続きです。




失敗しても先生に怒られなかったことが、娘にとって青天の霹靂レベルの出来事だったようです。
とてもうれしそうでした。
その後も「宿題間違えちゃったけど、先生怒らなかったよ」と自分に言い聞かせるように何度も言っていました。

絶対失敗しないように、全身全霊で頑張り続けるという方向もアリといえばアリですが、どう考えてもいつか破綻してしまうので、早いうちに失敗する経験ができて本当に良かったです。

悪いのは失敗そのものじゃなくて、失敗を隠したりごまかしたりすることですよね。
失敗そのものは受け入れて、次から改善すればいい。
むしろ失敗したからこそ、より良い在り方を考えることができるのだと思います。




でも、娘のなかでは

「失敗=怒られる=怖い」

という方程式が完全に成立してしまっていたので、ものすごく小さな失敗でも、この世の終わりのように絶望して泣いてしまうのです。

クラスで給食着を共有するのですが、「7番のフックから給食着を取ったのに、中身は10番だった」と泣くし、「掃除中に、濡らさなくていい雑巾を濡らしてしまった」と泣くのです。
「絵の具の筆を乾かしておかないといけなかったのにしまってしまった」と泣いたりね。


娘が小さな失敗を泣きながら報告してくれる度に、めちゃくちゃやらかしてきた自分の失敗経験を披露して娘を安心させられたので、伊達にやらかしてきてないなと自分を誇りに思ったのでした。思うな


恥の多い生涯を送って来ました。

この一文からもう太宰好きすぎる


今思い返しても、我ながら最もありえないなと思うのが、放課後に窓から校長室に忍びこんだことです。


高校の頃、宿題だか課題だかを教室に忘れてきてしまい、提出期限が近かったために、仕方がなく取りに行ったのです。


でももう生徒用の昇降口や教員玄関も全部鍵がかかっていて、入れなかったんですよね。


そこで諦めて帰ればいいのに、斜め上に真面目(?)な私は、外から鍵が開いている窓を探して、窓枠を乗り越えて忍び込んだのでした。

そこがたまたま校長室だったんです。


無事課題をゲットして帰る時には玄関が開いていたので、そこから普通に帰りました。

当時、警備システムもない田舎のゆるい学校だったから許され(てますよね?時効?)たというか見逃されましたが、普通に不法侵入ですからね…


なぜそこまでしたのか、我ながら意味不明です。


夫は、「先生に反抗する」という意志を持ってやらかすタイプだったようなのですが、私は反抗する意思は全くないのに、斜め上の変なことをやらかすタイプでした。


他にも山ほど失敗談があります……




その後も何度か「失敗しちゃったけど先生は怒らなかった」という経験を繰り返したことで、だいぶ学校への抵抗感がなくなってきました。

また、「学校でお友達に会ったらすぐ帰りたい。勉強したくない。ずっと遊んでたい」とも言うので、そもそも勉強すること自体が負担にもなっていたようです。

これも、「たしかに勉強はめんどくさいけど、自分自身のためにやることなんだよ」
ということを何度も話して、少しずつ理解してきたようです。

やればやるだけ娘の力になっていること、昨日より今日、分かることやできることが増えていくこと、失敗したとしても、間違いを正せる機会になるから、とっても良いことなんだよと。



「る」一文字のために、何度も書き直した跡があって、

尊くて泣ける泣き笑い







「どんな大切なものでも、いつか壊れたり無くなったりしてしまうよね。
お金もおうちも、物はいつかなくなる。
奪われてしまうことだってあるかもしれない。

でも娘ちゃんがたくさん学んで心と体にためこんだいろんなことは、絶対なくならないし必ず娘ちゃんの力になってくれるよ。
誰にも奪えない娘ちゃんだけの宝物だよ。
大きくなってからも絶対役に立つからね。

昔の子供は学校にいけなくて、子供だからって軽く扱われて、危ない場所でほんの少しのお金で働かされてたんだよ。
ご飯もなくて、たくさんの子供達が死んじゃうこともあったんだ。

だから、子どものうちは大人になるための準備として、勉強だけをしていられるようにしようって決まったんだよ。
今の日本では、義務教育って言って、子供に勉強させることは大人の義務なんだね。

特に、日本は小さな国で、食べ物も少ないし他の国に買ってもらえる資源もない。
それでも、前には世界で2番目の国になれた。今は4位だけどね。
それは、みんなで一生懸命お勉強して、他の国の人にとって役立つようなことをたくさん考えたからなんだよ。

今も、違う国では大人が始めた戦争に巻き込まれて、勉強ができないどころか命を落とす子ども達がたくさんいるよね。


たくさんの国の人の役に立つようなことをしていれば、もっと仲良くなりたいって思ってもらえて、戦争したくないなって思ってもらえるんだよ。

だから、お勉強は、誰かと比べるためでもなく、無理やりやらされるものでもなく、娘ちゃんが自分のためにやることなんだよ。
でも心と体が元気じゃない時には、無理にやらなくていいんだよ。
子供にとって一番大切なのは、元気でいることだからね。」



みたいなことを、娘が聞いてくれる範囲で話しています。



最近やっと娘が「もっと学校にいたかった」「今日は楽しかった」と言うようになってきて、少し安心しています。

やっと慣れてきたところで、手術入院…と思うと絶望感ハンパないですが、またコツコツやっていきたいと思います。

この件で、スクールカウンセラーとも相談したので、次のブログに書きたいと思います。









余談です〜



テレビを付ければウクライナやパレスチナの、想像を絶する胸が潰れそうなニュースがたくさん飛び込んできます。
そういう社会情勢で、戦争に触れずに娘と会話をするのは難しいです。

先日受診した小児医療センターの待合に、「お、日本の歴史本があるじゃん」と手に取ったらこれしかなくて、

でも、娘がどうしてもこれを読んでほしいと言うので、病院の待ち合いスペースでこの本を読み聞かせました。シュール…
少し読んであげたら、すぐ別の本を選んでましたが。


あと、私自身が親から
「日本は資源のない国だからこそ、頭で勝負しないといけない。日本は人材が最高の資源なんだから」
みたいなことを、それこそ耳タコかっつーくらい聞かされて育ったので、それが身に沁みついているんですよね。

そんな私は六大学を出たものの、結果今は無職なので、なんだかなぁとは思いますが、本人にやる気があり、体調が許す限り、最低限の勉強はしたほうがいいだろうと思ってます。

だから、「人材こそが最高の資源」だったはずの日本で、なんでこんな状況↓が続いてしまっているんだろうと恐ろしく感じています。

公教育が崩壊すれば、国の基礎を失います。
今まさに転落への瀬戸際にある日本は、教育=人材への投資を惜しみなく行うべきだと思うのですが、どうも明るい展望は見られません…

(これは文科省を始めとした国の施策を批判しているのであって、現場の教職員を批判するものではありません。むしろもっと職務環境が改善されてほしい。
当県でも、教員不足対策として、「教員のやりがいPR動画」を作っていて、本当に脱力感しかありません。
もうやりがい搾取はコリゴリだよ)

色々考えないといけないなぁと思っています。