欧米の大学院で学んでいる友人が苦労しているみたい。


点数が足りなければそれまでですけど、精神的にも体力的にもまいっちゃう人もいるとか…。





努力して報われることと報われないこと。


結局は周りからと自分の問題かと。簡単に数字や何かしらの基準を満たすことが目標であれば、周りからの評価。また、認められたり、称賛を浴びたりといった周りからの評価。その評価を得られて自分が評価されている、もしくは報われたという意識があれば報われたと言えるかもしれないし、自分の評価の度合い次第。周りがいて自分がいるので、接する人間、年齢、収入、文化的背景で変わってきて…。


努力の結果の成功というのは、富であったり、名声であったり、自己満足の延長線上にあるものだったり、自己内で完結するもの様々。





努力が報われないというのは、ただの言い訳で半端な努力で期待をするから報われないと思う。という言葉を高校時代に学びました。努力をしてないようで、さらっとこなす人間もいれば、はたから見ていて痛い程の努力をしているのに報われてないなと思える人も。


いろいろと頑張るとか、努力とか、強制・義務が入ってくるとモチベーションも効率も落ちるのではないかと。努力としなければという考えがある時点で、いやいやながらなのかなと思えたり。





努力は報われた方がいいのか、報われない方がいいのか…。


気になる人が成功していて、自伝的なモノを読んだりすると、自分から見ると、ここまで相当の努力をされて、リスクを取ってきた結果だろうと思うのですが、努力が報われたとかそういった考えはないように感じるところが。努力ではなくて、自発的というか、まだ、成し遂げていないので、報われたとかという感情は、はなからないという感じ。走り続けて、まだ中間地点にも届いていないという…。


努力が報われたと感じると、そこで完結、完了、満足で終わってしまうのではないかと。報われたと思うときは、何もかもやり終えてリタイアするときなのかなと。そうであれば、報われないままの方がいいのかも・・・。