安部龍太郎著

「等伯」上下


下は昨日の朝に読み始めて先ほど読み終えた

長谷川等伯は、30代初めに妻と息子と共に能登の七尾から京へ向かう

七尾で既に腕の良い絵師として活動していたが、それでは満足せずに狩野派を意識し、それを超える絵描きをめざす。


時代は信長~秀吉に更に家康へと変わる

様々な艱難辛苦を経て等伯は絵師としての

最大限の評価を得ていく


作品の文章表現、特に地域や時代の出来事の

ひとつ一つの情景が身近すぎる位に理解が

できる


例えば、能登の祭りのキリコや青柏祭

敦賀の祭り

朝倉や浅井、特に一乗谷朝倉氏

安土城や祥雲寺、比叡山

移動する様子では琵琶湖の港

等々


一方で歴史や宗教については、

勉強不足を痛感

法華宗や日蓮宗の上人や寺院について

千利休のことや

大徳寺についてについても、もっと知りたい


智積院で等伯の楓図や久蔵の桜図は何度も観ているが、毎回、絵の前からは離れがたい

特に久蔵の桜図のあやしい美しさは、

久蔵の早世を意識してしまう

桜図の花びらは5ミリの厚さの胡粉で描かれていると聞いたように思う

胡粉には能登の牡蠣が使われたのだろうか


作品の最後は等伯は70代になって家康のもと

江戸へ向かう


鮮やかな楓図

墨絵の松林図

どちらも素晴らしい

とても読み応えのある作品だった



等伯と同じ能登で産まれた父には

絵の趣味があり、若い時には少し

習ったようだ

父の描いた油絵は我が家のリビングや

寝室、玄関などに掛けている

米寿の少し前、まだまだ元気な時に

七尾の青柏祭と美術館へ行けたのが

良い思い出だ


一乗谷朝倉氏遺跡の唐門

冬の七尾湾