
メゾン・マルタン・マルジェラ(Maison Martin Margiela)は、ベルギー出身の同名のファッションデザイナーの制作による、フランス・パリ発のファッションブランド。婦人・紳士向けの既製服をはじめ、各種アクセサリーや香水などを展開している。
創立者にしてそのデザインを長年にわたり担ったマルタン・マルジェラは、デビュー当時こそコレクション等に顔を出していたこともあったようだが、しだいに公の場に姿を見せることはほとんどなくなっていき、その素顔を知る人物はファッション業界関係者でさえ極少数。雑誌のインタビューもFAXで質疑応答するなど、ミステリアスな存在として知られてきた。2008年に引退しており、このブランドとはもう関わっていない。
ジョン・ガリアーノが2015年よりブランド名を“メゾン・マルジェラ”(Maison Margiela)に変更している。

ファッションデザイナーのマルタン・マルジェラが自身のレーベル「メゾン・マルタン・マルジェラ」として
1988年に設立、
翌1989年のパリコレクション(春夏季・プレタポルテ)でデビュー。
2000年に初の店舗を日本の東京に開業。
設立者にしてデザインを担当してきた男性はマルタン・マルジェラ(Martin Margiela)。“アントワープの6人”と呼ばれるデザイナーらとはこの学校の同期にあたり、ゆえにこの6名、すなわちダーク・ビッケンバーグ、アン・ドゥムルメステール、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク、ドリス・ヴァン・ノッテン、ダーク・ヴァン・セーヌ、およびマリナ・イーらと並び称されることがある。この“アントワープの6人”の面々同様、自身も1980年代のパリコレクションで一世を風靡していた「コムデギャルソン」の影響を受けることとなった。

ジャン=ポール・ゴルチエのショーに感銘を受けてゴルチエのアトリエに入ることとなる。以後ゴルチエのもとでデザインアシスタントとして働いた。
1988年に自身のブランド「メゾン・マルタン・マルジェラ」を立ち上げ、パリコレクションでデビュー。1997年から2003年にかけてはファッションブランド「エルメス」のデザイナーも担った。
1997年に撮影された1枚を最後に写真が一切出てこないなど、その経歴を通してミステリアスな人物として知られていた。ブランド「マルタン・マルジェラ」を傘下に置くディーゼル代表者の言によれば、創立20周年にあたる2008年のコレクション以来ブランド「マルタン・マルジェラ」との関わりはなく、引退状態にある。

現在、マルジェラの服や小物には、通称「カレンダータグ」とも呼ばれる0~23までの数字が明記された白地の布が縫い付けられており、このタグからコレクションラインを読み取ることが可能となっている。この表記方法は、メンズラインがコレクションに加わった1999年頃から採用されている。レディースコレクションのみの時は現在のコレクション「1」同様に、何も書かれていない白い布が縫い付けられているだけであった。数字が表す一覧は下記の通り。
0 - 手仕事により、フォルムをつくり直した女性のための服
0 10 - 手仕事により、フォルムをつくり直した男性のための服
1 - 女性のためのコレクション(ラベルは無地で白)
4 - 女性のためのワードローブ
3 - フレグランスのコレクション
8 - アイウェアのコレクション
10 - 男性のためのコレクション
14 - 男性のためのワードローブ
11 - 女性と男性のためのアクセサリーコレクション
12 - ファインジュエリーのコレクション
13 - オブジェ、または出版物
22 - 女性と男性のための靴のコレクション
MM6 - ♀のための服
デザインの方向性としては「反モード」を掲げており、なかでも軍服のリメイク品や中古ジーンズに白ペンキのペイント等の作品は「ポペリズム」(貧困者風)と呼ばれた。それまでの煌びやかで優雅な雰囲気を持つ「モード」とは対極のコレクションとして「デストロイコレクション」とも呼ばれ、以降マルジェラの代名詞ともなった。また過去には、畳むと四角になる服などのデザインでコム・デ・ギャルソンと合同でショーを行ったこともあった。
