嵐吹き荒れるあの日に、お世話になっている方に誘われ、交流会に参加した。
嵐にも関わらず、20名程の方々が集まり、酔いも手伝って非常に良い会になった。
このような交流会には幾度も参加しているけれど、基本的にはウマが合いそうな人を数名掴まえて、交流を深め、そして繋げていく、というのが自分のスタイル。だけども、表面的な名刺交換だけでその場を取り繕って、その後は音沙汰なし、という例も少なくない。むしろその方が多い。
でも、今回は本当にすべての人と一度は会話をし、そして未来もそのつながりが続いていくと思えるような素晴らしい会だった。
とはいうものの、終盤酒に酔い、記憶もうつろになってきた段階で交流した人は、はっきり言って、「内容曖昧」であった。
そんな「内容曖昧」な方の一人(失礼!)から、数日後、郵便が届いた。宛名を見て、「あー、あんまり話してない人だ」と思いながら、ドキドキしながら封筒を開けると、
「ツキを呼ぶ魔法の言葉」という五日市剛さんの講演筆録が入っていた。
正直一回しか会っていない人からこのような題名のものが送られてくるのが、なんだかちょっと怖い気もして、半信半疑でその薄い本を読み始めた。
読み進めるうちに五日市さんがイスラエルに旅をした際に出会った不思議な老婆との体験談に徐々に引き込まれていき、時間を忘れて読んでしまった。
読み終わった後、最近特に関心が強くなってきた「運命」とか「巡り合い」とか「言霊」という事の大切さを改めて感じるに至った。
世の中、どうしようもないことがたくさんあって、自分の無力さや運の無さを呪いたくなる時もある。でもどんなことにも意味がある。辛いことがあったり、失敗したり、挫けそうになるときもあるけれど、そんなときに「有難う」という言葉で感謝できることの大切さを説いており、それにより、良き方向に進んでいくことができる、という内容だった。
ありがとう、とは不思議な言葉で、難が有る、と読める。若しくは有り難い(有ることが難しい)とも言える。普通だったら、「難が有る」ことに感謝しようとも思えないし、そんな事態の時に感謝できる方が常軌を逸していると思われるかもしれない。この本では、そのような困難があった時にこそ、「ありがとう」と言えること、思えることが自らの「ツキ」を上昇させていく大切なポイントだと強調している。
そういえば、尊敬する経営者の一人である、稲盛和夫さんも著書の中で、困難に直面した時というのは過去の業(ごう)が洗われるとき、だから、その困難に直面したらむしろありがたいと思うべき、といったニュアンスの事を説いている。彼は臨済宗の円福寺で得度(出家)を受けており、経営哲学にも係る考え方が大いに反映されている。カーネギーの思考は現実化する、とかも確かそんな内容だったと思うけど、先ずは変えることができない環境に不平不満を言うのでなく、自らの言葉、態度、意識を変えていくことが大切であり、意味があるということ。
その一歩として、困難にあったときに、「ありがとう」ということ。これはシンプルで実践しやすい方法
自らが思う事を良き言葉で埋め尽くしていき、習慣化し、そして良き自分を形成していくこと。これこそが人生をより良く生きていくために重要なことだと思える。
幸せな人生というのは人それぞれだが、このような心持、習慣を持って人生を歩んでゆけば、後悔しない、素晴らしい人生になるだろうと思う。
更に、やはり感じたのは、この本を送ってくれた方も含めて、お会いした方々、経営者やそれに準じる方々でうまく行っている人というのは、自らの哲学がしっかりしている。自らのビジョン、理念、そして行動原則がはっきりしているから、決断できるし、選択・意思決定がぶれない。そして、何しろポジティブで初対面のコミュニケーションの壁を簡単に乗り越えられる。やはり、このような人々に囲まれているのは気持ちがいいし、自らもたゆまぬ成挑(挑戦なくして成長なし)を心に決め、このような人々に囲まれた人生を送っていきたいと思う。
本を送ってくれた友人、そして、出会えた方々に感謝します。ありがとう。