大事なのは変化に応じた適応力であり
変化したものに対して
自分が変化し、対応しなければ成長できないのだ。



「変わっちまったな!」


そりゃー変わりますわ!!



今でもたまーに大学の頃の親友たちから言われる
そのセリフは、
懐かしさと優越感と、少しのウザったさを感じる。


大学で彼女ができてからは、
サークルのいつもの飲み会後のオールもなかなか行かなくなったし
深夜の遊びの誘いも断る事が多くなった。
授業も彼女と受けるようになったし、
昼休みも一緒にいた。
よーするに友達からしたらオレは“ノリ”が悪くなったわけで
以前のオレと彼女が出来てからのオレの変化から、

先述のセリフをよく言われるようになったのである。
当時はそのセリフを言われるたびに
罪悪感のような、申し訳ない気持ちを感じたし、
友達がしだいにオレから離れていくような寂しさも感じたが
だからといって
付き合いたてのホヤホヤの
彼女をほったらかしにはできないし
彼女の事を優先して、行動していたが
それでも友達のノリにもできるだけ応えていたつもりなのだ。


だが、
オレは「変わった」のだ。


しかし
よくよく考えてみれば

「そりゃ変わるわ!!」

それは当たり前のことである。
20年生きてきて「初めて」彼女ができた人間が
何事もなかったかのようにいつもと変わらない生活が
送れるかっつーーの
変わらないほうがおかしいのだ。

というわけで
オレに彼女ができて“変わる”のは必然だったわけで
変わった事は認めるが、
それについてはオレ自身悪く思ってないし
むしろ人間的にかなりの成長もあって
新たな自分を発見できたから
誰に「変わっちまった」って言われても全く気にしてないんだけどね。

まあ彼らも
そこまで本気で言っていたわけじゃなく
“ネタ”的な要素もあったと思うし
今も好きだからこうやって
ブログにも「ネタ」として書けるんだけどね。

ただ真に受けて考えてみることもあったわけだ。


「カップルは暖かく見守る」のが一番だ。

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これお気に入り


「これ、流出したらマズイいなぁ~~」



前々回の記事で最近のプリクラの目を大きくする機能は
やりすぎだろ。と軽く批判的に書いたが

そーいやオレ、
プリクラには結構お世話になってたんだよなー
と、
過去のプリクラを見て思い出した。



高校ぐらいからかな。
当時、休み時間になるとクラスの女子たちが
机の上で各自プリクラをハサミで丁寧に切り分けて
それを友達と交換したり
自分の「プリ帳」に並べて張っているいる姿を見て

オレが幼稚園くらいの頃、「ドラゴンボール」のカードを
大事にファイルに並べていた時の自分の姿を思い出し
女子達がプリクラを“コレクション”しているのが
若干羨ましかったのかもしれない。

女子たちが持っていた“プリ帳”はそれぞれ個性があり、
表紙を可愛くしたり、デコレーションやステッカーなどで
装飾されていて
それぞれの個性を主張するアイテムであった。

今思えば、
女子にとってプリ帳は自分を表す
「ステータス」の一つとなっていたんだと思う。まじで。


彼女がいる男友達だってケータイの電池パックのカバーを外せば
どいつもこいつも必ず、彼女との「チュープリ」が張ってあったし
それも羨ましかった。


プリ帳といえば、肝心なのはその中身であり
女子が友達とプリ交換を繰り返すうちに厚くなったプリ帳には
年齢の近い大勢の男女が写っていて、
男子からしたら「かなり気になる」のは間違いなく、
オレにとったらそれはもう、大・人物図鑑のようであり
簡単には見せてもらえない、謎や秘密の含まれた魅惑の本であった。

初めて女子に頼んで、プリ帳を見せてもらったときは
「エロ本」や「メンエグのエロページ」を読んでいるときと
同じようなドキドキ感で、
まともにプリクラを見れなかったのを覚えている。

いや、決して
“スケベな意味”で見てないので勘違いしないで欲しい。
ただそれほど「プリ帳」が刺激的だったということ。


実際は、何の変哲もない
「青春の思い出アルバム」なのにね


初プリクラは、小3くらいで
地元八幡の、今はなき某「イトーヨーカドー」だったかな。
母の買い物ついでに来て、プリクラ機を見つけ
興味本位で一人で撮ったのを覚えている。

なんで“ひとり”で撮ったのかは謎だ。
それから中学時代は思春期もあってかプリクラなんて
恥ずかしくて無理だった。

そして高校時代、部活帰りに男友達に誘われ
初めて“みんな”で撮った。

どこを見て、どんな顔をすればいいのかもわからない時の
人間の「顔」ほどアホな顔はないぞ。

それからプリクラにハマって、よく友達と撮りに行くようになったかなー
当時、学校帰りに千葉に寄れば
ゲーセンを見つけて
「プリ撮ろーぜー」とみんなで撮っていたのが懐かしい。
ちなみに全員男子である。

ゲーセンのプリクラコーナーなんかは
他校の男子や女子が集まり出会いの場と
なっていてそれも楽しみの一つだったかなー。

そして
プリクラを撮った翌日、休み時間に一緒に撮った友達と
プリクラを眺めていれば、それを見つけたクラスの女子が
「プリ見せてー」と興味を持って話しかけてくれるのであり、

まだ女子には弱く自分から話し掛けれないオレとしては
これは「女子と仲良くなるチャンス」と味をしめたのだ。

今思うと、とても愚かなり。

ただハマっていても集まるプリクラは
「男」だらけであり、女子のプリクラが欲しかったオレは
ついにプリ帳を作ったのだ。

当時からしてみればプリ帳は女子のものであり
男子がプリ帳なんて「タブー」に近く、軽蔑する女子も少なからずいたと思うし
持っている男もなかなかいなかったような、、、。

ただやっぱり
プリ帳を持っていることで女子が
「見せてー」と話しかけてくれたし、プリの交換もできたのだ。

交換したプリクラをお互いのプリ帳に張ることで
そのプリ帳には自分の顔が載り、そのプリ帳を他の友達と見せ合うことで
自分の顔を広める「手段の一つ」と、
そこまでは計算はできなかったが

オレが写っているプリクラを他の女子が見て、
「この人カッコイイーー。紹介してー」
となるオイシイ展開をわずかながら望んでいたが、
残念なことに一度も無かった。

とにかく高校3年間で、オレのプリ帳は厚みを増し
立派な「青春アルバム」となり大事な宝物となったわけである。


しかーし
本人にとったら大事な思い出のプリクラも
最近の芸能界では
「問題の流出画像」となるわけで

うかつにプリクラを交換したりネットに公開出来ない世の中になっている。
それはもちろん芸能界での話で
一般人のオレのプリクラが何かの間違いで世間に流出したって
全くもって“無意味”であるが
オレがこの先、有名人になったとしたら、、、

いや、そもそも有名人になるつもりなのだが、
その時にオレの過去のプリクラが流出してしまったらの事を考えると
“ゾッ”としたわけで
それほど世間的にはよろしくないプリクラが
オレのプリ帳に張ってあったわけだ。

早速このブログに公開しようと思ったが
先の事を考え自粛しよう。

まーー、今更隠す事もないんだけどね。


今も変わらずプリクラは好きだが
数年以上プリクラを撮る機会がなく、
最近久しぶりに撮りたいなーと思った。
まず、一緒に撮る相手がいないんだけどね。

ひとりでいっか。わはははははは


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最近はこの曲をよく聴く

諦められないのだ。

自分の好きな子が知らない男と一緒に歩いていたって、
それはただの男友達の可能性もあるわけで、
その男が彼氏かもしれないけど、彼氏じゃないかもしれないのだ。

もしその二人が腕を組んでいたとしても、
仲の良い兄弟のノリかもしれないのだ。

気になる子についての情報を知っているオレの友達から、

「あの子、彼氏いるらしいよ」と、

聞いたって、自分で直接本人から聞いたり、
自分の目で付き合っているところを見て確認しないと
気がすまないし、認めたくないのだ。

ただ、認めたくないほど気持ちは本気であるのに
行動に移せず、なにも出来ないし
それなのに自信だけはあるところが更に
厄介なトコロだ。

そんな諦めの悪い人間がオレであり
このままでは「大人」としてマズイのは言うまでもない。

自分にとった“何か”について、不可能と判断した時点で
手を引かねばなるまいし
「諦められない」を理由にだらだらと続けていられないのだ。


これから生きていくうちにも何度か訪れるであろう
自分の関係する“何か”から手を引く
もしくは、引かなければならない事情も
諦めのタイミングを自分でコントロールしなければならないのだ。

何事も「引き際が肝心」とよく言うし
引き際の潔さが逆に美しかったりするのだからね。
そうする事で、手を引いた苦い思い出も
多少なりとも「美化」され、自分に降ってくる精神的な負担も軽減されるのだ。


ただ「恋愛」に関してはやっぱり
なかなか諦められないのが事実であり、

追いかけるの大好き、片思い大好き、なオレとしては
いつまでも諦められずに
その感情をだらだら続けてしまい
恋愛における「引き際のタイミング」が見出せず、

次の「新たな恋」をスタートさせる事が出来ないということ。
それに一度自分が気になった、好きになった女子は
「自分のモノにしたい」という思いもあるしね。

まあ、彼氏がいたりと確実に不可能とわかればきっぱり諦められるのに
それを知らないから
わずかな“期待”をしてしまう自分が愚かで情けない。

だから世の中の人間は男女含めて
今のステータス(恋人の有無や恋人募集中など)がわかる
バッヂか何かを付けて生活すればいいのにと
今まで何度思ったことだろう。

てか、そんなオレのような奴のために
某「Facebook」は自分のステータスを公開できるようにしているんだよね。
すごいなぁ。
まあ知りたい子が登録して公開していなければ意味ないけど。
ただ
「Facebook」内でもし自分の好きな子が
ステータスに「交際中」と公開していても
オレはそれだけを信用して諦め手を引けるかといったら
無理だろうな。

やっぱ
本人に直接聞くべきだしそのほうが早いんだろうね。

でもその前に、
気になる子の名前を検索してみようかな。はははは


とにかく自分が今後、
何かに諦めて後悔しない為にもこのブログには
そのつど
思ったり感じた事を記し、読み返す事で
その時の「引き際」が見出せればいいのだ。

そしてオレのような諦められない人のためにも
「公開」せねばならないと思ったのであった。


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