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最高の自分に会いに
こわいまま進んでいる
うみですニコニコ

ぜひ一緒に最高の自分に会いに行きましょう
 

 

 

 

先日お盆前でしたが、母に顔を見せてきました☺️

 

その3日前に久しぶりに夢に出て来て、

ニコニコしていました。

ホント、久しぶりだったな。

何か親戚とかで集まっているみたいで、

たくさんの人とワイワイしているところにいました。

 

で、あ!お盆前だからか!

と思って、

子ども達も夏休みだし行ってこよう、

ってすぐ行けたのもやっぱりうれしい。

 

 

(墓石の文字は父に頼まれて私が書きました~)

 

帰りは高速使わず下道で。

そうしたら、

縁のある名前(戒名が梅月さんなのです)

のお店が有ることを発見びっくり

立ち寄ってお土産購入。

「やっぱり和菓子はいいねぇ」と、長男。

 

タイミングがするする整い

この日も穏やかに過ごせました照れ

 

 

 

 

母は長く闘病していました。

発症は私が小学校一年生の時。

 

入学直前に引っ越し、

お友達が全く居ない中での不安と

母自身の発症への不安とが重なり、

私は入学式の次の日から

登校を全力で拒否していました。

ほぼ1学期の毎朝。

 

母は悩みながらも

毎日、文字通り引っ張って

学校に私を連れて行ってくれました。

正門で、先生にバトンタッチ

(その後は1日大丈夫。

別れるときが、嫌だったみたい)

 

キツかっただろうなぁ

 

その後、

少しずつ進行していく病気と

お付き合いしながら、

働き、子育てをしてくれました。

当時父は、

朝早くでて夜遅く帰ってくる

典型的なサラリーマン。

 

それぞれみんな必死でした。

 

そんな家族の長女なので、

やっぱり母の様子から

ダイレクトに影響を受けます。

 

 

お姉さんだから、怒られる

お姉さんだから、我慢する

お姉さんだから、頑張る

お姉さんだから、母の弱音を受け止める

そんな娘でした。

私に課せられた役割は、

母の精神的な支えになること。

 

と、思っていたので甘えることよりも

我慢するのが上手になりました。

あんまり、反抗もしなかったな。

学校の先生にはしたけど。

働いてからは、金銭的な部分でも頑張りました。

 

きついな

と、思うときもあったけど

私の性格でしょうか

 

この状況から何が学べるか

乗り越えられない壁はない

必要な事しか起こらない

クスッと笑っちゃうエピソード探し

この人の良いところは○○なんだよなぁ

言葉ではこう言ってるけど、本質はここだなぁ

ということを小学生から考えていたのでした。

 

周りからは

大変そうって思われてたかもしれない

 

でも、私はそんな風には思っていなかったかもね。

今振り返ると、大変だなぁとは思うよ。

 

機会があれば  

そんなことも書いてみようかと思いますが、

今は、こんな生き方があったんだなと

幸せを味わえるようになったので、

そのターニングポイントを

じっくり掘ってみています。

 

何のことだか分からなくなりましたね。

 

えっと、3年前の8/16日、母は倒れました。

それまでも、数え切れないほどの入退院をしていましたが

今回は違いました。

救急車の中で蘇生措置、

すぐ緊急手術をして頂きました。

おかげさまで、その後命は繋がりました。

そこから5ヶ月

意識の回復は一度もなかったけれど

がんばりました。

 

倒れる日の数日前に

母から電話が来ました。

私は研修帰りで、

いつもなら後でかけるのですが、

なぜかその時はすぐに

近くのコンビニに車を停めて

かけ直しました。

 

子育てに悩んでいて

長男がとってもその影響を受けていることを

自然と相談していました。

電話の声は

元気だった時の母の声で

たくさん聞いてくれて元気が出ました。

 

最期の言葉は、

「大丈夫よ!あんたの子なんだから!またね!」

でした。

 

なんだか、何十年も心配し続けていたのに

最期の元気な声が

母の思い出の全てになりました。

そうしたら、

よく笑っていたことや

歌が上手かったこと

体が柔らかかったこと

出掛けるのが好きでよくドライブに行ったこと

大胆な失敗エピソードがたくさん有ること

が浮かんできました。

 

倒れた時は

ついにこの時が来てしまった

と、唇を噛み締めましたが

 

旅立つ5ヶ月の間に

楽しい思い出を思い出させてくれて

長男や次男に命の姿を見せてくれて

6年担任だった私のために

(8才5才子育て中での6年担任を決めたのは

母の応援があったから。)

すごいとしか言い様のないタイミングで

四十九日は私の誕生日だったりして、

その後、卒業式も出来て

(本音は袴姿見せたかったけどね)

(次男のランドセル姿も見せたかったけどね)

 

旅立っていきました。

 

 

だから、夢に出てくる母は

一度もつらそうな顔はしていません。

 

それでよいのだと思う。

 

私は、母の娘で産まれてくる意味があるんだろうな、

そこから学んで生かしたことを

そのまま、表していけばいいのかなと思う。