仙台城ガイドボランティア会のブログをごらんいただきまして、ありがとうございます。
青葉山にある伊達政宗様の築きし”仙台城”から宮城県内にある国宝の建物のうちの一つで由緒ある”大崎八幡宮”まで直線距離にしておよそ6km、車だとだいたい20分ぐらいでしょうか。
仙台を訪れたら、仙台城の次ぐらいに足を伸ばしてでも訪れて頂きたいのが杜の都の守護神でもある”大崎八幡宮”。
その歴史は平安時代にまでさかのぼります。大和朝廷が東に勢力を拡大して、蝦夷との抗争を繰り広げていた頃、坂上田村麻呂が武運長久を祈念すべく武門の守護神である宇佐八幡宮を現在の岩手県水沢市に勧請し、鎮守府八幡宮として産声を上げました。その後、室町時代に奥州管領だった大崎氏が自領内の現大崎市田尻町に遷祀し崇敬したので大崎八幡宮と呼ばれます。
秀吉の奥州仕置によって大崎氏の滅亡後は、伊達政宗様が居城の玉造郡岩出山城内の小祠に御神体を遷し、仙台開府後仙台城の乾(北西)の方角にあたる現在の地に祀られたのですが、何事もコラボが得意な政宗様。この大崎八幡宮と旧領の羽前国米沢にて代々崇敬していた成島八幡宮
と共に祀ることと相成りました。
社殿の造営にあたっては、当代随一の工匠が招聘され、社殿は豪壮にして華麗なる桃山建築の一斉を風靡した最高傑作であり、伊達六十二万石の総鎮守として今も漆黒の威風堂々な社殿がみなさんのお越しをお待ちしております。
さて、この”大崎八幡宮”には3つの鳥居があるのをご存知でしたか?
先に紹介した由緒正しき社殿にたどり着くためには、3つの鳥居=”さんとりい”をくぐらなければならないのです。それでは一つ、一つご紹介していくことにいたしましょう。
まずは、一の鳥居から
国道48号線に面した鮮やかな朱色が眩しい”赤い彗星”のような存在感
こちらは、昭和63年に御鎮座380年を記念して奥田建設さんが奉納したものなのです。
続いて二の鳥居です。
書かれているように、もともとはこちらが一の鳥居だったのですが、昭和63年に前に鳥居が出来たので、今では二の鳥居となっています。
一の鳥居に比べると、少し地味な印象を受けるかもしれませんが、こちらは寛文十八年(1668)年に伊達綱村公が寄進した356年の歴史の重みを感じさせる正真正銘の年代物。
石造りなので燃えたり、朽ちたりということが無かったのかもしれません。
昭和20年7月10日未明の仙台空襲の戦火をも乗り越えた”元一の鳥居”。
読みづらいかとは思いますが、この石鳥居に刻まれた文字を読めたらちょっぴり嬉しいかも。
そして、おおとりが”さんとりい”こと三の鳥居です。
こちらの説明書きにもありますが、注目は五代藩主の伊達吉村公が揮毫した扁額
鳥が仲良く二羽向かい合っている姿をデフォルメした「八」の字に、「幡」も「宮」も力感があって、本当に見事。そしてその扁額を伊達家の家紋オールスターズが周りを固めている。
これ、言われないと見逃してしまう可能性大なので、ぜひとも写真に収めて頂きたいです。
この三の鳥居をくぐると、社殿はもうすぐ
黄金の龍が向かい合っている。そう言えば今年は辰年でしたな、御利益ありそうな予感!
仙台にお越しの際は”るーぷる仙台”という循環バスが仙台駅から出ておりますので、そちらに乗車して頂くと、仙台城も大崎八幡宮も立ち寄ることが出来ます。
3つの鳥居をくぐって、あなたもお願いごとにTRYしてみては?