戯(たわ)けの語源を知っていましたか? | 「ガイドが教える 仙台城を10倍楽しむ方法!」

「ガイドが教える 仙台城を10倍楽しむ方法!」

仙台城のボランティアガイドが、仙台城の魅力や伊達政宗のトリビアな話を出し惜しみせず、ボリューム満載で語り尽くしまーす。(^_^)

仙台観光をお考えの方は、旅支度の前に予習としてご一読を頂ければ、仙台城が10倍楽しめるかも。

仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。m(_ _)m

三谷作品への人気が高いからなのか、周りにも観ているという人が結構多いのが、現在放映中の大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」。

俳優陣がなかなか豪華なのと、奇想天外な「三谷節」的な演出、あとはなかなか取り上げられることの少ない源平合戦以降の鎌倉幕府創成期の頃というニッチな部分に人々の知りたい欲求をくすぐられるのかもしれません。

さて、大河ドラマや時代劇といえば、独特な言い回しや言葉遣いが出て来ますよが、その中でも、特に織田信長役の俳優が使っているイメージが強いのが「戯け(たわ)け」という言葉。
 

「この たわけもの!」

「たわけが!」

家臣や仕える者が粗相をしたり、主君の意に反した行動をとった時などに発せられるあの「時代ものダメ出しセリフランキング」1位?の言葉。

さすがに現代では、不始末をしでかした部下に対して上司が使っていたら、「あんた、いつの時代の人?」とか、「時代劇にかぶれ過ぎじゃないの」と冷めた空気になってしまうことは必定でしょうけど。

この「戯け」という言葉の語源をご存知でしょうか?

実は「たわけ」=「田分け」なのです。

農家において、例えば次男坊が嫁をもらって独立するとなった時にわずかな田畑を分け合うと、結果的に収穫量が減ってしまい、互いに不利益を被ってしまうということから、「田畑を細かく分け与えるのは馬鹿のやること」という意味から来ていると言われているのだそうです。

なんでも主に中部地方で古くから使われて来た言葉のようで、次男坊、三男坊は一生実家の働き手として生きるか、住んでいる土地を捨てて、田畑を新たに開梱するか、街場に出ていって商いをするなど、チャレンジを求められる時代だった。

そこに目を付けたのが織田信長です。

田分けをしたのでは、収穫量が減る。かと言って今のままでは次男、三男が住み慣れた土地を離れていってしまう。「じゃあ、俺の親衛隊を作るから来ないか?」と言って、信長直属の部隊を農家の跡取りになれない次男、三男を中心に組織され、兵農分離が促進されたということなのです。

「戯け」のセリフが一番よく似合う信長が、実は「田分け」のピンチをチャンスに変えたというお話しなんですね。(半沢直樹っぽい)

果たして政宗様はこの「戯(たわ)け」って言葉、遣っていたのかな。

 

※昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。