今日は叔母が訪ねて来ました。

地震の後、叔母の家は母屋の倒壊は免れたものの車庫がひしゃげて車を出せなくなり、電気も水道も止まってしまったため、金沢の息子のマンションに身を寄せています。大事なものはあらかた運び出したけど、息子・娘一家の手を借りられる時は一緒に叔母の家に戻り、少しずつ家の中を片づけているとのこと。叔母の家は倒壊の危険アリと言うことで(叔母の家もちょっと傾いてるけど、無人の隣家が崩れて叔母の家の上に落っこちて来そうあせる)赤紙を貼られているのに、やはり住み慣れた場所だけに、なんとか再建できないかと模索中らしい。

 

今日は、かねてから私に譲りたいと言ってた、叔母が持っていた、というかお守りしてきた持仏を届けに来てくれたのでした。

持仏は高さ7,8cmくらいの鋳物製で、仏様の御像だけだったものに叔母が小さな御厨子を誂え、長年叔母の家の床の間に置いてありました。叔母はこれを大叔父(叔母の父である私の祖父の弟)から譲り受けたそうです。

 

大叔父はずっと関西地方で働いていましたが、私の実家の姓を名乗っていました。大叔父によると、この持仏は実家を離れる者がお仏壇を持つまでの間、身近に置いて信仰する仏様なのだそうです。大叔父は信仰に篤い人で、定年後家を構えて仏壇を作ったので、それを機に持仏は叔母に譲られました。叔母は嫁いで姓が変わった後もそれをずっと大切にしてきましたが、一昨年叔母の夫(義叔父)が亡くなって仏壇を作ったので、持仏は私の許にやってくることになりました。

 

私は信仰心もご先祖様に対する思い入れも薄いし、子供もいないし、叔母の娘に譲ったら?と言ったのですが、元々は私の実家のもので、実家の姓を名乗る者が持つべきだからと説得されました。妹は実家の跡継ぎなので実家の仏壇があるから、持仏継承者としては対象外らしいです。

 

大叔父が自分の息子(次男)ではなく叔母に譲ったことを考えると、この持仏は大叔父が買ったものではなく、元々実家に有ったものを、曽祖父が家を離れる大叔父に持たせたのだと思います。しかし私の実家は本家なので、『家を出た者が持つ』持仏を曽祖父が持っていたのは変です。

『家を出た者』が『分家して家を出た者』になったのは、大叔父が初めてだったのでは?それ以前は、おそらく旅で家を離れる人が携えていたんじゃないかと思います。

 

大叔父は大正始めころ(1910年前後)の生まれ、大叔父の祖父である高祖父は江戸末期の生まれになりますが、この高祖父は北前船の船頭でした。実家の蔵には今も、船が沈んでも浮いて船のお金や貴重品を守ると言う船箪笥が残っています。

北前船は春に大阪から北海道へ向かい初冬に大阪に戻るまで、行きも帰りもずっと寄港地で商売しながらの海上暮らし、家に戻るのは冬の間だけです。家を出ればまさに“板子一枚下は地獄”の船での生活で、小さな仏様を身近に置いていたとしても不思議はありません。

私が譲り受けた持仏は、この高祖父の持ち物だったのではないかと思います。もう一代前、高祖父の父もまた北前船の船頭さんだったので、この方もこの持仏を信仰していたかもしれませんね。

 

それより古いご先祖様については資料も言い伝えも無いので、わが家の歴史がたどれるのは1850年頃まで、精々200年程度ですが、縁あって代々わが家に伝わる仏様を私が持つことになりました。信仰心は無いけど、大切にしていこうと思います。

まずは猫たちのアタック!から守らなくては滝汗

 

 

仏様の写真は畏れ多いので、叔母のお土産の猫缶の写真を。

 

中身はチョコレート。包み紙まで可愛くて、食べるのが勿体ない。

 

さて、明日は雨も上がるようです。

鉢土があんまりビチャビチャでなければ、ブルーベリーを植え替えたいな。