何でサメ? | スクラップマン・ファクトリー社

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B級ホラー映画でもっとも目にするモンスターと言えば、やっぱりゾンビだろう。目を覆いたくなるような、行ける死者が群れを成してこっちにやってくるなど想像だに恐ろしい。しかも人間食う、人間食って、数増やす。


もう散々描かれてきたモンスターだが、今もなお色あせない魅力がある。ジョージAロメロのゾンビは再見の価値のある名作だし、リメイク版の「ドーンオブザデッド」も賛否両論ながら、終末的世界観を描ききっている。「バタリアン」もユニークで面白い。時間があればドラマの「ウォーキングデッド」なんかをみてゆっくり過ごすのもいいだろう。


とまぁ、新しい物から古いものまで、様々なゾンビ映画が登場しているが、なんでそんなにゾンビ映画が作られるのか、ちょっと考えてみた。根拠はあまりない。



1:背徳的恐怖感

ゾンビの恐ろしさはグロテスクな死んだ人間が動き出して、人間を食らう事だが、ゾンビ映画を多数作成しているアメリカでは、おそらくもう一つ、日本人が感じるものとは違った恐怖感があるのだと思う。


それが、背徳的恐怖感と私が勝手に呼んでいるものだ。

これは「反キリスト教的な設定・世界観からもたらされる恐怖」という事である。


ゾンビとは「死者が復活する」という事に他ならないが、キリスト教ではこれを神聖な出来事としてとらえている。イエスキリストが死より復活するという話だ。


ゾンビはそれに対し、真っ向から中指を立てている。本来神聖な出来事である死者の復活が、グロテスクで絶望的で、しかも腐ってて人間喰うのである。キリスト教を信じる人からすれば、これは背徳的だし、気分が悪いだろうし、そして恐ろしい。恐ろしいのはホラー映画においては面白いと同義である。



2:安い!早い!簡単!そして奥が深い!

モンスター映画を作る上で一番頭が痛いであろう事が、予算だ。モンスターを作るとなると、やっぱりお金がかかる。これに手を抜くと、如何に恐ろしい設定をつけたところで、しょぼい着ぐるみが、暗闇をウロウロするだけの映画になってしまう。


その点ゾンビは楽だ。とりあえず役者を用意して、ボロボロの服を着せて、血糊ぶっかけて、顔色を適当に青くすれば出来上がり。ね?簡単でしょ?服とメイク変えれば役者を使いまわしてもバレないし。


さらにお金を掛ければ、リアルなゾンビを作る事も出来る。凝ろうと思えば、役者一人一人に、ゾンビ演技指導をして、さらにリアルなゾンビにすることもできる(リアルにゾンビがいるわけないから、何がリアルなゾンビかと聞かれても困るが)。低予算から、こだわり抜いた大作まで様々なニーズに対応できるモンスターだ。



3;古典的であるから

ゾンビ映画の発展に寄与したのは間違いなくアメリカ映画である。そのアメリカのモンスター映画の特徴として、「モンスターに新鮮味がない」というのがある。


これは完全に個人の独断と偏見かもしれないが、ここ最近の大作映画に出てくるモンスターはどれもどこかで見た事のある物が多い。エイリアンとかプレデターなど人気のモンスターもいるにはいるけど、バリエーションに関しては、日本の怪獣映画やホラー映画の方が独創的だ。


これはアメリカにモンスターを作るクリエィテビティが無いというよりも、モンスターを作るに当たり、既存のモンスター像に忠実になろうとしすぎる事があるのではないかと思う。アメリカのモンスターは必ず何かのモデル(蜘蛛とかワニとかゴリラ)が存在し、それを元に作っているというような印象を受ける。


その反面、そう言った古典的なモンスターたちを派手に暴れさせる事は得意だ。見せ方が洗練されているので、モンスターのデザインの陳腐さを感じない。だからこそ、モンスターデザインが成長しないのかもしれないが。


ゾンビが未だに作られている事の理由は、強力な新参のライバルがいない事もあるかもしれない。







以上3つが私が考える『ゾンビ映画が未だに作られる理由』である。中々それっぽく書けているだろうか?

しかし、この件は本記事のメインテーマではない。あくまでも前座。


メインテーマは、タイトルにもある通り


「何でサメ?」である


B級映画でゾンビ同様。いや、もしかしたらゾンビ以上に多く扱われているかもしれないのがサメ映画だ。獰猛なサメが人間を食うのである。想像するだに恐ろしいし。しかもゾンビと違って、こっちは実在の動物というのが、恐怖感を盛り立ててくれる。


そんなサメ映画のおすすめと言えば「ジョーズ」「ディープブルー」「シャークネード」である。以上。それ以外は時間の無駄である。ゾンビ映画であるならば、駄作はあれど名作も多い。だが、サメ映画はこの3作品しか名作が無い。というか視聴に耐える作品が無い。


にも関わらず、ゾンビ映画同様に毎年毎年、新作が出てくるのである。理解しがたい。

ゾンビ映画が作られる理由はわかるが、サメ映画を作る意味が分からない。そんな意味の分からなさを、3つにまとめてみた。



1:海中限定の恐怖感

サメなので、水の中でしか襲ってこない。これは作品を作る上で、大きなハンデである。サメに人を襲わせるためには、必ず人間を水の近くに誘導しなければならないんだから。


しかも一人喰われただけではサメ映画として成り立たない。人間が食われども、食われども、何度でも登場人物たちを水の近くに配置しなければならないのだ。観客に「なんでこいつらサメがいるのわかっているのに水の近くにいるんだ?馬鹿か?」と思われない様に自然な形で!なんだそりゃ!


しかし名作「シャークネード」はこのサメ映画の弱点を「サメが海上で発生したトルネードに巻き込まれたせいで、町中に振ってくる」という無茶な設定で克服した。そこまでしなければ、サメだからこその限定的状況を打破できないのだ。


「もう陸を登ってくるサメでいいじゃないか!」と思うかもしれないが、それではサメにする必要が無くなる。



3:クソ面倒くさい

スピルバーグがジョーズの続編を作らなかった理由が、「サメロボットの不調のせいで何度も撮影が中断した。もう二度とあんな現場はやりたくない」という事だそうな。そう言えばジュラシックパークでも、等身大のティラノ作ったけど結局不調で、全部CGに差し替えたことがありましたな。AIや宇宙戦争の不人気といい、ロボットに好かれない監督だ。


まぁそういう事で、水中のサメをロボットで再現するのはかなり大変らしい。なら、本物のサメをとも思うが、ホオジロザメが人の話を聞くとは思えない。サメがギャラとしてスタッフの右足貰ってったなんてことになったら撮影中止物である。


現代ではCGがあるので、わざわざサメを用意しなくてもいい。でもやはり、合成映像だからサメだけ背景と浮く。



4:そもそもモンスターでもなんでもない

サメはサメである。






脚本段階で扱いにくく、撮影すると安っぽくなり、そもそもモンスターでもなんでもないサメの映画がどうしてこんなに作られるのかがわからない。


目下、人間に関する最大の謎である。