日本がワールドカップ出場を決めました。
これで4大会連続です。
1997年フランスワールドカップアジア最終予選、当時、社会人2年目だった
私は日本が悲願のワールドカップ出場をかけて闘う姿を、生で観たく、
応援して日本の力になりたかった為、この試合を落としたら、終わりの
崖っぷち状態の中で迎えた、敵地ソウル蚕室スタジアムに、日本から1万人もの
サポーターと玄界灘を渡って韓国との絶対に負けられない戦いを日本代表と共に戦っていました。
当時の韓国との関係は、まだ2002年の日韓共催の友好ムードではなく、過去の歴史から、まさに
アウェイのスタジアムでした。
私の座席はすぐ近くに警官隊、その隣りからはフェンスをはさんで、韓国サポーター。
暴動がおきたら、生きて帰れるんだろうか?物がとんできたら怖いな。
とか色々ビビりながら試合開始を待っていると、選手たちが入場してきました。
日本代表の選手たちは皆、厳しい表情で出てくる中、一人だけスタンドの一角の日本のサポーターに向けて
拳を振り上げて答える選手がいました。この瞬間から彼のことが大好きになりました。
北澤豪。
所属チームや独特のヘアースタイルから、ちゃらちゃらしているように見られていたが、
プレースタイルは泥臭く、チームの汚れ役にあえてなれる男、魂のこもったプレーをする男。
赤で埋め尽くされた、韓国サポーターの中ビビっていた私は、今一度この場にいる意味を思い出し、
あらんかぎりの声で試合終了まで日本に届けと声援を続けました。
試合はボールの無いところ、審判からは見えないところで、FWチェヨンスとDF秋田が激しくやりあい、チェヨンスのひじ打ちが、
秋田の顔面にヒットするなど、これが、ワールドカップ出場をかけた国と国との戦い、
今までの不完全燃焼の戦いは何だったんだという位の試合内容で、ボールもよく回って、
2-0でアウェイでの歴史的勝利でした。
この試合のキーマンをあげるとしたら、間違いなく北澤でした。
中田と名波にマンツーマンで韓国選手がついていましたが、彼がさらに前にポジションをとることにより
あきらかに相手は混乱していました。
12年たった今でも鮮明に覚えている、熱い戦い、それからこの試合に匹敵する位の試合には
他に最終予選では
イランとのプレーオフ位でお目にかかれていません。
それだけ、日本が強くなったのか、組み合わせが恵まれているのかは解りません。
全ては本大会で答えが出るでしょう。
頑張れニッポン。