コチラの続きとなります。
往路は大幅に遅れていたJR瀬戸大橋線。復路は遅れもなく、早め早めの行動で岡山駅まで戻ってきました
岡山駅に到着したのは15時半過ぎ。
その気になれば岡山市内の動物園に行けたのですが、すっごく掛け足になっちゃいそうなので、また次の機会に
ひとまずバス
に乗って、岡山後楽園&岡山城に向かいました。
って訳で、書庫は四国→中国に移動。
日本三名園のうち金沢兼六園は小学生の頃に出掛けたことがあったので、これで実家から一番近いはずの水戸偕楽園だけが残っちゃいました
江戸時代。。。
ある日、園内・延養亭の前庭に降り立ったタンチョウを見て、藩主綱政が瑞兆(おめでたい出来事の兆し)と喜び和歌を詠んだという記録が残っているそうです
またその他にも、庭に鶴が飛来した時や、園内で飼われていた鶴に卵が生まれた時には江戸にいる藩主に知らせていたという記録もあるそうです
あらら、後楽園とタンチョウにはそんな歴史があったんですね。
現在はケージの中で飼育されているタンチョウですが、戦後一時途絶えるまでは、園内を自由に歩いていたそうですよ。
今の岡山城を築いたのは直家の実子、秀家。後に豊臣秀吉の養子になり、年若くして出世を遂げました。そして1590年から現在の場所に本格的な城づくりを開始し、1597年に全ての工事を完了したそうです(秀家は豊臣政権の五大老。関ヶ原後は改易、八丈島に配流)。
この石垣の辺り、天守に向かうまでの間にあった表書院跡では…発掘調査で出土した建物の礎石や遺構は地下に保存し、建物の位置や間取りが地表に表示してありました。
さて、話を戻して、岡山城ですが…
外壁は黒漆が塗られており、太陽光に照らされると烏の濡れ羽色に似ていたため烏城の別名があるんだとか。
残念ながら第二次世界大戦時の空襲で天守が焼失。現在は鉄筋コンクリート造りとなっていますが、外観は再現されているそうです。
さて、これにてこの旅の全行程が終了!!
お土産は高松で購入済。岡山駅で駅弁を購入し、18時49分発の新幹線に乗って静岡駅へ(名古屋で一旦乗り換え)。
2日間、たくさん歩き、たくさん食べ…休み休み動いたつもりでしたが、ものすごーく疲れました
特に名古屋までは大爆睡でした



妊娠中の旅行はこれが2回目でした。その気になれば、あともう1回位行けるんじゃないかと密かに目論んでいます。ま、北海道はさすがに諦めましたが…
相方は広島に行きたいそうですが、さ~て、どうなることやら??
往路は大幅に遅れていたJR瀬戸大橋線。復路は遅れもなく、早め早めの行動で岡山駅まで戻ってきました

岡山駅に到着したのは15時半過ぎ。
その気になれば岡山市内の動物園に行けたのですが、すっごく掛け足になっちゃいそうなので、また次の機会に

ひとまずバス

って訳で、書庫は四国→中国に移動。
日本三名園の1つ、岡山後楽園。


後楽園と岡山城は目と鼻の先。まずは後楽園を散策し、それから岡山城に行きましょう。
それは後楽園>17時まで、岡山城>17時半までだから
入園料¥400です。
岡山後楽園は今から約300年前に岡山藩2代藩主池田綱政が造営し、その後も藩主の好みで手が加えられた江戸時代を代表する大名庭園です。かつて藩主の静養の場、賓客接待の場として使われていましたが、藩内の人々にも観覧が許されていたんだとか。
入園料¥400です。
何故にタンチョウ??

ある日、園内・延養亭の前庭に降り立ったタンチョウを見て、藩主綱政が瑞兆(おめでたい出来事の兆し)と喜び和歌を詠んだという記録が残っているそうです

またその他にも、庭に鶴が飛来した時や、園内で飼われていた鶴に卵が生まれた時には江戸にいる藩主に知らせていたという記録もあるそうです

あらら、後楽園とタンチョウにはそんな歴史があったんですね。
現在はケージの中で飼育されているタンチョウですが、戦後一時途絶えるまでは、園内を自由に歩いていたそうですよ。



旅行がもうちょっと後だったら、綺麗な紅葉
だったんだろうな
高台から見下ろすと、素敵な園内が一望できます。
って言っても広すぎて、全部が見える訳ではありませんが…笑


高台から見下ろすと、素敵な園内が一望できます。


掛け足でしたが後楽園を散策したので、岡山城に向かいましょう。

ここから吊橋を渡ると…

(これは吊橋から撮った写真です
)


夕暮れ時に紅葉
と岡山城をバックに。


これは築城時、宇喜多秀家の頃の石垣。

ちょうど今年2014年の大河ドラマはその頃の話
かつての岡山城は、今の天守より西に300mほど行った高台(石山)にあったそうです。1573年、当時の城主を滅ぼした宇喜多直家が修築し、沼城から移動。
今の岡山城を築いたのは直家の実子、秀家。後に豊臣秀吉の養子になり、年若くして出世を遂げました。そして1590年から現在の場所に本格的な城づくりを開始し、1597年に全ての工事を完了したそうです(秀家は豊臣政権の五大老。関ヶ原後は改易、八丈島に配流)。
この石垣の辺り、天守に向かうまでの間にあった表書院跡では…発掘調査で出土した建物の礎石や遺構は地下に保存し、建物の位置や間取りが地表に表示してありました。
さて、話を戻して、岡山城ですが…
外壁は黒漆が塗られており、太陽光に照らされると烏の濡れ羽色に似ていたため烏城の別名があるんだとか。
残念ながら第二次世界大戦時の空襲で天守が焼失。現在は鉄筋コンクリート造りとなっていますが、外観は再現されているそうです。

おっ!明治時代の写真が飾ってありましたYO

基本的に内部の展示品は撮影禁止
だったので、せめてシャチホコだけでも。。。


入館料¥300ですが、実は後楽園とのセット券があったことに気付いたのは帰宅後のこと。
両方行くならお得な共通券を買って下さいね!!
復路は岡山駅まで徒歩で 岡山駅との往復は、徒歩でもバスでも路面電車でも、自分のお好みで!両方行くならお得な共通券を買って下さいね!!
さて、これにてこの旅の全行程が終了!!
お土産は高松で購入済。岡山駅で駅弁を購入し、18時49分発の新幹線に乗って静岡駅へ(名古屋で一旦乗り換え)。
2日間、たくさん歩き、たくさん食べ…休み休み動いたつもりでしたが、ものすごーく疲れました
特に名古屋までは大爆睡でした




妊娠中の旅行はこれが2回目でした。その気になれば、あともう1回位行けるんじゃないかと密かに目論んでいます。ま、北海道はさすがに諦めましたが…
相方は広島に行きたいそうですが、さ~て、どうなることやら??