遅くても翌日には~~なんて言って、ばたばたと日々をこなしていたら翌々日になってしまった。

母はこの頃、放射線治療と抗がん剤の投与がはじまり、少しずつ副作用が出ているようだ。

私が面会に行かない日は日がな一日寝て過ごしているらしい。

これまでを忙しなく過ごしてきた人だから、ただねて過ごすということに途方もない違和感と過ごしづらさを感じているようだが、私としてはできるだけゆっくりと過ごし、養生してほしい限りだ。

 

さて、先日の続きから書いて行こうと思う。

 

 

いざ、大学病院へ

10月3日の火曜日。
母は父が運転する車で、私が住んでいる県の、一番大きな駅前へとやって来た。
待ち合わせ場所に到着した母は元気そうに見えたが、重い病気の可能性があることで少し気が落ちているようにも見える。
私の顔を見て微笑んだものの、どこかぎこちない。
 
 
私は先週、夫と神社へ行って買って来たお守りを母に私、大学病院に行くためにタクシーへと三人で乗った。
 
はじめての大学病院は手続きがとにかく多い。そして人も多い。
母はあらかじめMRIなどの検査を予定してもらっていたので、すぐに検査室へと直行した。事務手続きは私がすることに。
その後、待てど暮らせど先生に呼ばれない地獄の4時間を過ごし、午後、ようやっと診察室へ呼ばれる。
 
そこではじめて担当医と顔を合わせる。病気の名前が明らかになるのだろうとドキドキしていた私たちに、担当医が言った。
 
「MRIの結果を見ても、正式な病名の判断ができませんでした。翌々日の木曜日、手術室を押さえたので、その日に生検手術を行います」
 
そう言って、複数の紙を私たちに手渡した。生検の説明書と、同意書だった。
どうやら母の病気は生検をしなければ正式名称がつけられないらしい。
 
続けて、担当医は母の腫瘍を悪性リンパ腫だと思っているが、念のため放射線医とも相談した所、放射線医は神経膠腫だと思っているため、意見が割れていることを教えてくれた。母の脳にできた腫瘍は、そんなに分かりづらい病気なのだろうか……。
 
不安がよぎる。母はそのまま同意書を書き、入院する手はずとなった。
生検は2日後の木曜日に決まる。慌ただしく母の入院手続きを済ませ、私と父は私の自宅へと帰ることにする。
父は医師の説明が終わり、治療が終わるまでしばらく我が家に滞在することとなった。1週間程休みを取って来たらしい。
 
 

生検~病名判明まで

木曜の生検は滞りなく終わった。
手術後、私のスマホに連絡が入る。
 
「生検は問題なく終わりました。おそらく、きわめて悪性の神経膠腫である確率が高いです。すぐに治療を開始しなければなりません。説明をしたいので今から来れますか?」
 
担当医からの連絡だった。
父は普段実家のある隣県にいるため、万が一の連絡の際は私に一番最初に電話が来るようにしていたのだ。
父と共に急いで病院に行くと、担当医から電話と同じ内容を伝えられる。
そして、これから迅速に放射線と抗がん剤の治療をしなければならない旨を伝えられた。
この後治療に関する説明があると電話では言っていたが、放射線医の予定もありそれは翌日に持ち越されることになる。
 
刻一刻と腫瘍は大きくなっているらしい。早急な治療が必要だが、そのための準備がある。
また、生検の結果が出て、病名が確定しないことにはどうにもならない。
もどかしい思いを抱えつつ、術後で少しぼんやりしていた母と個室で少し面会をし、その日は帰宅した。
 

治療開始~現在に至るまで

生検の翌日、10月6日。
放射線医から治療に関する説明を受けた。
非常にはつらつとした先生で、親身になってくれる良い印象を受ける。
丁寧に質問に答えてもらい、翌週から開始される治療に関し、宜しくお願いしますと父と共に頭を下げる。
 
その日が金曜ということ。土曜から3連休ということもあり、放射線のために必要なマスクの作成は火曜日。
生検の結果が出る木曜から放射線、および抗がん剤の治療が開始されるため、父はその日実家へ帰ることになった。
 
悶々とするような、不安な三連休を終え、火曜、水曜と過ぎていく。
問題の木曜日。生検が終わり、ようやっと病名が告知された。
父は仕事で来られなかったため、私が母と一緒に説明を聞くことに。
 
「膠芽腫」
 
頂いた書類には、そう書かれていた。
最も「そうであってほしくない」と願い続けていた病名が書かれており、私は思わず母の緊張で冷たくなった手を握る。
弱弱しく握り返された感触は今でも忘れられない。
 
膠芽腫に関する説明と質疑応答と終え、午後から放射線と抗がん剤の治療が始まる旨を説明され、その日の予定は終了。
その後は、週に5日の放射線治療を約30回と、毎日の抗がん剤治療が開始され、今に至る。
 
もっと簡潔に説明できればよかったのだが、出来るだけ忘れたくなかったので出来うる範囲で詳しく書いてみた。
次回は、膠芽腫という病名を受けて感じたことなどをつらつらとまとめていこうと思う。
 
記事を書き始めてから、読んで下さる方やフォローしてくださる方がいると知り、勝手に励まされているような、何とも不思議で暖かな気持ちに包まれています。
 
拙い文章を読んで下さりありがとうございます。
似た境遇の方のお役に立てたら嬉しいです。そうでなくとも、備忘録として綴ってまいりますので、改めて、どうぞよろしくお願い申し上げます。