フィリピンの苦悩 | ビコール狂詩曲 ギョウちゃんが いく

ビコール狂詩曲 ギョウちゃんが いく

ビコールの魚屋のブログです。行きがかり上フィリピンに住むことになった時の所持金は、僅か7000ペソ。
その後、山あり谷ありを経て18年後の今もなんとか生きてます。

僕には5人の子供がいる。5人のうち上の2人は、妻の連れ子である。
かつてはその子供たちが、この田舎にある家で、所狭しとばかり駆けずり回っていた。
それなのに今は、一番下の息子だけが一人でこの家をもてあまし加減でいる。
上の4人の子供たちは、目下それぞれが自分の人生を歩み始めている訳だが、
もちろんそのことは親として心強くもあり、喜ばしいことだ。
ただやっぱり本音を言えば時々寂しくなる。
何しろ下の娘2人はフィリピンでは高校生でも、日本でいえば、まだ中学生の年頃だ。
彼女達はなんて言うか分からないが、まだ僕の方が子離れしていないのである。
このブログも、もしかしたらそんな寂しさを紛らわすために、始めたのかもしれない。
今日はその5人いる子供の中から、上から2番目の息子マイケルの話をさせていただこうと思う。

一ヶ月ぐらい前のこと、同じビコールにお住まいの keina さんがブログの記事で(http://blogs.yahoo.co.jp/elnidojapan/5710798.html
 NYK-TDG Maritime Academy について紹介をされていた。日本郵船が出資してフィリピンにできた4年制の船員養成学校である。
実は息子のマイケルはそこの在学中の4年生で、現在タンカーに乗り、アフリカ、中東方面に航海実習に出ているのである。

マイケルは以前、この学校に入る前はビコール大学という地元の国立大学に一年間通っていた。ただその当時の彼は、やりたいことがわからないまま、学校に行く価値も見つけ出せないままに、周囲が行くべきだと言っているから我慢して学校へ行っているようなところがあった。
我慢すると言う行為は、将来自分が我慢したことによって得られる代償が不透明であればあるほど、我慢すること自体に価値を見出せなくなってしまう。
やがて彼と、彼の中で既に崩壊してしまった価値観を押し付けてくる大人たちとの間には、どうにも埋められない溝ができていった

誰もが真面目に将来のことを考えたら不安だらけのフィリピンで、夢や希望、意義や価値といった言葉で、嵌まり込んでしまった絶望のスパイラルから抜け出すのは難しい。
人生をいかに生きるかを語る時に、その大前提である“生存する”ということをないがしろにしては前に進むことはできないのだ。
フィリピンだって、生きるだけなら皆生きてるじゃないか。と言う人もいるだろう。
ただ毎日水とパンを求めて生きるのと、衣食住に満たされて生きるのとでは大きな違いが出てくる。所詮人間は、生きるだけでは満足できない代物なのだから・・・・・・。
まずは人生の意義や価値に言及できるようになる為には生存環境を整えること。
フィリピンでは全てがここから出発する。
そんなようなことを考えながら息子を見ていたら、僕はもう少しプラクティカルに彼と話をした方がいいのではないかと思い始めていた。
そんな時、僕達はNTMAに出会った。


先日、3週間振りに息子からE-mailが入り、そこにはイラン沖やソマリア沖を航行した時のことが書いてあった。
読んでいると船内の緊迫感やクルー達のストレスが痛いほど伝わってきて、そこへ息子を送り出してしまった自分の責任の重大さに思わず押し潰されそうになったほどである。
こんな時、仮にも父親として彼に何を言えば良いのだろう。
ここは男親の意地を見せて、叱咤激励をすべきなのだろうか?
だがフィリピンでさえも、めっきり取りざたされることがなくなってきてはいるが、現在でも多くのフィリピン人船員が人質としてソマリアに捕らわれている。
心配せずにはいられなかった。
出した後で少し後悔はしたが、僕はメールでその正直な気持ちを彼に伝えることにした。
その数時間後、彼からまたメールが送られてきた。なるべく原文に忠実にそれを紹介したいと思う。

お父さん、僕の書いたことで驚かせてしまってごめんなさい。
今は安全なところにいます。西アフリカのアンゴラというところの沖に停泊しています。。
仕事は厳しいですが、そのことは想像していましたので、僕は驚いていません。
あと2カ月もしたら帰れますので、マニラに戻ったら「OOO」に寿司を食べに行きたいです。
PS.
さっきのメールのことは心配するのでママには言わないでください。

息子には悪かったが、既に彼から最初のきたメールは妻に見せていたので、このメールを読んだ時も妻が一緒だった。
妻はこれを読んで「成長したねえ。男だねえ」とおどけて言ってみせたが、こぼれる涙はとまらなかった。
僕は妻を抱きよせながら、これからの息子の人生に思いを巡らせてみた。
2500ドルの代償はあまりにも大きい。

来月息子は帰ってくる。そしてその1カ月後には再び10ヶ月の航海が待っているのだ。
小さな望みを大きな犠牲を払って手に入れなければならない現実に、フィリピンの苦悩を改めて見た。