二人いた天才の残った一人?「L change the WorLd」 | scribble away ... side B

二人いた天才の残った一人?「L change the WorLd」

記念すべき第一回がこれなのがちょっとと思いつつ、
とにかく観に行ってしまったのだからしょうがない…。
初めての記事は「L change the WorLd」。

原作は4巻までしか読んでません。映画も先週だか先々週だかテレビでやった“後編”を見ただけ。だから映画と原作がどのくらい近いのかもわかっていません。なのになぜ劇場に行ったのか?それはまぁ、行きたがった人がいたのですよ。この行きたがった人は「マツケンのL」が気に入ったらしく、原作味読、テレビで映画の前後編を見たわけ。原作は今読んでいます。

「DEATH NOTE」は“死神”と“デスノート”というファンタジックなツールを導入しつつも、話としては“L”と“月”の頭脳戦、心理戦を描こうとしていた物語と解釈しています。二人の天才の物語。または神になれると思った天才と神に興味を持たなかった天才でしょうか。神になれると思った時点で、「天才なのか?」という疑問もありますが、それを言っては物語ができなくなるので。

さて肝心の「L change the WorLd」です。映画としては別につまらなくもなく、特にすごく面白いということもないのですが、2時間半という長さを厭きることなく観ました。
ただ疑問がありまして、この映画一番喜ぶのは誰か?一番満足したのは誰か?この映画を観たがった人はこれでよかったのか?などなど、不思議に思ったわけです。誰に向かって作った映画なのかということですね。
“映画のファン”“原作ファン”“Lのファン”“マツケンのLのファン”“松山ケンイチのファン”“中田秀夫のファン”“オヒョイさんファン”“福田麻由子萌えぇ”と思いつくまま―まぁ他にもいろいろあるのでしょうが―上げてみました。スピンオフといわれる作品の場合、単純にその作品だけを観るといった人は少ないと思います。すると何らかの動機があって観に行くわけですよね?それを上げてみたわけです。

なぜ、このようなことを気にするのかというと、何の映画かわからなかったからなのです。そりゃ、原作も読んでないし映画も通して見ていないのだから、判断する情報が足りてないのかもしれませんけど。ただ、二人の天才の残った一人の話とは思えない。暗号を解くのも次世代の天才(少年)だったから、現代の安楽椅子探偵が本件では本領をあまり見せていない。“L”が“月”に負けない運動神経の持ち主なのもわかっていますが、アクションもそれ程のレベルではない。苦手扱いされているし。そしてホラー。

中田監督は決してホラーだけの監督ではなく、ご本人も「本当に撮りたいものはホラーではない」とおっしゃっているそうです。今回の映画もホラーではなかった。ただホラー的な要素が強く。“天才L”の映画とは思えないのにひきつけ厭きさせなかったのはこのホラー的表現だったのではないかと。でもホラー映画ではない。
この映画で一番印象的エピソードは鶴見辰吾の怪演だったと思うし、良い意味でお約束の展開。このシーンだけで満足かもと(変?)。その点で高嶋弟はまだまだ…。福田麻由子の目つきもすごいけど、正直こんなこと子供にさせる必要はないんじゃないかと思っています。こんなことは大人がすればよい。ほら、ホラー映画の話っぽくなってくるでしょ?こじつけすぎかな。

それで、誰が一番喜んだのかと気になった訳。すでに“L”は原作を超えているので、ファンもいろいろ。観る側の食いつきどころもそれぞれでしょう。で、ファンの人はどうだったのかな-と。

鶴見辰吾のシーンで大満足。でもこれでは邪道といわれるに違いない。“L”の映画としては、正直もう少し天才を観てみたかった。

そういえば昔“悲しき天才”というプロレスラーがいたが、最後に見たのは裁判の記事だったか。どうしているのでしょう(全く関係ない話だな)。
初めてなので頑張りすぎた。次はもっと簡単にします。