中国にいた時分、政界へ進出された日本伝統文化の総本山的な財団法人の中国支部PRのお手伝い、香港人経営のクラブでのイベントのPR・キャッシャー、日本企業と上海体育総会が開催するマラソンでの通訳、工場開拓と買い付け通訳、企業のアウトソーシング団体立ち上げ、旅行者の口コミ等を発信するバー→失敗、和風なバーでお手伝いといろいろやってきました。が、学生時代の半分以上はだめだめでした。今も大して変わりませんがwww
アウトソーシングのお手伝いの立ち上げは、初期スタッフの名刺デザインが完成して、自分らだけ名刺サンプル作ったところでダメになりました。そのときは、初期投資は全く言っていいほどの額でしたので、イタでにはいたりませんでした。大企業さんやら新規事業にしたいとのベンチャーさんから安く買い叩かれるとか、ありもしないようなことを心配して、団体はなくなりました。実際、法人営業の方とお会いしてお話はしましたが。
イベントはまずまずの時と全くの時の差が激しく、本番より本番までの準備段階の営業がおもしろかった印象。フライヤーをデザインしてもらって、2000枚程刷ってポスターも作って大学構内に無許可で張り出して教務部に呼びつけられたりwww後日、パフォーマーのDJ、ダンサーの方々と打ち上げで、そのままHSK高級のテストうけたりwww
行きつけのバーでは、バーテンダーの方とプライベートでも仲がいいので、朋友買単でわけのわからない会計でほぼタダ飲みしたり。
そんな中、金融方面っておもしろそうだなぁと思って漠然とそっちに行きたいと思っていました。日本には1年に1回は帰っていて、その時にハゲタカ読んで、見て、最近借りて映画見て、そういった本を読みあさるようになってMAばかり読みました。なぜ金融という分野のほんの一部のMAだけに興味が沸いたのかわかりませんがw
ある独立系の法人部の方へのアタックが通じ、守秘義務内でのディールとか、実際の最前線の話を聞く機会がありました。ざっくばらんに話してもらえたと思います。一番おもしろく感じました。
法人部の方とは違う方で、向こうで投資助言を活動の主としている方と話す機会があり、彼は意気投合していただけたのか、自分とそういった方向へ向かおうと考えていました。学生ビザが切れるので日本に帰って来て、話詰めて、その方が一人で相当のマンパワーを提供してくださるというので、社会起業家として非営利団体を立ち上げて小さな案件から進めていこうかなと思っていました。
いろいろあって断念。投資助言の方の社外パートナーとしてコンサルという位置だったでしょうが、一度に7,8件進めて3ヶ月後に結局1円の取引でしたというものがほとんどになるということで、目の前の生活もできない。どう考えても無理だと。
よく周りから変人扱いされます。就職活動に向いていないそうですが、年齢的にもちゃんとした社会人にならなければ……。ダメだったら次の一手。走りながら考える。