利他主義の事を考えていたら、ふと親鸞を思い出したので書いてみる。
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」:
親鸞の悪人正機説を知る人は多いと思うが、私の理解する処は凡そ以下の様な感じである。
すべからく人間は煩悩一杯であり、「悪人」は煩悩一杯である事を自覚しているが、阿弥陀仏が救おうとする対象は、その様な「悪人」(=人間)そのものである。
一方人間の至らなさを自覚せず自分を「善人」と勘違いする人は始末が悪いが、阿弥陀仏はその「善人」ですら往生させるのだから、ましてや「悪人」が往生出来ない訳はない、という様な教えかと思う(実際は弟子の唯円が歎異抄で伝えたらしいが)。
親鸞はジャックアタリを認めるか?
親鸞の教えを基にすれば、偉そうに利他主義を押し付ける「善人」は嘘っぽくて始末が悪い事になるが、合理的な利己主義としての利他主義は、煩悩を認識した「悪人」としての利他主義と言えるので、親鸞にも認めて貰えるのではなかろうか。