の列だったんです。お~怖。。。
さて、自由時間は1時間半!!もしかして時間って足りない
同じツアー客の人は真っ直ぐ天守閣を目指していましたが、比較的フットワークの軽い我々は西の丸から百間廊下を通り、天守閣を目指すことに…。
ちなみにSWということもあり、結構制限がありました。一方通行でしたし。
ちなみに平成の大改修・工事期間は2009年10月から5年間の予定だったので、天守を見るには滑り込みセーフのタイミングでした
姫路城の歴史はあざらしが説明するよりHPを見た方が絶対いいと思うので、姫路城のHPはコチラ!(決して面倒臭いからではありません…えぇ決して。。。)
あ、そうそう、余談ですが。
姫路城は暴れん坊将軍の撮影にも使われたんです。オープニングとか。
(あざらし、暴れん坊将軍…というか松平健が大好き。TVは幼稚園の頃から欠かさず見てました。歩きながら「ここが健様の住んでたお城なのね」とウットリしてたらさすがにHちゃんに突っ込まれました。でもウットリしてたのは姫路城が美しかったから!ちなみに今でも健様好きのあざらしです…笑)
ところで、姫路城の西の丸は、江戸幕府初代将軍・徳川家康の孫娘「千姫」が城主本多忠政の嫡男忠刻に嫁ぐ際、その化粧料で1618年に造営されました。その昔、西の丸は鷺山と呼ばれ、出城がありました。千姫輿入れの際、鷺山出城を削って上部を平らにし、岩山の削り残しを多聞櫓の馬踏みに利用したそうですよ。
菱の門を入り左へ曲がり坂を上がると西の丸の広場に出ます。正面には、「カの櫓」があります。その右手には長々と繋がる背隠曲輪があります。背隠曲輪は「ワの櫓」-「レの渡櫓」-「ヲの櫓」-「タの渡櫓」-「ルの櫓」-「ヨの渡櫓(西の丸百間廊下)」-「ヌの櫓」-「カの渡櫓」を経て、千姫の「化粧櫓」へと続いています。
百間廊下は、普段は女官の住居として使われていました。
化粧櫓は、菱の門から見上げると左手に見える、美しい格子窓が目を引く2層の櫓。部屋には畳が敷かれ、床の間付きの部屋もありますよ。徳川家から本多家に嫁入りした「千姫」が使用した、城内でも特別の場所です。
あざらし、2014年GW旅が姫路でした。当の然で姫路城にも立ち寄りましたが、修理は完了していたものの(冒頭の通り、修理は2009年10月から5年間)、まだ足場が外され始めたところで天守に入ることはできませんでした。それはそれで、ある意味貴重な姿は見られたのですが、そうそう簡単に遊びに出掛ける距離ではないので、この2009年に見ておいてヨカッタ!と思っています
2014年GWの記事で、姫路城の説明がテキトーに済まされていたのは、この記事で少しだけ詳しく書こうと思っていたからなのでした…笑
それでは、時間制限もありますし、とにかく天守閣へ向かいましょう
姫路城の天守閣は、外観は5層ですが、内部は地下1階・地上6階となっています。
天守閣は万が一、敵に囲まれたとき籠城して最後に戦いを展開する砦。もちろん砦としてふさわしい機能を備えていますが、一方では藩主の権威とシンボルでもありました
問題はここから…。
狭い天守閣最上階にどんどん人が殺到。下りの階段が全く進まない その間にもどんどん横入りされるし、マナーはどうなってるのさ
曲がったことは大嫌いだぞ、チクショー

結局、ほとんど進まず10分が経過。ついに入場制限が掛けられました
上りの階段も下り用になり、とにかく最上階から脱出、脱出

ようやく出られた時には集合時間まで残り15分。ここからまだ駐車場に向かわなきゃならんのよ…。急げ









結構必死に走りました。でも、懲りずに撮影もしました。だって綺麗なんだもん
冒頭、題名にも大改修直前と書きましたが、実はこの時西の丸の外側は足場が組まれ始めていました。でも内側からじゃないと見えない部分だったので、撮影には影響なし。良かった~
さて、ちょっとマナーに言及しましたが、最近日本人でもマナー悪い人って増えてますよね^^;
でも、この旅で(いや、他の旅でも)幾度となく出会った某アジア人といったら…。
バスで団体で乗り込んでくるのは日本人も一緒ですけど、横入りに始まり、数にモノを言わせて場所の独占…等々。良いポイントで撮影したいのは誰だって同じなんだし、ちょっとは考えろって感じです(上記した通り日本人でもそういう人増えてきました
)。本当に腹立たしい。
これはこの後出掛けたカンボジア旅行でも強~~~~~~く感じました。もちろんそんな人ばかりじゃないのは承知してますけどね。。。自分はそうならないように気を付けねば…と思いました。
スミマセン、つい愚痴ってしまいました(;一_一)
慌ただしく見学した姫路城を後にし、次は但馬の小京都・出石へと向かいます


【3日目】
さて、ツアー最終日。
本日朝イチで向かうのは、言わずと知れた天下の名城・姫路城
国宝、そして世界遺産に指定されていることは説明するまでもないでしょう

ホテルを8時半に出発で10分後には駐車場に到着したかな。お城から1.5km程度の場所に位置するビジネスホテルに宿泊していたのでその点は有利ですね。
姫路城をバックに最後の団体写真撮影(記事では触れていませんが、他に鳴門公園、岬の分教場でも撮影がありました

ちなみにコチラは入口手前から撮影。vol.5で載せたライトアップ写真と同じ角度です。

開城は9時なのですが、開城前にもかかわらず本当に沢山の人がいました。
こういう時は団体客の方が有利。添乗員がまとめて券を購入してくれますし。だって一般客は券売り場の前で長蛇の列だったんです。お~怖。。。

さて、自由時間は1時間半!!もしかして時間って足りない

同じツアー客の人は真っ直ぐ天守閣を目指していましたが、比較的フットワークの軽い我々は西の丸から百間廊下を通り、天守閣を目指すことに…。
ちなみにSWということもあり、結構制限がありました。一方通行でしたし。
ちなみに平成の大改修・工事期間は2009年10月から5年間の予定だったので、天守を見るには滑り込みセーフのタイミングでした

姫路城の歴史はあざらしが説明するよりHPを見た方が絶対いいと思うので、姫路城のHPはコチラ!(決して面倒臭いからではありません…えぇ決して。。。)
あ、そうそう、余談ですが。
姫路城は暴れん坊将軍の撮影にも使われたんです。オープニングとか。
(あざらし、暴れん坊将軍…というか松平健が大好き。TVは幼稚園の頃から欠かさず見てました。歩きながら「ここが健様の住んでたお城なのね」とウットリしてたらさすがにHちゃんに突っ込まれました。でもウットリしてたのは姫路城が美しかったから!ちなみに今でも健様好きのあざらしです…笑)
まずは正面登閣口より西の丸への入り口・菱の門へ。

菱の門は姫路城内にある21の門の中で最も大きく、黒く塗られた格子窓と火灯窓が配置されています。
コチラは西の丸の広場から撮影。



進むにつれ、ちょっとずつ見える角度が変わってきたぞ
あ~天気も良いし綺麗だなぁ


ところで、姫路城の西の丸は、江戸幕府初代将軍・徳川家康の孫娘「千姫」が城主本多忠政の嫡男忠刻に嫁ぐ際、その化粧料で1618年に造営されました。その昔、西の丸は鷺山と呼ばれ、出城がありました。千姫輿入れの際、鷺山出城を削って上部を平らにし、岩山の削り残しを多聞櫓の馬踏みに利用したそうですよ。
菱の門を入り左へ曲がり坂を上がると西の丸の広場に出ます。正面には、「カの櫓」があります。その右手には長々と繋がる背隠曲輪があります。背隠曲輪は「ワの櫓」-「レの渡櫓」-「ヲの櫓」-「タの渡櫓」-「ルの櫓」-「ヨの渡櫓(西の丸百間廊下)」-「ヌの櫓」-「カの渡櫓」を経て、千姫の「化粧櫓」へと続いています。
百間廊下は、普段は女官の住居として使われていました。
化粧櫓は、菱の門から見上げると左手に見える、美しい格子窓が目を引く2層の櫓。部屋には畳が敷かれ、床の間付きの部屋もありますよ。徳川家から本多家に嫁入りした「千姫」が使用した、城内でも特別の場所です。
廊下をてくてく

百間廊下から見た城はこんな感じ。

そして千姫の化粧櫓、

コチラは貝合わせをする千姫だとか。
千姫って3代将軍家光と同腹なのですよ。
家光の方が弟です。

あざらし、2014年GW旅が姫路でした。当の然で姫路城にも立ち寄りましたが、修理は完了していたものの(冒頭の通り、修理は2009年10月から5年間)、まだ足場が外され始めたところで天守に入ることはできませんでした。それはそれで、ある意味貴重な姿は見られたのですが、そうそう簡単に遊びに出掛ける距離ではないので、この2009年に見ておいてヨカッタ!と思っています

2014年GWの記事で、姫路城の説明がテキトーに済まされていたのは、この記事で少しだけ詳しく書こうと思っていたからなのでした…笑
それでは、時間制限もありますし、とにかく天守閣へ向かいましょう




姫路城の天守閣は、外観は5層ですが、内部は地下1階・地上6階となっています。
天守閣は万が一、敵に囲まれたとき籠城して最後に戦いを展開する砦。もちろん砦としてふさわしい機能を備えていますが、一方では藩主の権威とシンボルでもありました
内部の撮影ももちろんしましたが、やっぱり外観でしょ!と思ったので写真は今回ほとんど省略。


ま、上手く撮れなかったというのもありますが…f^^;
コチラは天守閣内部より撮影。

中央の道路はJR姫路駅方面へ延びています。
天守閣最上階にある刑部明神。

一応お参りしてみました。ケチケチあざらしは1円しか入れてないけど


狭い天守閣最上階にどんどん人が殺到。下りの階段が全く進まない その間にもどんどん横入りされるし、マナーはどうなってるのさ



本当に進まないのでとりあえず撮影するしかない
さっき通過してきた西の丸、百間廊下方面をパチリ。

さっき通過してきた西の丸、百間廊下方面をパチリ。

ついでに鯱鉾。

結局、ほとんど進まず10分が経過。ついに入場制限が掛けられました



ようやく出られた時には集合時間まで残り15分。ここからまだ駐車場に向かわなきゃならんのよ…。急げ










結構必死に走りました。でも、懲りずに撮影もしました。だって綺麗なんだもん

最後にコスプレおじさんを撮影


実は一緒に撮影もしました…笑
こんな感じで、短い時間でしたが自由時間をフルに利用して姫路城という場所を堪能しました。

冒頭、題名にも大改修直前と書きましたが、実はこの時西の丸の外側は足場が組まれ始めていました。でも内側からじゃないと見えない部分だったので、撮影には影響なし。良かった~

さて、ちょっとマナーに言及しましたが、最近日本人でもマナー悪い人って増えてますよね^^;
でも、この旅で(いや、他の旅でも)幾度となく出会った某アジア人といったら…。
バスで団体で乗り込んでくるのは日本人も一緒ですけど、横入りに始まり、数にモノを言わせて場所の独占…等々。良いポイントで撮影したいのは誰だって同じなんだし、ちょっとは考えろって感じです(上記した通り日本人でもそういう人増えてきました

これはこの後出掛けたカンボジア旅行でも強~~~~~~く感じました。もちろんそんな人ばかりじゃないのは承知してますけどね。。。自分はそうならないように気を付けねば…と思いました。
スミマセン、つい愚痴ってしまいました(;一_一)
慌ただしく見学した姫路城を後にし、次は但馬の小京都・出石へと向かいます


