久しぶりのブログ投稿です。

1年くらい放置してしまいました。

2008年後半から2010年の前半までの期間で
いろいろとスピリチュアルについて学べました。

その間仕事がそんなに忙しくなく時間があったので、
いろんなことを考えて体験することができました。

今年はまた仕事が忙しくなって
なかなか辛い日々を送っていますが、
スピリチュアルを学んだおかげで
心の持ち方が結構変わり、
以前より比較して楽にやってこれるようになっていました。

まだ忙しいですが、ブログやmixiに
気持ちを向けられるようになった感じなので、
こうして記事を書いたり、
ブログのタイトルを変えてみました。

今回はここまで
最近、ここ1、2ヶ月の僕は「恐怖」や「闇」がテーマでしたが、自分なりにとりあえず納得できてきたようでテーマが変わってきました。

次は「喜び」です。
愛でもなく喜び。

この言葉が今の僕には新鮮で、最近恐怖や闇とばかり向き合っていた守り的思考だったものが、光に包まれる楽しみの思考に関心が向かっています。

以前、ある方からライトリングスをテーマにシータヒーリングというのを受けさせて頂いたのですが、その時に僕の言う「光の輪」というのとはまた違う「喜びの輪」というキーワードを聞きました。

この言葉が凄く新鮮で、衝撃的な感じがしました。

「平和」とか「愛」というとホワッっと光って明るい朝の様なイメージが浮かびますが、「喜び」というとその存在自体がパーッと発光するイメージが浮かびます。

そうイメージしてみると「喜び」の方が凄いパワーがあるのを感じます。

なんで改めてこう感じるのかというと、恐らく僕自身が恐怖との向き合い方がわかってきて心配や恐怖に根ざした思考から変わってきたからだと思います。
というのは、心配や恐怖がある中での喜びというのは脱出とか解放、気休め、隙間の光、などどうしても幸せ感の少ないイメージがあったからだと思いました。
恐怖を分別してそれをベースに考えなくなると無駄なものさしやフレームがなくなるので、喜びはそのまま喜びで光り輝く魂だと感じられるようになったんだと思います。

少し前の日記にも書きましたが、魂の光を感じられるようになってきて、さらにそれが発光する「喜び」のエネルギーを意識する様になってきました。

あらためて考えてみると、「平和」はモチベーションにならなくても「喜び」はモチベーションになりますよね、「相互平和」も素晴らしいけど、「相互喜び」の方がもっと素晴らしい感じがしますね。

心配せずに、戦わずとも、喜びを感じて生きていけるんだという実感を得られれば、今までの僕の思っていた平和よりも、もっと輝かしい平和があるのかと思いました。


これから暫くは引き続き、恐怖との向き合い方の調整(まだ安定していないので)と、どうしたら人が魂から喜べるのかの探求、それと自分自身が喜びをちゃんと感じてそれを表現することを意識していこうと思っています。

そうやって喜びを感じられる生き方を示すことができるようになれば、ライトリングスとしても人が集ってきてもらえるだけの自分になれるのかなと思います。 (そもそも活動があまりないですが。。。)


秋分の日ごろを境にいろんな人に変化がきているようですが、自分にもその変化が意識的にわかるように表れてきました。

今週から新しい勤務地なので、今後しばらくの道場になるのかと思うとなにを学べるのかワクワクします。