同じ言語を有する者同士において本来、意思の疎通が簡便であるのが常識

しかし環境や考え方の根幹の温度差、或いは聞き違いや言い間違いなどにより会話が

成り立たないこともある

紛争の種になることは、一般人の私においてはそうそう有ることではないけれど、

イライラしたり逆に微笑ましく思えることもある


昨夜のこと


とあるインドカレーのお店

夕食を摂ろうと初めて訪れたお店

店外のメニュー看板を見て機会を窺っていたお店


お客様は誰もいなくて私だけ

調理とホールを兼務しているらしいインド人風の男性が切り盛りしているよう

あえてインド人「風」としたのは、確認を怠った為なのだがそれを確認するに至らなかったのは事実


ランチメニューとディナーメニューを差し出されて

イ「ランチでもディナーでもどちらでいいよ」


外国人特有の流暢でない日本語で教えてくれる

メニューを考える私



ランチメニューとディナーメニュー

違いがわからん

明確な違いは値段だけ

ランチメニューはディナーのそれのおよそ半額


大阪人の全てがケチなわけじゃないけど、たぶん誰だってコレくらいの経済観念は

持ち合わせてると思う

私「ランチBで チキンと日替わりカレーで」


いくつかのカレーから2品チョイスできるメニューは、中身が昼夜同じ

飲み物を付いていてお得感120%

私「アイスコーヒーで」

イ「ん~ チャイはインドの紅茶ね」


チャイを勧めていることは明らかに伝わるが、珈琲党の私は食後の珈琲は大好物

しかし、やさしさライセンス2級の私は彼の気遣いを無駄にすることはしない

私「じゃチャイで」


ここに私は日印友好の架け橋となったと感じた

言葉は違えど、食を通じて意思の疎通を図ることができた


はずだった


ナンをお代わりしたのだが、それでもまだ何か物足らない

メニューを斜め読みして、インドピラフ(ブリアニ)の注文を試みようとした


私「すいません このブリアニを追加してください」とメニューを指差す

イ「ブリアニは日本のお米だと美味しくない」

(なるほど インド料理にはインドの食材が最適だと教えてくれているぞ)

私「あ、そうですか でも美味しいいんでしょ?」

(インドのピラフは美味しいんでしょ?の意)

イ「インドのお米 硬いお米 ブリアニはインドのお米・・・」

(困らせてしまったようだが、腹を括った私は既にどうしてもブリアニを食したい気分)

私「日本のお米でもいいからブリアニをお願いします」

イ「日本お米 美味しくない インドのお米美味しい」

(円周率の循環小数の如く、言葉を重ねるインド人風のおじさん)

私「日本のお米はあるでしょ?それで作ってよ」

イ「できない できない インドのお米 日本より長い・・・」


日印友好の第二の架け橋工事が完了したことを意味した彼の言葉は、

イ「ブリアニはインドのお米で作るのですが、あいにく切らしているので売り切れです」

※私の解釈



家路の途中に目立たないインド料理を見つけた

車を路肩に止めて入り口の立て看板のメニューを見る

先ほどのお店と変わりないメニューと値段を確認しているとウェイターが出てきた

イ「いらっしゃいませ お席をご用意できますよ」

(なんという流暢な日本語だろう コルカタやムンバイでこの人と出会ったら私のインド旅行はとても有意義なものになるだろう)

私「いや、今ご飯を食べてきたのでまた来ますよ」

(おそらくこの方もインド人だと思うのだが未確認のためインド人風である)

私「駐車場は近くにありますか?コインパーキングでもいいんだけど」

イ「店の前に停めておけばいいですよ」

私「そりゃダメでしょ(笑)」

イ「それはダメですね(笑)」


車のナビに地点登録したのはゆうまでもない

私のインドとの触れ合いは、まだ始まったばかりなのである