私道を行く!言葉を哲学チックに真剣に考えるの巻
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謝罪

ごめんなさい。

すみません。

申し訳ない。


大抵の事はみんな許してくれる。

と・・・思う。


反面、本当は許してくれてない事も多々ある。

と・・・思う。


大事な事はなんだろうと思考してみました。


たぶん・・・

許して欲しいという謝罪の気持ちを伝える事。

謝罪の気持ちを勝手に忘れない事。

この二点。


以上。

私道 「運命」という言葉について

我思う。故に我有り。


運命について考えた。


何度も何度も考えた事があるけど。

運命とは「元から定められている巡り合わせのこと。」という意味を持つらしい。
生まれたという事はいつかは必ず死ぬ事。
つまりそれは運命である。


私はいわゆる運命的な事柄を信じている。


もちろんただ単純に信じているわけではないが・・・。

まぁ、なぜなら人には選択することが出来るからだ。
目の前にあるりんごを食べるか食べないか。
それを決めることが出来る。

つまり運命は自分が決めることが出来る。
ということになる。
その選択すら運命というのであれば、残念だとは思うが・・・。


ともあれ、人は選択をする事が出来る。
生きるという事は選択の繰り返しであることは明白で、
それはもう、もの凄い数の選択を繰り返す事になるだろう。


それを考えると
「元から定められている巡り合わせ」
などが起こることを想像する事は困難を極めるだろう。


ではなぜ運命的な事柄を信じるのか。

だ。


私は生きているとふと思うのです。
どんな選択をして、どんな生き方をしてきても、


会うべき人とは必ず巡り合い、知るべき事は必ず知り、起こるものは起こるのです。


人生には必ず通らなくてはならない道が存在している。
私の信じる「運命」とはそういうものなのです。


運命的な事柄は
最愛の人との出会いかもしれません。
最愛の人を失う事かもしれません。
人ではなく動物かもしれません。


何か物かもしれません。
思考かもしれません。

それが幸せな事とも限らない。
不幸というものとも限らない。
何気ない日常にしかすぎないかもしれない。


しかし
その日、その時、その瞬間。
私は運命を辿るのです。


そしていつか迎える生まれた時に決められた
全ての生命に平等である「死」を迎えた時。

自分の役割を知るのではないでしょうか。
そうであって欲しいと・・・私は願います。


会うべき人と会い
知るべき事を知り
起こる事と向き合い

私は生きているのです。


もちろん。

そもそもの論点は信じるかどうかですね。


私的哲学を語ります

さてさて、まずはお越しいただきましてありがとうございます。


こちらで私的哲学を書きます。


定期的に何かの刺激を受けると、頭を抱えて考え事をする私です。


せっかく考えたのに後日忘れる。


なんてことが多々あるので・・・


記録していこうと思いBlog開始。


反論も共感も特に目指してません。


私的哲学ですので、勝手に突き進もうと思います。


よろしければたまに遊びに来てやってください。


ではでは。