身なりはみずほらしく
何をしているのかも分からないし
目的もなく、ぶらぶら~と街をふらつく
訳の分からないオヤジに話しかけられ

「めんどくさいなー」

と思いつつも、
無視するのも後味悪くなるから嫌だし、、、
かといって、「うんうん。」と適当な相槌を打って
最近の政治はあーだこーだ、ご近所との身の上話や
昔の日本はどうだったなど、

特に興味も無い話に耳を傾け
じいさんの話し相手となるは、やっぱり“めんどくさい”のだ。

ただ本来、俺自身おしゃべり大好きだし
大抵誰とでも、様々な話題について広く深く話す事も得意なほうである。
それに本当の事を言えば、年配の方々とお話しするのも
嫌いではなく、むしろ好きなほうだぞ。

先人の知恵ほど有益なものはないし、
人間として生きてく上でのアドバイスであったり
助言的な意見はありがたいし
聞いといて損はないからね。

ただ、それを聞いて学んだ上で、現代の時代背景と合わせ
独自の変化を加えた“オレなりのやり方”を見出し、
自分が生きる上で有益なものにしたいのだ。


「年上の意見は絶対」だとか、「先生がああ言ってるんだから~」とか
正しいのは充分承知な訳だが
それを「はいはいそうですね。」と簡単に聞き入れるほど
素直な心は持ち合わせていないし
「先人の意見完全コピー人間」にはなりたくないのだ。


時は常に流れ時代は移り変わる。
古いものは退廃し、新しいものが生まれる。
そんな中、
言い方は悪いがいつまでも“古いやり方”のままでは
マズイのは言うまでもない。

ただ素晴らしい知識や歴史、偉業を残してきた先人達には
感謝してるし尊敬もしている。


じゃあなんで
冒頭のじいさんと話した時“めんどくさい”と感じたのかと言えば
オレ自身その時じいさんとおしゃべりするつもりも無かったし
服装も適当で胡散臭いオーラを放っていたからであり
見た目で“めんどくさいじーさん”と決め付けてしまったのだ。

だが


話が終わり、帰り際の最後にじいさんが一言。


「口下手ですまなかったけど、オレみたいなじいさんの話を聞いてくれてありがとう。」


と言われた瞬間、

もっとちゃんと話し相手になればよかったーーー!!

と、後悔したのだ。



One man's fault is another's lesson
人の振り見て我が振り直せ