安倍元首相が凶弾に倒れて以来、旧統一教会の問題がマスコミを
賑わせています。
それは宗教と自分との関係をあらためて考え直す機会になりました。
今から9年前に自らの宗教観について書き記した記録を読み返して
みると、いまの考えと全く変わっていないことが分かり、ある意味
宗教についての自分の考えはこれだと確信しました。
このブログにも書き残したくなり、以下転記させていただく次第
です。
私は特定の宗教を信仰していない。というよりいずれの宗教にも
違和感を感じている。
しかし全くの無神論者かというと、そうでもない。正月には初詣
にも行くし、お寺で手を合わせることもする。
似顔絵師でイラストレーターの山藤章二氏によれば、彼のお母様が
人間を超えた存在を「何ものか様」と呼んで拝んでいたそうで、
山藤氏は自分も「何ものか様」をという目に見えない存在を信じて
いると述べておられた。
私も全くの同感で、人間は万物の霊長などと思いあがって良い訳は
なく、否むしろほんの小さな存在であり、それこそ「何ものか様」
に生かされていると思っている。
「何ものか様」はキリスト教では「ゴッド」であり、イスラム教で
は「アラー」であり、仏教では「仏様」であるかも知れない。
いずれにしても形の見えない人間を超越した存在に、なにか導かれ
ているような気がしている。
だからこそ、その「何ものか様」に感謝し、家族の無事を祈り、
自ら戒めることを誓うため手を合わせるのである。その対象は寺社
だけでなく、太陽や月であったり山や海や大木でも構わない。
神社や寺はむしろ手っ取り早い場所でしかない。ましてそこに祀ら
れているご神体やご本尊を分かって拝んでいる訳ではないのである。
まったくいいかげんな信仰心である。
伊勢神宮の式年遷宮で、ご神体は天照大神であるが、実際は鏡か
何かを何十人もの神職が白い幕で四方を囲みながら、いかにも仰々
しく新殿に移動させている映像などを見ると、白けてしまうので
ある。鏡や仏像が「何ものか様」とは信じられないのである。
しかしこの特定の何かと決めない信仰こそが、むしろ良いのだと
確信している。
作家の司馬遼太郎氏は「宗教は、空気や水のような存在である内は
いいが、正義という名を借り錯覚に陥ると、最悪の悪魔になる」と
言われた。
世界でも国内でも宗教に起因する争いのなんと多いことか。異教徒
や他宗派に対しての激しい排斥、強い憎しみ、果ては集団殺戮、昔
も今も世界で争いになっている原因の多くは、根底に宗教対立が
絡んでいると言えるのではないか。
どの宗教も愛を唱えているはずなのに、何ゆえ対立や争いになるの
か。実は己が信徒以外の者を愚かしい存在と見下し、自派の教えが
全てで、他の宗教や宗派はまちがっていると決めつけているのでは
ないか。
そんな宗教なら信じない方が良い。傍から見ると小異しかない宗派
が骨肉の争いをする、そんな姿をキリストやマホメッドや釈迦は
どう思うのであろうか。
金持ちの信徒からだけではなく、貧乏な信徒からも集めた(中には
巻き上げたの表現がふさわしい宗派もある)巨額の金で、馬鹿でか
いモニュメントを建てたり、こけ脅しのきらびやかな衣装でもった
いぶった説教を垂れる姿を、キリストやモハメッドや釈迦は良しと
するのであろうか。華麗さや形式にこだわることが本来の姿だとは
とても信じられないのである。
しかし華美でない服装の坊さんや神父さんの話には、大いに参考に
なる面もある。否むしろ法話や説教を聞くことは好きな方かも知れ
ない。宗教家の本も色々読ませてもらった。自分を見つめ直す良い
機会だとも思っている。
しかし特定の宗教宗派に属そうとは決して思わない。いろんな宗教
家の話を聞いて取捨選択する立場が何よりである。
宗教学者の山折哲雄氏は、宗教の定義とあるべき宗教の形について、
次のように述べている。
「主にヨーロッパの宗教学者が考えた宗教の定義では、まず教祖が
いるということ、教義や儀礼があること、それから布教活動がある
こと、この三つぐらいを挙げている。
しかしこれからの宗教は、ひょっとすると教祖がいない、教義も
存在しない、そして攻撃的な布教活動もしない、そういう宗教らし
くない宗教が、人の心を掴んでいくようになるかもしれないと。
風のごとく、雲のごとく、人々の間をさすらう宗教的人格が、そ
こはかとなく至るところに居るという、そういう世界ですね。宗教
はそういう所に転換していくべきだと、私は思っているのです。」
山折先生のこの記述を読んで、私は大いに我が意を得た感じを持っ
た。本来宗教の本旨は、形ではなく心にある筈である。
人格を磨くことが大事であって、教祖や教義や儀礼が先ではない筈
である。
幸い日本には「八百万の神」という汎神教的な信仰伝統があり、こ
んな自分の考えも許容してもらえる素地がある。それで良かったと
思っている。
いいかげんは、良い加減が語源だそうである。
(平成25年11月11日記)
SD爺さん