ペットは誰よりもそばにいてくれて愛してくれる大切な家族であり、言葉は話さないけれど理解し合える友人でもあると思っている。
そのかけがえのない命との向き合い方というか自分自身も含めて最後はどうありたいのか、そんなことを思い出し考えさせられたお話でした。
昔のsoraブログを知っている方はご存じかと思いますが、sora家もいつもネコのいる家庭でした。でも、そのネコちゃんたちは今はいません。虹の橋の向こうで暮しています。
ほとんど病気もせず20才過ぎまで長生きしてくれた子もいれば、病気で天寿を全うできなかった子もいました。全ての子たちが愛しくいまも忘れることはありません。
ある日、住んでいたマンションの植込みで見つけて家に連れて来たちいさなネコがいました。問題もなく成長しましたが、10才を過ぎた頃お腹に癌がみつかったんです。
根治手術は無理と言われ薬での治療になりましたが、どんどん痩せて食欲も落ちていきました。家族で交替で一日おきに病院に連れて行って点滴をしてもらい、食事が摂れないため処方してもらった経口栄養剤をシリンジで与えるといった毎日でした。
この強制給餌については辛い記憶しかありせん。
食べる体力も意欲もない子を動けないように大きめのバスタオルでぐるぐる巻きに抱えて、ただ高カロリーなだけの液体(それも絶対ネコが好まなそうな)をシリンジから無理やり口の中に流し込むんです。
この本を書いた方は、生きるものにとって食事をするとはどういうことなのかをあたたかなエピソードを通して教えて下さった。
いっぽう私はというと物言えぬ相手のことを思いやる余裕もなく、ただただ生き永らえさせるためにそれを与えることしか考えていなかったように思う。
思い出すたびにいつも後悔や罪悪感に苛まれてしまう。でもあの時はそうするしかなかったのだという気持ちもあります。
ただ、そんな酷いことをされたあとも私たちの姿を見つけると しんどいだろうに甘える仕草を見せてくれたりそばに来たがったりしてました。辛かった、苦しかったろうにね、ごめんね。。
当時、家族ともよく話をしました。皆がいろんな意見を持っていていろんな迷いがありました。結局どうすればよかったのか、私たちがやったことはまちがっていたのかその答えは出ていません。
何匹ものネコちゃんがsora家で生涯を過ごしましたが、比較的穏やかに年を取り あたかも決められていた刻が訪れたかのように静かに天に召されていった子もいました。それでも後悔は山のようにあります。
なにを望んでいるのかもっと思いを馳せてあげればよかったとか、ちょとした異常にもっと早くに気づいてあげれたら違っていたのではないかとか、もっともっと出来たことがあったのではないかとか。夜中に逝ってしまった子もいてなぜあの時ずっと起きて看取ってあげなかったのかとか。。
物言えぬ彼らが望む最期っていったいどんなだろうと、この本を読んで改めて考えた。確かにペットは可愛い、でも命と向き合うって本当はとても過酷だよね。
最後の子が虹の橋に旅立って6年。
悲しみだけではない。たくさんの笑顔も幸せな思い出も残してくれた我が家のネコちゃんたち。いつかそっちで会える時まで私のことも忘れないでいてね