帝大の有名な教授は歩きながら思索にふけっていたそうです。パスカルは葦の弱弱しさから人間は考える葦だという風におっしゃったみたい。ネットのコラムで、脳科学者が歩いて考えるのはいいとかなんとかという文章を読んだような記憶が。
哲学のような高尚なモノには縁がない自分。方法序説とか高校の時に読んだような…。最近に始まったことではありませんが、歩くようにしています。
中国では、意外に歩くことが多かったような。タクシーも日本と比べると安いのですが、地下鉄やバスを利用したり、歩いて街を見るのも悪いモノではないかと。喫煙者でコーヒーが好き。扱っているコンビニは少ないのですが、台湾の伯朗咖啡を片手にぶらぶらと。街中では、中国語や上海語が飛び交い、たまに日本語等の外国語が聞こえる程度。友人と談笑しながら歩くこともありますが、待ち合わせまでの時間や時間ができると、ぶらっと。一人の時は、ヘッドフォンから流れる曲に交じりこむ雑音を聞きながらいろいろと考えるのもいいかと。中国語も長くやってますが、外国語なので聞こうという気がなければただの雑音。日本語はいやでも意味が入ってきてしまってちょっときついですが、車の音と交じって雑音化。一人でも、友人とでも雑音とか入ってきますが、歩きながら考えるとPCの前で、ペン持って書きなぐったメモの前であれやこれやと考えるよりも、するっといい考えや打開策がうかんできたり。
歩きながらでは視覚、聴覚に続き嗅覚などいろんなモノが入ってきますが、聞くともなしに聞くとかそういった感覚の中でいろいろと考えるのはなかなかのモノ。人と話しながらは流石に失礼ですが、聞きながら考えにふけることも。中国語で話しながら考えていると、中国語でアウトプットされてきたり。。。いろいろ。
流石に人がうじゃうじゃいる百貨店内とか地下鉄内では難しいですが、交通量もまばらで人がすくないとこや裏道的はちいさな通りはなかなか。九段下から秋葉に向かう道とか、歌舞伎町の二郎から新大久保に登っていく道とか…。