雑踏の中
危うく迷子になりかけた君は
僕の袖口を掴んだ

華奢でマニュキュアが似合った君の指は
十数年の時を経て・・・
働き者の奥さん の手になっていた

触れられた感触を
無意識で追ってしまった僕の視線に
気づいた君は
恥じらうように 払いのけた。

“ヤだわ。すっかり、オバサンの手になっちゃったでしょ?”


僕はその言葉が聞こえなかったフリをして、
前を向いたまま 言った。
“この人混みだ。しっかり掴まってないと、はぐれちゃうぞ”

後ろ向きのまま、君の手をひいて
溢れる人の輪の中を 歩き出す。

あの時、放してしまった手には
僕の知らない指輪があった。
そして、僕のジャケットの内ポケットには
家族の写真が入ったパスケース。。。

          

ようやく喫茶店の席に座って
息が上がってる互いの顔が
あまりに情けない顔だったので、
大笑い。

もう二度と会うことはないと思ったあの日。

逢う前は何から話そうかと悩んでいたはずが、
君の顔をみてしまうと
そんなこと、どうでも良くなっていた。

昔のように
互いに憎まれ口を叩きながら、
互いの近況を話す僕ら。


ふいに、君が・・・
“さっきみたいに私を捕まえてくれてたら、違う人生があったのかな” 
と、笑顔で言って・・・

僕は思わず苦笑する。


そうだね。
互いに嫌いじゃなかったはずなのに
僕らの路は どうして途切れてしまったんだろう。 

このあとのどんなに月日が巡っても・・・ 互いの手を握りしめることが
もう無いことを 僕らは 知っている。 

互いに話し合う“幸せ話”は、
決して嘘では無いが
決して 本当でもない。。。



昔と同じ癖で 首を傾けながら時計を覗いた君は
別れ間際に 少しだけ他人行儀にお辞儀をした。

 “じゃ、元気で。”
 “じゃ、な。”

あの頃と同じように 雑踏に紛れていく君の背中を見送って
僕は喧騒の宵闇を歩く。

変わらない人混みとラッシュアワー。
ありふれた 恋人達のわかれが
今も、この街のどこかで繰り返されてる。

僕らはまた・・・いつか 今日という日を 思い返すのだろうか。。。

         

 

勘違い するなよ。。。

 

そう言わない代わりに 男は
優しいフリ、をする。

ちょっと憂いた哀しい目をして
煙草をフカす そのあいだに・・・
いざというときの逃げ文句くらい
考えられるさ。

ヘタに利口で
自分にプライド持ってる女ほど
<安い優しさ>を 都合良く 勘違いしちまうのさ。

オマエも・・・
気がついてないだろうが
結構、“アブナイ”とこ、あるぞ。 オレみたいな男から見たらさ。

利口な女ほど、意外と自分ってモンが見えてないんだ。

         
オレが優しい?
そう感じるなら、まだまだ・・・だな。

そういうのはな・・・
<無責任な優しさ>なんだよ。

本気で惚れてるなら、肌触りのいい優しさだけで
その場をスルーしようなんて思わないぜ。

まぁ・・・惚れた方が 弱くなっちまうから
“期待して” 待っちまうんだな。
ホントは自分でも少し感づいてるクセにさ。

たとえばさ・・・昔のオレを想い出せよ(笑)。
はっきり、答えを出せない奴なら・・・
そんなの、止めちまえ。

 

イイ女で いてくれよ。
いい恋、しててくれよ。
男も女もな・・・黙ってても、顔にでちゃうからな。

オマエ・・・今 しあわせか?

                   
オレか?
昔よりいい顔になっただろ?

笑うなよ。
もう、女に嘘ついたり、セコイことするのは卒業したんだ。
あ、言い切っちゃうと ウソになるか。(笑)


オマエが好きだったよ。
あの頃は言えなかったけど。
・・・言えなかったことを、後悔してたさ。
妙に、男のコケンにこだわってたしな。

 

でも、そんなオレを フッたオマエは正解だったと思うよ。

もう、クドくつもりは無いけどさ、
幸せになって欲しいんだ。
オマエが幸せになってないと
安心して・・・オレも幸せになれないだろーが。


なぁ、いつか・・・飲みたいな。
オレのカミさんと、オマエの旦那も一緒にさ。
・・・って、悪趣味か。

そういやぁ昔、男と女の友情って成立するか?
なんて、オレに聴いたことあったな。

何ホザイてんだって、思ったけど
・・・そういうのも、あっていいかもな。

逢えて・・・よかったよ。
お互いにさ、 格好いい“年寄り”になろうぜ。


        

昔より 少し涙もろくなったオマエは
別れ際、あの頃みたいな笑顔を無理に作って
スクランブル交差点に 紛れていった。

ビルの合間に見えるギザギザの空を
ぼんやり見上げていたら
飛行機雲が見えた。

           

 

オマエは知らないだろうな。
東京へ行く日、空港の端から
旅立つオマエを見送っていたことを。
あの時は携帯なんてなかったから・・・逆に良かったのかも知れないな。
簡単に電話しちまって・・・オマエを引き戻してしまったかも知れない。


なぁ、、、今度逢うときは・・・俺たち、幾つになってるかな?

 

 

       

 

混乱した気分のまま、運転席に倒れ込み
エンジンをかけたまま・・・しばらく車を出せずにいた。

我に返ってバックミラーを覗いたとき、
もうそこには
さっきまで停まっていた車の影は 見えなかった。

ふいに、こみ上げる涙で身動きがとれなくなった私は
いつまでも人気のない駐車場で泣き続けてた。。。

それが、あなたに逢った最後の日になった。


         
         

交差点を曲がった瞬間、
すっかり忘れてたはずの、記憶の断片が
駆け抜けるように 甦ってきた。
まだ、鮮やかに想い出せる自分に苦笑してしまう。

あの日から 気が遠くなるほどの月日を重ね、
あなたは二度目の結婚をし、
今では可愛い子供にも恵まれたと聞く。

そして、あなたよりかなり遅れて・・・
数年前、私もようやく
<家庭>を持った。
               
    
あの頃よりは・・・
素直になったはずだよ。

あの頃と違って・・・
今なら、笑ってあなたと話せる気がするよ。。。


見慣れた住宅街の中でハンドルを切りながら、
記憶の中の変わらぬ面影に
つぶやいていた。

小さな橋を渡ったその先・・・
あなたの家は、昔と同じ場所に建っていた。

しかし、見覚えのある表札はそこにはなく、
真新しいタイルの外観と、リビングの灯りが
一瞬にして 過ぎた時間の長さを教えてくれた。


家の前を通り過ぎた時、
新しい表札の中に<懐かしい名前>を見つけた。
そして、見知らぬ幾つかの可愛い名前も。

私は、車を停めることもなく、
サイドミラーに映る家を一瞥し、
懐かしいその場所を通り過ぎた。

不思議と
もう 涙は出なかった。


いまさら 会って話をする訳でもない癖に
なぜ、あの交差点を曲がってしまったのだろう。

<自分の帰りを待つひと>がいる家へ
進路を変えながら
ボンヤリと 考えていた。

十数年かけて
ようやく、自分の心の傷が乾いたことを確認したかったのだろうか?
それとも・・・成就せずに終ってしまった恋への未練?


薄れていく懐かしさまで、無理に封じ込めることはないさ・・・
ふっと、そんな声がした。

もう、戻れないからこそ・・・愛おしい。
消し去れない痛みなら- 黙って、このまま抱えて歩いていこう。。。

心からそう思えた瞬間、
ようやく、穏やかな感情が胸を満たしていった。

         
 
日曜の夕方、家路を急ぐ車がどこまでも続く。
夕日がフロントガラスを染めてく中に 見慣れた景色が広がってきた。
この坂を下りれば、私の家だ。

『私の・・・“家”、か。。。』
使い古した言葉を、そっと言い直してみる。

幸せに気づくこと、
最近忘れてたのかも知れないな。。。

懐かしい記憶は、夕闇の残照に溶けていき、
坂の向こうの窓の明かりが
いつになく、優しく見えた。
 

風の便りでは
盛大な結婚式をして1年もしないうちに
別れた、ということを 別の友達から聞いた。
別れた理由は・・・あえて聞かなかった。

しばらく故郷には帰らないつもりだったのに
降って湧いたような母の交通事故、家族の入院。。。
早めに都会での学生生活を切り上げ、
帰郷して就職先をみつけねばならなくなった。

適齢期なのに働きながら、夢の続きを探す私の存在は
まだ、フリーターやニートという言葉が
今ほど市民権をもってなかった保守的な田舎町では
奇異な存在だったようだ。

お節介な親戚や年長者の言葉に 愛想笑いで逃げながら
息を潜めて生きるような毎日が始まった。

あちこちに思い出が甦ってくる場所の残るこの町で
崩れそうな自分を支えるには、
自分が思い描いた夢へ向かってる演技を
続けるしかなかった。

           

何度かの不採用通知の後、求人広告を見つけて飛び込んだ職場。
慣れない仕事に忙殺されてたそんなある日、
会社の駐車場の入り口で目に飛び込んできた

・・・見慣れた“車”

ごく限られた友人にしか、Uターンしていることを教えてはいない。
『そら似よね・・・』

まだ、その車の特徴を覚えている自分が 哀れに思えた。

  アポの時間を思い出して 車の脇を通り過ぎようとしたとき、
・・・懐かしい呼び声がした。
そして、変わらない照れくさそうな笑顔も。。。

久し振りの再会だというのに、
平静を装う私の話し方は、
思いっきり他人行儀で、つっけんどんな喋り方だったに違いない。

何かを話そうとするために、何時間も待っていたあなたとの間に
険悪な沈黙が流れた。
結局、あなたとまともに目を合わせようともせず、
私はその場を立ち去った。


あなたに背を向けて歩きながら、
私は-こんな自分を悔いていた。
今 <最後の糸>を自分で断ち切ってしまおうとしていることを
痛いほど感じながら
自分からは もう、どうすることもできなかった。
もう一人の私が・・・気持ちとは真逆なことしかできない私に泣いてる・・・

この時、初めて、
自分がまだ貴方を好きでいることを 嫌と言うほど思い知らされたのだ。

あなたは・・・追っては来なかった。
いや・・・追えなかった、のだろうか。

本当は
自分一人でケリがつけられなくて
あなたからの言葉が聞きたかったはず・・・だった。

けれど、ひとりで苦しみ続けた幾千もの夜の
その<答え>を、
あなたの口から 確かめる勇気が持ててはいなかった。

自分から云い出せないもどかしさが、うらはらな態度になってしまう。。。
何やってんだろう・・・私。
時間が止まったあの日から 何にも進歩して無いじゃない。。。


         
 

 

それから数年後、妹的存在だった職場の後輩と再婚したと
風の噂で聞いた。
私は、まだ何者にもなれず、何者でも無く、
人からは 何故か結婚しないキャリアウーマンと呼ばれている。

この道を曲がるのは 何年ぶりだろう?

今まで数え切れないほど、この交差点を通りながら
決して この道を通ることはなかった。
この交差点を右折し、少し走ったところに
あの人の家が見える。。。

喧嘩別れをした訳でもなければ、
最後に逢ったのがいつだったのかさえ、想い出せない・・・
なのに、その別れは、長い間、私の心に翳を落としていた。




数年前・・・
私は会社を辞め、再度自分の進む道を探すために上京した。

上京してからしばらく、いつも決まって10時過ぎに

あなたからの電話があり、以前よりも長電話をするようになった。

毎回、電話を切ると・・・ たまらなく逢いたくなる。
自分が選んだ道なのに、
逢えない距離と 逢えない時間が
私を苦しめた。

知る人のいない都会暮らしと
思うに任せない自分の夢との隔たり。
いつの頃からか、少しずつ、あなたとの電話も減っていった。


それから1年も経たないある日、
久し振りに帰った故郷の街角で
あなたが年明けに結婚するという話を 共通の友人から聞いた。

私達は ある時点から、 
“気の置けない友人”から“恋人”になっていたことを

周囲に隠していた。もちろん、互いの家族にさえも。

中には、私達の関係に<変化>が起こったことを
感じ取っていた友人もいたようだったが・・・

私達が変わりない様子を演じる間は、
気づかないフリをしてくれていたようだった。

屈託無く、あなたへの結婚祝を何にするかと聞く友達の声に
一瞬、答えることができなくなった私は
トンチンカンな自分の返答を取り繕うことで精一杯だった。

その場所から、どうやって家に帰ったかは
今でも想い出せない。

自分から確かめる勇気もないまま、数日が過ぎた。
あなたからの招待状は届かず、
結婚を告げるあなたからの電話も・・・なかった。

急に言い忘れてたように
“無いはずの試験の予定”を理由に、 
帰郷して間もない実家から港へ向かった。

寂しげな母の表情には胸が痛んだが、
あれほど懐かしかったはずのその街には・・・私の居場所はなかった。

華やかな賑わいの商店街を早足で急ぐ。
ポケットの中にはウォークマンと
上京後に何度か送られてきた あなたのお気に入りのセレクション。

港の桟橋に着いたとき・・・イヤホンから流れてきたのは
山下達郎の“X'mas Eve”。

あまりにもタイミング良すぎるその曲は
BGMにするには 笑っちゃうほど残酷で
周りの人から涙が見えないようにするだけで精一杯だった。

     *  *  *   *  *  *   *  *  *

こんなに時間が経って・・・やっとこの道を通ることができる。
自分では、気持ちの切り替えが早いタイプだなんて
随分と思い上がっていたということを、教えてくれたのは貴方だったね。


あなたの家へ曲がる手前の信号で停まり、

一瞬だけ懐かしいその場所を見る。
 

    ありがとう。どうか幸せでいてね・・・。

あなたへ言えなかった言葉を呟いた時、

信号が緑に変わった。