アノヒトノ鳴キ声

アノヒトノ鳴キ声

あのヒトが泣く事がどうかなくなりますように。

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もうまる一年。
唄うことを辞めてあっという間の一年でした。

約二年前に、酷い裏切りを受けてから
もう同じステージに立つことは二度と
無いのだろうなあ、と思った最後のステージ。


私は少し、人が変わった気がしてる。
昔ほど優しくはなく、けれど昔ほど愚かでもなくなったと感じてる。

甘ったれた人はきっと、何があっても甘ったれだろう。と思わされた。
自分が加害者であろうと、被害者ヅラしたやつもいた。
被害者がいつの間にか自分も加害者になっていることにも気づかずに、己の苦しみだけを強くを訴え続けるやつもいた。

こういうやつらは不思議と今も、私欲を満たすための新たな一歩を進めている。

一見素晴らしいようにも見えるけど

ただ、私が訴えたいのは
心が削られたのはお前たちじゃない。
ということ。


許されることは簡単だろう。
さぞ心が軽くなるだろう。
悔い改めようと新たな気持ちで前へと進めるだろう。
何事も無かったように。


許す側はどうだろうか。
許すことは難しいだろう。
心には塞げないほどの穴がずっと残るだろう。
前へ進むのには他人には想像もつかない程の我慢と努力が必要だろう。


簡単じゃないんだよ。心は。

凄いことだよ、関係ない人を傷つけて、自分だけ立ち直って生きていくって。



全ては視点の違いだけど

もちろんそれぞれの傷はあるんだろうけど

昔の私は、何だとしても私が悪かったとして流していたと思う。

だけど

自分を傷つける人にどうしてそこまで聖人でいられる?

と、思うようになった。

自分が傷を付けられているのに。

どうして自分に傷をつけてくる人の傷を治してあげようと思う?

だから私は、私にとっての不純物は
徹底的に排除するようになった。

そこには「唄うこと」さえも入っていて
好んで唄わなくなった。


これも視点の問題だけど
いい歳こいて、音楽に縋り付くのがみっともなく思えてきた。
(視点を変えれば、1つのことを信念持って貫くことは素晴らしい…などなどとされるんでしょうね)


心内を唄うことはもうできない。
誰かの心に寄り添う唄を唄えるとも思ってない。

今の私の心が酷く醜い。

綺麗なものも今は汚く見える。

心遣いは全て嘘に聞こえる。

人の心に寄り添うふりをするやつらしか見てこなかったとすら言える。

今まで心から語った唄も、日々も
バカバカしい時間とすら思う。

それくらい、心が汚れた。


私は今に耐えられてない。
汚い自分も、まだ温い優しさがある自分も
どちらも耐えれなくて迷子。

汚いならとことん自分の為だけに生きたい。
優しくできるならもう黒は見たくない。


とにかく今は静かに
ただ静かに「普通」を生きたい。


今は一切唄う気にはなれないけど
もしどこかで私が唄う事がまたあれば
少しは元気になったのかな
って思ってください。


今までバンドを、曲を、私を
愛してくれた人、応援してくれた人、
多くの人に伝えきれないくらいの
想いがあることだけは
揺るぎない真実です。

本当にありがとうございました。