
今日は神戸の御影で、座(コンステレーション)研究会でした。
幸運と不運と自分
運がいいとか、わるいとか、それっていったい何だろうという、
ある方の素朴な疑問から、コンステレーションを開いてみました。
ある方の素朴な疑問から、コンステレーションを開いてみました。
幸運と不運というのは
表裏一体で不可分
幸運の代理人である私と、不運の代理人であるもう一人の方は、
ずっと背中合わせにくっついたまま、まるで独楽のように右回りに回転しつづけて…。
ご本人の代理人は、それを見ているという動きがありました。
ずっと背中合わせにくっついたまま、まるで独楽のように右回りに回転しつづけて…。
ご本人の代理人は、それを見ているという動きがありました。
運気には
いいもわるいも
なかった
お天気に、晴れの日や雨の日があり、
一日には、昼と夜があり、世の中には、男と女がいて、
陽の気と陰の気が周期的にやって来るように、
運気というのは、つねに回転しながら周期的に移ろいゆくものなのですね。
一日には、昼と夜があり、世の中には、男と女がいて、
陽の気と陰の気が周期的にやって来るように、
運気というのは、つねに回転しながら周期的に移ろいゆくものなのですね。
それなのに、「晴れの日はいい天気で、雨の日はわるい天気」などと、
こちらの都合で勝手にレッテルを貼って、一喜一憂している私たちのほうが、
運気がいいとか、わるいとか、幸運だとか、不運だとか、騒ぎ立てているだけなのです。
こちらの都合で勝手にレッテルを貼って、一喜一憂している私たちのほうが、
運気がいいとか、わるいとか、幸運だとか、不運だとか、騒ぎ立てているだけなのです。
ただ、たしかに、個々人それぞれに星の巡りによる運気の周期があって、
星たちのエネルギーなどからかなりの影響を受けていることは、
星たちの代理人を配置したコンステレーションで、
もはや体験済みなので間違いはなく、
要するに、その運気の上下動や流れに調和した自然な生き方をしているのか、
あるいは逆に、エゴの都合で運気に逆らうような不自然な生き方になってしまっているのか、
といったあたりが、幸運だと感じるのか、不運だと感じるのかといった、
受け取り方や感じ方の違いとして表現されている、
ということだったようなのです。
星たちのエネルギーなどからかなりの影響を受けていることは、
星たちの代理人を配置したコンステレーションで、
もはや体験済みなので間違いはなく、
要するに、その運気の上下動や流れに調和した自然な生き方をしているのか、
あるいは逆に、エゴの都合で運気に逆らうような不自然な生き方になってしまっているのか、
といったあたりが、幸運だと感じるのか、不運だと感じるのかといった、
受け取り方や感じ方の違いとして表現されている、
ということだったようなのです。
つまり、運気の自然な動きや流れに抵抗すれば、
不運だと感じるような事態を引き起こしてしまうことになり、
それとは逆に、運気の自然な動きや流れに調和した在り方であれば、
幸運だと感じるような生が展開してゆくということなのです。
不運だと感じるような事態を引き起こしてしまうことになり、
それとは逆に、運気の自然な動きや流れに調和した在り方であれば、
幸運だと感じるような生が展開してゆくということなのです。
「晴耕雨読」という在り方
晴れの日は田畑を耕し、雨の日は家の中で本を読むといったような、
ごく自然な生き方や在り方をして生きていればよいのですね^^。
ごく自然な生き方や在り方をして生きていればよいのですね^^。
お昼間に星々を見たいと駄々をこね
夜になって太陽の日差しを恋しがる
そのような生き方や在り方では、誰だって不幸に苦しんで、
「あぁ…、なんて私は不運な星の下に生まれてしまったのか…」と、
嘆き悲しまざるを得なくなってしまいますよねぇ^^。
「あぁ…、なんて私は不運な星の下に生まれてしまったのか…」と、
嘆き悲しまざるを得なくなってしまいますよねぇ^^。
<記:高落 伸>