さよなら妖精 米澤穂信 著
春雨の降りしきる中、つぶれた写真館の前に一人の異国の少女が雨宿りしていた。
これが、ユーゴスラビアから日本へと、日本の文化を学ぶためにやってきたマーヤとの出会いだった。
6つの国が連邦としてできたため、1つの国の中に6つの文化があるユーゴスラビアに、新しく「ユーゴスラビアの文化」という7つ目の文化を創造しようとしているマーヤは、それを実現するために、さまざまな国の文化を学んでいるのだった。
そして、新しい文化の創造のために、訪れた国の「特別な」文化を学ぶのではなく、日常の中にある文化を学んでいるのだった。
いつも通りの日常。
いつも通りの風景。
我々にとっては当たり前のことであっても、ユーゴスラビアから来たマーヤにとっては新鮮なものであった。
何気ない日常の物事に対して、彼女は聞いた。
「哲学的意味はありますか。」
と……
彼女が日本に滞在する2ヶ月という限られた期間の中であったが、そこには、ユーゴスラビアから来た16才のマーヤと、彼女と同世代の主人公たちとの交流が確かにあった。
そう、これは1991年の出来事……
大嵌りの本でした。
本を読むのは、大抵電車の中なのですが、この本を読んでいる最中は、降りるべき駅が近づくと、
まだ着くな!!
と願ってしまうくらいの気に入りようでした。
「日本の日常生活」と、時折マーヤが語る「ユーゴスラビアの話」
これらが絶妙に絡み合って、常日頃「当たり前」と思っていた日常の中にも視点を変えたら、こんなにも不思議なものになるのだな。
と感じられるような本でした。
この本を読んでいる最中、「ユーゴスラビア」という国名に対する、記憶の片隅にある違和感がどうしても離れないため、
途中で、ついつい「ユーゴスラビア」について調べてしまいました。
調べて、知ってしまった事実と、「さよなら妖精」という寂しげなタイトル。
その二つには、何も関係はないかもしれない。関係があるかもしれない。
読みながら、半ばあきらめつつも、マーヤの幸せを願っている自分がいました。
私は調べてしまいましたが、ユーゴスラビアについての知識があろうが無かろうが、そんなことは関係なく楽しめる本だと思われます。
主人公たちとマーヤが過ごす、ゆったりと流れる時間の中と、
激しく変遷する時代の流れ。
ハラハラ、ワクワクといった感じの本ではありませんが、
ゆったりと、
それでいて、しっかりと、
地に足をつけて、一歩、一歩、踏みしめながら歩いていく。
そんな感じがして、好感が持てる本でした。
後味は、切ない感じの寂寥感。
とでも言うのでしょうか。
上手く表現できませんが……
