アンテロープキャニオンとホーシューベンドとモニュメントバレー
KINGです。
アメリカ旅行記その2。
無事にセドナに着いた翌日。
さぁ、セドナを観光…しません。
アンテロープキャニオンとホーシューベンドとモニュメントバレーに行きます!
移動の疲れが残っている可能性があること、このあたりの歴史などを知りたかったから、現地ツアーで。
途中、ガソリンスタンドでホットドック買います。
こーゆのも楽しいよね~。
道中はこんな。
この回のツアーは、アメリカ人カップル、オランダからの一人旅行の女性と我々の、合計6人。
コロラド川が蛇行して、馬の蹄鉄の形に見えることからこの名前が付いたんだって。
で、モニュメントバレー。
↑で俺が撮った写真が
これ。
そのおかげで、こんなところや
映画の撮影ポイントでも有名なところへ行くことができました。
つづく。
アメリカへ(出発)
KINGです。
メールしたとおり、アメリカへ行ってきました。
ふ~みんみたいに、31泊33日(だっけ)くらい行きたかったんだけど、さすがに無理でしょ笑
人の旅行に興味ないだろうけど、まぁ、書いて行きましょうか笑。
その前に。
このブログの前にすえさんが3.11というタイトルのブログをアップしているでしょ。
その中で、KING、すえさん、大澤さんで仙台に行ったとあります。
その帰りの高速道路で、わたし、スピード違反で捕まっています。
覆面でもない、普通の白黒パトカーに。
福島県警おそるべし。
という話w。
3月2日
前日同期の結婚式があって、二日酔いで成田へ到着。
そもそも二日酔いの前に、せっかくの旅行なのに風邪っぴき。2月28日は体調不良で早退したくらい。
で、乗るのはunitedの747-200。
狭いしモニターはないし、もう、寝るしかないよ。
外の景色なんて離陸時と着陸時しか見れないのに、それでも窓側に座ってしまう、子供のピュアな心を持っているKING!!
サンフランシスコ到着。
今回は嫁もいるので、モザイクかけさせていただきました笑。
1時間遅れでSFOからPHXまでのトランジット@united
さすがunited。
コークと行ったら、缶とコップを私の机に置いて、セルフで適当に飲んで的な笑。
西海岸見えたよ。
サンフランシスコのサンマテオ橋っていう長長い橋も見えて、さっそくアメリカンサイズに驚く。
着いたよフェニックス。
AZの州都。
すげー綺麗ね。びっくり。
ここからセドナまでは車で2時間。
お迎えはキャデのCTS。
VIPキブンw
着いたよ~。
BEST WESTERN PLUS Inn of Sedona ってホテル。
きれいなホテルでした。
ものすごく暖房がウルサイけど。
公式サイトから。
2割増しくらいだけど、概ねこんな感じ。
こんな感じ。
残念ながらうちらはここじゃなかったけど、でも、玄関でたら似たような景色でした。
えーと、つづく。
3.11
ずっと前のようにも思うと言う人もいれば、あっという間の3年間だったという人もいるようです。
個人的には、かなり前のような感覚です。
震災直前の3月5-6日には、ぽん太&KINGと一緒に仙台に遊びに行っていました。
その旅行を思い出すと、かなり昔のことで、記憶もかなり失われつつあります。
今日のksnはとても重苦しい雰囲気です。
やはり特別な日だそうです。
職場の人は、当時のことを語り合っていました。
あの時に何をしてたとか、震災後にどんな担当をしていたとか。
避難所で支援物資の管理をしたり、瓦礫の中を安否確認に走り回ったり、体育館に次々に運ばれてくる遺体を受け取ったり。
普段はのんびり仕事をしていますが、当時は、誰も文句を言わず、粉骨砕身、不眠不休で頑張ったそうです。
彼らだって、被災者だし、家族が亡くなった方もいるのに、本当にすごいと思いました。
聞いているだけで涙があふれそうでした。
そういう話をもっと報道してほしいね。
ちょっと救いだったのが、被災者の方も少しずつ記憶が薄れてきているそうです。
震災後の活動を忘れないために毎日の行動をメモしている方がいたのですが、メモを見ても何の事だかわからなくなっている部分もあるそうです。
その方は、「忘れたくても、絶対に忘れることはできないと思ってたけど、人間の記憶なんて、こんなものなんだなぁ。でも、ずっとあの風景や悲しさをそのまま覚えて生きるのも辛いかな。」と笑っていました。
そのとおりだと思います。
忘れるということは、心の傷の治癒なのかもしれませんね。
しかし、津波で失われた街は、ほっておいても治癒されません。
3年経っても、こんなものなのか…と、ここに来た時から思っています。
本当に復興はまだまだ始まったばかりなんです。
3年というのは、ひとつの区切りだと思います。
3年を区切りに支援を終了する事業や制度もたくさんあるようです。
今日のテレビは、震災3年特番が並んでいますが、明日のテレビ欄をみると、震災の文字はほとんどありません。
きっと、すごい勢いで忘れ去られていくのではないかと、不安になります。
被災者が、震災の痛みを忘れることはよいことですが、被災地以外の方が東日本大震災を忘れていくことがとても怖いです。
来月末には、Scratch気仙沼視察団が来る予定ですが、被災地の現状をわかってもらうことが、とても大切だと思っています。
もっと、もっと、被災地の現状を知ってもらいたいので、3年目の3.11の風景を載せてみます。
募金もボランティアもできなくても、忘れないでいることが、被災地支援になるはずです!
俺は、みんなの代表として、現地で頑張ります!
3月11日からのヒカリ(イベント名)
鎮魂・希望・感謝を表す3筋の光が3年目の夜空を照らしていました。
(見えるかな?)





































