働き方改革は無かった?仙台城築城時の庶民 | 「ガイドが教える 仙台城を10倍楽しむ方法!」

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仙台城のボランティアガイドが、仙台城の魅力や伊達政宗のトリビアな話を出し惜しみせず、ボリューム満載で語り尽くしまーす。(^_^)

仙台観光をお考えの方は、旅支度の前に予習としてご一読を頂ければ、仙台城が10倍楽しめるかも。

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それまでの居城岩出山から仙台へ城を移すことを決めた伊達政宗様。

 一応、國分氏のもともとあった「千代城」をリフォームすることになるんですが、それなりにお金も掛かるし、労働力も必要。

 政宗様は慶長6年(1601年)2月1日から5月5日までの間に、以前の岩出山から仙台に武士と庶民を強制的に移住させました。(伊達家は、米沢から岩出山へ移るときも強制移住を実施しました)
 

 さらに、仙台城の築城に際して15歳以上75歳までの男子が戸毎に1人ずつ午前6時~午後6時まで連日労役に服さなければならなかったそうです。

 

肉体労働の早出・残業はさぞかし楽では無かったことでしょう。(>_<)

その報酬は、1日 七合五勺(約1キロ)のお米が支給されたとのこと。

 

今の貨幣価値に換算すると、日給どれぐらいにあたるものなのか、、、。

慶長6年(1601)の1月11日から工事が始まって、4月14日には普請完了前の本丸に政宗様が移られます。そして5月18日には城内、城下とも一応の完成をみるに至りました。

ただし、本丸大広間が完成したのは慶長15年(1610)のことでした。

 

仙台城は名も知らぬ多くの庶民の協力があって、築かれたものであることを忘れてはいけません。

 

※昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。