今回の能登地震に際し、

北前船の繋ぐご縁で釧路市から

輪島市に支援がなされたという

ことをちびっぽさんのブログで知った。


いつか、北前船や内田惣右衛門について

書きたいと思っていたので、

今日はそんなことについて書きたいと

思います。



能登地震に対し全国から多大な支援が

寄せられています。

有難いことです。



江戸時代から明治まで、

日本海運で活躍した北前船


北は北海道から大阪辺りまで

買い積み廻船をしていた。

つまり商品を運ぶだけでなく売買を

して利益をあげていた。


昆布やニシン、ナマコや数の子等々が上り荷


下り荷には、米や酒、砂糖や塩、菜種、衣類

等々


北前船の寄港地は数多く、前述の釧路、函館、

小樽始め

今回の能登地震に関連して抜粋すると

酒田以南には、

伏木や

能登は七尾、輪島、黒島、福浦

加賀は、橋立

越前は三国、河野、敦賀などがある。


昆布は北海道から大阪、さらに琉球にも

運ばれている。

沖縄の友人は昆布を良く使うと話していたし

富山は昆布の食文化が豊かだ。


さて、内田惣右衛門については、

大塩まゆみ氏の

「陰徳の豪商」の窮民思想~江戸時代の

フィランソロピー

が詳しい。

以前、大塩氏の講演を聴いて、

内田惣右衛門の存在を知った。


内田家は福井藩の御用達商人に任命されて

以来、特に六代目内田惣右衛門は、多額の

調達金で福井藩の財政破綻を救った江戸時代中期以降に北前船で栄えた廻船問屋であった。


内田家は飢饉の際には窮民救済に協力し、

火事見舞いや病気見舞い、未亡人や高齢者、行き倒れの人も救済していたという。

しかも名を伏せて喜舎、善行をしていたことから、陰徳の豪商と表現される。


以上、ウィキペディア、福井県立大学の

丸山先生、金城大学の元村先生の資料から

引用させていただきました。ありがとうございます。


福井県坂井市の東尋坊近くに、

内田惣右衛門の記念館があり、

以前から行きたいと思いながら

実現していない。


今回の能登地震の際には、

三国も津波警報が出て高台に

避難したそうである。


画像は随分前に🤳したものである。

惣右衛門がいたら、能登地震に対して

そっと手を差しのべてくれるに違いない。


北前船で活躍した

右近家や久保邸を見学したことがある。


内田惣右衛門記念館







内田惣右衛門記念館






北前船