カーテン屋おおいしの日記 -250ページ目

タッセルコンテスト作品発表その4

義母の命日

今日は義母が亡くなった日。11年まえ。




旦那は25のときに、父を亡くした。


父に替わって、クリーニング屋を継ぐため


整備士を辞めた。


母と2人、クリーニング屋を頑張った。


腕のいい職人だった父から仕事を教えて貰うこともなく。


地味で普通、町なかにある(ぼろい)クリーニング屋。


旦那は、やりがいが見いだせず、ふてくされていたこともあった。


当然母にも八つ当たり。



その後、私と結婚して家を出た。


旦那は、朝早くから実家のクリーニング屋へ出勤した。


「この頃、お兄ちゃんが良くやってくれる」 と、


嬉しそうに、義母が教えてくれるようになった。


(以前は、よくこぼされた)



私は、とても忙しい会社(カーテン屋)にいて、



日付が変わって帰宅するのが、あたりまえ。



あの日も

「遅くなるから」と、旦那に電話。


旦那は

「今日、俺、メシくってくわ」と、義母に言い、


義母は

夕食の買い物に出かけ、それきり帰ってこなかった。




何かあったに違いない


向かったであろうスーパーとその周辺、あちこち捜したがいない。


警察や消防にも電話した。


そして、ようやく、旦那がえたのは


「隣の区で、救急車で搬送された人がいたが、既に亡くなっている」


という情報だった。




くも膜下出血。


八百屋さんの店先で倒れ、あっという間だった。



その後の葬儀や、残った仕事のことや、


息つく間もなく次から次へと難題が怒濤のように押し寄せてきて


もう、なにがなんだか。



旦那を手伝いながらも、自分は仕事を続けたい。


辞めたくない、私にはやりたい事がある。


そう思って、もがきにもがいたけど、無理だった。



仕事を辞め、(ホントは辞めたくないのに)


クリーニング屋の中味をみてみたら


なんてこと、これでは生活できない。


やっぱり、私、働かなくちゃ。


でも、なんで私ばっかり。


思えば、体調が悪くなったのも、この頃からだった。




あとは、いわゆる良くあるコト。


経済苦。不仲。病気。


言うに言われぬ、いろんなコトを乗り越えて、


この頃やっと、落ち着いたかも。


私達のペースが出来てきた。




お義母さん、あなたの息子は、頑張ってますよ。


あいかわらず、口が悪くて乱暴だから


私もつい頭にくるんだけど、クセなんだよね、本心ではないのに。


お義母さんにも、やさしく言ってあげてたら、良かったのにね。


、、、、お義母さんはわかってるか。





頑固で不器用な私達だけど、


これからも、2人で、喧嘩しながら仲良くやっていきます。


安心して、見てて下さい。

























タッセルコンテスト作品発表その3