「ISSEY MIYAKE」(イッセイ・ミヤケ)は三宅の作り出したブランドである。メンズ・レディス共に手がけており、1992年には香水「ロードゥ イッセイ」(L'EAU D'ISSEY) も発売。セイコーインスツルとコラボレーションした時計・ISSEY MIYAKE WATCHも展開している。

メンズは1993年より、レディースは1999年より、滝沢直己がクリエイティブ・ディレクターを務めた。2007年春夏コレクションをもって滝沢は退任し、2007年の秋冬コレクションから2011年の秋冬コレクションまで、メンズ・レディースともに藤原大がクリエイティブディレクターを担当した。2012年春夏シーズンからは、レディースは宮前義之が、メンズはデザインチームがそれぞれデザインを担当する。2014年春夏シーズンから、メンズは高橋悠介がデザインを担当している。
かつてはイッセイスポーツ、イッセイコレクション、ISSEY MIYAKE WHITE LABEL、ISSEY MIYAKE PERMANENTEといったブランドがあった。その他に三宅が関連するブランドとしては、2006年の秋冬シーズンまで展開していたim productがあった。

イッセイ・ミヤケグループ傘下にはZUCCa・TSUMORI CHISATO、などを展開している株式会社エイネットがある。

三宅は広島県広島市東区に出生。1945年、7歳の時に広島市への原子爆弾投下により被爆。同じく被爆した母を放射能障害のため3年経たないうちに亡くした。この経験から「破壊されてしまうものではなく、創造的で、美しさや喜びをもたらすもの」を考え続けた末、衣服デザインを志向するようになった。
高校卒業後、上京し多摩美術大学図案科に入学。しかしファッションを独立したデザイン分野と認知しない当時の環境に苛立ちパリに渡り、パリ洋裁組合学校「サンディカ」で学ぶ。1966年にギ・ラロッシュのアシスタントとなり、その後ジバンシィでデシナトゥール(完成した服を絵にする仕事)になる。パリモードがオートクチュールからプレタポルテに移行する時代、実用的な衣服をデザインすることで、人の在り方を表現するプレタポルテの若手デザイナーたちは大きなショックを受けた。

日本に帰国後、「三宅デザイン事務所」を設立。翌年2月にはニューヨーク市内のデパートに「イッセイ・ミヤケ」のコーナーを開設した。
2年後、「イッセイ・ミヤケ秋冬コレクション」でパリ・コレクションに初参加。衣服の原点である「一枚の布」で身体を包み、“西洋”でも“東洋”でもない衣服の本質と機能を問う“世界服”を創造。布と身体のコラボレーションというべきスタイルの確立は、「Issey Miyake East Meets West」で集大成された。コンパクトに収納できて着る人の体型を選ばず、皺を気にせず気持ちよく身体にフィットする「プリーツ・プリーズ」はこれらの延長線上にある。
