俺はゴッリゴリの「右」である。

決して「右翼団体」みたいな犯罪者だらけの人間のゴミとは欠片も共感しない。

「右翼団体」みたいな社会の底辺とは尖鋭に對立することはあれど、一切の接点は持たない。

そもそも「右翼団体」みたいな馬鹿な連中が、こっち側に立っている方が迷惑である。

ナポレオンの名言に「有能な敵より、無能な味方のほうが恐ろしい」と言う一節があるが、まさしく言い得て妙である。

兎にも角にも、俺はゴッリゴリの「右」であるが、しかし上岡龍太郎氏の「護憲論」には甚く共鳴する。

下記にリンクを貼っておくが、上岡龍太郎氏の護憲論の骨子は「僕は非武装中立です。そりゃあ理想ですよ。でも政治と言うのは崇高な理想を持って挑むものでしょう。侵略を受けて滅びようとも甘んじて受け入れますよ。汚く生き延びるぐらいなら崇高な理想の為に殉死する覚悟です。そんな美学を持って理想を貫くほうが日本人として誇り高いでしょう。」と言う感じだろうか。


https://youtu.be/RhnDGw2bN7I?si=gqKt4OLmZrb5tpcy

この上岡龍太郎氏の護憲論を聴いて、真っ先に思い出したのは皮肉にもゴッリゴリの改憲論者である三島由紀夫の檄文である。


檄文(抜粋)

【政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。共に起つて義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主々義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。】

このように自衛官に蹶起を促し、三島由紀夫は自決した。

護憲派と改憲派と、思想信条は全く違えども、しかし日本人として誇り高く【生命尊重以上の価値】を見出し、その理想のために「死」を覚悟する思想信条は完全に共鳴しているのである。

ここがフニャチン護憲論との決定的な違いである。

もちろんフニャチン改憲派とも違う。

三島由紀夫の著作「行動学入門」の66Pには、226事件を引用し「このように1つの事件が、全く違う思想の立場から評価されることがある。どんなに政治的な事件でも、人間の行動のエネルギーが最高度にほとばしって、人々の記憶に忘れられない印象を残した事件は、イデオロギーを超越して別の行動を突き動かすエネルギーともなる。中国共産党が、皮肉にも226事件の将校たちを〝革命の素晴らしきパイオニア〟と評価しているのが典型例である。」と書いてある。

その三島由紀夫の分析にも甚く共鳴する。

この通りである。

俺は、あまり「右」とか「左」とか、そんなつまらない「色分け」に振り回されない。

「右」にも救いのない馬鹿が多いからな。

兎にも角にも、自民党や維新の一部のゴミみたいに、糞な改憲派の人間性よりも、上岡龍太郎氏の護憲論のほうが遥かに真っ当であると思う。

君側の奸には死を与えよう。