ご無沙汰しています。

中々ハードな日々を送っていたため、更新が滞ってしまいました。

 

さて。3月の段階での手術と医師からの「再発」の言葉ですが、結論から言えば、その時の再発は再発ではありませんでした。

腫瘍が壊死したことを、業界用語的なもので「再発」と呼ぶことがあったため、今回そのような単語を用いて説明してしまった、と言われました。その言葉を受けても腑に落ちないものだったのですが……、とりあえず再発ではなかったとして、退院後は現在にいたるまで、再び抗がん剤と電場治療の療法を合わせた治療を行っておりました。

 

手術による視界の狭窄以外では、抗がん剤を飲んでいる5日間の期間中に起こる体調不良以外では、てんかん発作や嘔吐などもなく過ごせていました。

 

そうなんです。術後の母は、順調とはいかないまでも、以前よりも痺れが良くなっているとのことで、自宅ではそれなりに動けている様子でした。ときおり足を引きずるような仕草はあっても、以前のように車椅子に乗らなければ歩けないだとかもなく動いていたんです。記憶も、時々飛ぶことはあっても過去の話しをしたりしながら、しっかりとした会話が可能でした。

 

 

母が元気に過ごせているということもあり、4月頭に父の誕生日がありましたので、わたしと夫はプレゼントを持って帰省しました。

食欲が少し減退しているという母にケーキを食べさせたり、料理を作ったりして楽しく過ごしました。6月頃には旅行に行きたいね、と計画を立てたり、うまく箸が持てない母にフォークをプレゼントしたりと和やかに過ごしていたのですが……。

 

しかし。

本日、通院日だったのですが。

その折に、正式に再発したとのお言葉をもらいました。

前回摘出した壊死した腫瘍部のすぐ隣に、前回よりも大きな腫瘍ができていたのです。

MRIを見ると、素人目にもはっきりとわかる影が存在していました。

 

来月まで抗がん剤の治療を行い、その後は投薬を終了。以降は経過を見ての判断となると言われました。

母は、ここ数日めまいや不調に悩んでいたようなのですが、気圧なども関係かと思い特に気にしていなかったようなのですが、再発が原因だろうとのことです。今後は、少しでも違和感や不調があった場合は迷わず連絡をくださいとのことでした。

予想以上に、なんともスピーディーに進んでゆくものですね。両親共々、まだ心の整理ができていません。

 

ひとつ問題をクリアする度に、またひとつ大きな問題が降りかかるようです。

正直なところ、放射線による治療も、抗がん剤も、電場治療も何の効果もありませんでした。

治療を行ったので今後は少し良くなるでしょう、という医師の言葉を信じてきましたが、毎回その予測を上回る速さで病状が進行していくので安心することができません。

 

神経膠腫は、予後1年ほどだと言われていると本などで読みましたが、ほんとうにその通りになるのだなあ、奇跡なんてないんだ、と思わされています。

医師からは、東大で行われている治療についての紹介を頂きましたが、順番待ちが多いこと、東京まで通う体力がないことから、そちらはお断りすることとなりそうです。

 

思い出を増やそうと、6月に近場での温泉旅行も計画していたのですが、それもどうなることか……。

覚悟を持って母の病気に向き合ってきたつもりでしたが、急展開に次ぐ急展開の数々に驚きを隠せないとともに、がっかりする気持ち、悲しい気持ちがごちゃまぜになってうまく言葉になりません。

 

また折を見て更新したいと思います。