1. 変化した日常への戸惑いと、見えてきたこと
気づけば、マスクのない日常が当たり前になっていた。
あの3年間は、まるで長い夢だったかのようだ。
突然始まったロックダウン、外に出られない日々、人と会うこともままならない不安。
当たり前だと思っていた日常が、いかにかけがえのないものだったかを痛感させられた。
でも、悪いことばかりではなかったと思う。
オンラインでのコミュニケーションが当たり前になり、物理的な距離を超えて人と繋がれる便利さを知った。
一人で過ごす時間が増えたことで、本当に大切なものが何なのか、改めて自分自身と向き合うきっかけにもなった。
コロナ禍が教えてくれたのは、世の中は常に変化し続けるということ。
そして何気ない日常は時としていきなり手元からこぼれ落ちていってしまう。
そして、どんな状況でも、自分らしく生きる道を模索していくことの大切さだったのかもしれない。
2. 医療従事者やエッセンシャルワーカーへの感謝
あの頃、私たちは家で過ごすことが推奨されていたけれど、世の中にはそうはいかない人たちがいた。
医療の最前線で命を救うために奮闘する人たち。
生活必需品を届けるために、毎日休まず働いてくれた人たち。
感染のリスクと隣り合わせで、それでも私たちの日常を守ろうと尽力してくれた人たちの存在を、私たちは決して忘れてはいけないと思う。
当たり前のように享受していたサービスは、たくさんの人の献身的な努力によって支えられていたのだと、改めて感謝の気持ちでいっぱいになる。
3. 社会の課題が浮き彫りになったことへの考察
コロナは、私たちの生活様式だけでなく、社会の構造そのものを揺るがした。
メディアが流す情報が本当か否かそれさえも分からないような報道が沢山された。
「新しい日常」という言葉が飛び交ったけれど、それは本当にすべての人が望んだ変化だったのだろうか?
オンライン化が進んだ一方で、デジタルデバイドという新たな格差も生まれた。
私たちは、この経験を単なる過去の出来事として片付けるのではなく、未来に向けての教訓として生かしていく必要があるだろう。
