なべやかん 替え玉事件 | ピーマン色に染まれ

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な、懐かしい…
深夜のテレ東の番組になべやかんが出ていた。

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なべやかんと言えばたけし軍団のお笑い芸人として有名だが、そもそもそのなべやかんが世に出て来た1991年の明治大学の替え玉事件をご存知だろうか?!

知らない人の為に説明すると…

成績不振で一年留年した上に成城大学への内部進学もできず、他大学への受験もことごとく失敗し2年浪人した(通算三浪)なべやかんこと、本名渡辺心(わたなべしん)。
そのため彼の父親(なべおさみ)が明治大学の替え玉受験に手を染め、当時のワイドショーネタとして大々的に採り上げられてしまった(いわゆる「明治大学替え玉受験なのである。
尚、父親である、なべおさみによれば替え玉受験の願書を提出したのは明治大学商学部第二部(夜間)で有った。 (この事が後の芸名「なべやかん」の元となる(後述))

この事件により父・おさみがバッシングにあうなど喧騒の中で、おさみは由利徹に息子の庇護・師事を求め、しばらく付け人として由利のもろもろの世話を…という形でやかんの芸能界生活がスタートする。しかし、替え玉受験でしか大学に入れないような人間が親の七光りだけで芸能界入りしたことには疑問の声が多かった。また、この替え玉事件の余波として当時明治大学教授だった栗本慎一郎が、「大学の腐敗と学生の怠惰に抗議する」と表明して、突如教授を辞任する事態が起こった。

その後、由利の元を離れたけし軍団に加入。深夜番組に出演した際に「替え玉受験で大騒ぎになっている時、実は知り合いのマンションに潜伏していたが、そのマンションの目の前が『身代り不動尊』でした」と述懐して師匠のビートたけし・高田文夫両名に「馬鹿野郎!」と突っ込まれた事がある。たけし軍団入りが大きな話題になったためにそれが芸能活動のスタートという印象が強く、前述の由利徹の付き人経験はあまり知られていない。

芸名も父の芸名なべと明治大学2部(夜間)の裏口入学に失敗した事と夜間を土瓶型道具の「やかん」に引っ掛けた事から命名。ちなみに本名はフィギュアスケート選手の渡辺心と同名の漢字だが、彼女は「わたなべ のぞみ」と読む。また文化放送「吉田照美のやる気MANMAN!」の番組中、本名が渡辺心であることに対し、ゲストの矢沢心から露骨に不快感を表されている。


そうこれがなべやかんのざっくりとしたプロフィールと当時、世間を騒がしたあの替え玉事件である。

たまたま見た暴露ナイトという番組で当時の話をしていたなべやかんを見て懐かしく思ったのだった。

そう言えばなべおさみは久しくテレビに出ていないなぁ~

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若い皆さんはご存じないかもしれないがルックルックこんにちはの人気コーナー女ののど自慢の司会や放送作家の等で活躍したあのなべおさみさんだ。
現在は73歳で2010年からオスカーに所属しているそうだ。

何故、当時あんなにワイドショーで騒がれてしまったのかといえば記者会見で『謎の紳士が楽屋に訪ねて来て替え玉入学の話をして来た。』などと嘘の発言をしてしまったからでした。
しかし、事実なのはたまたま知り合いだった明治大学生の人物にお金を渡し、替玉受験を依頼。
受験をした明治大学の学生は退学処分、なべおさみは釈明会見を行いワイドショーなどで吊るし上げになってしまいました。
確かに悪い事をして世間を騒がせてしまったのかもしれないが…
子供可愛さからなべおさみが必死に考えたことだったのだろう。

そして、なべやかんが言うには…
替え玉で受験生が似てもにつかない青年だったらしいのだ(笑)

受付の人も写真と受験生が全くの別人ということに気づいてしまうだろう。
さすがにもう少し似ている人じゃないとダメだろう。

ただ、大学には入学出来なかったなべやかんだがその後たけし軍団に入りパワーリフティングに傾倒し、世界選手権に日本代表として出場。
1998年にアジアベンチプレス大会での優勝や1998年および1999年の世界パワーリフティング選手権のベンチプレス種目での準優勝など、国際大会で活躍。また全日本パワーリフティング選手権でも1998年,1999年,2000年が準優勝、2001年,2002年には優勝と、安定した成績を収めた。
「たまたま僕の階級は競技人口が少なく、大会で参加者5人中1番になっただけだ」等、本人がしばしばトークのネタにしている。









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