今日はポツダム宣言受託を決めた最後の御前会議の日。
終戦はなんと1年以上前から模索していたにも関わらず、お偉いさん達は本音も、戦線の真実も語らぬまま、事態はそのまま進行。
1944年以内に戦争を終わらせていれば、戦没者の九割が死なずにすんだかもしれない。
今に続く日本人の「決断できない」悪癖が、犠牲者を上積みしてしまった。
仲介役を頼んだソ連に裏切ららたのが大きな痛手となりました。
ソ連は終戦後も北海道が欲しかったのか、戦闘をやめなかった。
降伏文書の調印は9月2日に行われました。ソビエト軍の攻撃は終戦後もつづき、満州や樺太、千島列島では、多くの人々が犠牲となりました。そして海外には陸海の将兵367万人と、民間人321万人が残されていました。
戦況が悪化するに従い、軍部の発表もグダグダに。
嘘がまかり通ってしまったがゆえに、沢山の人が命を失うという悲劇が起こった。
日本の戦死者の九割は戦争最後の年に集中していて、その七割は戦死ではなく、なんと病死。
つまり伸ばし過ぎた戦線に、物資の補給が間に合わず、病死している。。。
物資補給の船も沢山沈没させられてしまっているので、致し方ない部分もあるのですが。。。
玉ちゃんから。
病死者に関しては、六割という説もあり。
興味深かったので、それぞれのインタビュー動画があるこちらも貼っておきます。
今回は、母が叔母から借りてきて、なぜか実家にあったこちらの書を紹介。
お盆の時期、しばし英霊達に想いを馳せてみたいと思います。
絵が可愛らしいのが救いですが、戦闘シーンはやはり残酷。。。
内容の詳細はWikiに譲ります。
ペリリュー島で戦闘に参加し、物資・食料補給が届かない中、命がけで敵から食料を奪い取ったりしながら戦い抜き、戦争終結を知らずに1年半もペリリュー島で立てこもっていたが、自ら米軍に投降し、他の生き残りも説得して日本に戻った、漫画家志望の功績係の話です。
作者の武田さんが同じ学年なことに衝撃。
団塊ジュニアの最後の世代の私たちが、戦地で実際戦った祖父の世代を見てきた最後の世代。
つまり最後の戦後世代です。
私がゆとり世代以下に感じる違和感は、戦後を知らないことに端を発しているのかもしれない。
実際の米軍との泥沼の戦線についてはこちら。
戦争が終わっているのではないか?と思いつつも、投降できなかったペリリュー島の兵士たちですが、これが原因でした。
漫画の主人公も茨城の水戸出身でしたが、実際の生存者の方のインタビューが、茨城県の茨城町のHPにありました。
https://www.town.ibaraki.lg.jp/manage/contents/upload/5fd44ba880f98.pdf
読後の感想としては、「私がこの状況の一兵卒だったら、戦線離脱して逃亡兵になっていたかもしれない」です。
なので途中で戦線離脱し、一人でサバイブする小杉伍長に共感してしまいました。
職業軍人ならいざ知らず、殆どは徴兵された20代の若者。
教育や、当時の社会の雰囲気からくる同調圧は、現代の比ではなかったと思います。
食料補給も届かないなか、米軍とは圧倒的火薬量・火器類の量の差があり、合理的に判断したら勝算はまずない。
陸軍の上層部からのペリリュー島の兵士達に期待されていたことは、
ここに配置されたのは敵を撃退するためでなく「とりあえず殺れるだけ殺って死んでくれ」ということだった
つまり捨て駒です。
理不尽すぎる命令がまかり通ったのが、戦争という狂った時代。
「生きて捕虜の辱めを受けず」は格好いいのですが、民間人を多数徴兵したのですから、彼らには投降を認めてあげても良かったのではと思います。。。
何故フィリピンに近いペリリュー島が激戦地区になったかというと、フィリピンにはあの金塊があったから。
我々庶民には全く縁もゆかりもないあの金塊のために、一体何百万人の兵士が犠牲になったのか。。。
そう思うと、私はつい高橋五郎さんに想いを馳せてしまいます。
上皇陛下の代の2015年になり、やっと皇室は慰霊にたどり着く。
もっと早く行けなかったのですかね?
何年過ぎても未だ彷徨う戦没者の霊がいる限り、皇室には太平洋の島々への慰霊の訪問を続けていただきたいと、切に願います。
私の祖父は海軍に従事していて、広島に原爆が落ちたあの日に広島にいて、遺体の処理をしています。
それは言語を絶する体験だった。
学徒出陣した祖父の弟は陸軍に従事し、戦後シベリアに抑留され、そのまま帰らぬ人となりました。
遺骨は帰ってきておらず、いまでもシベリアの大地で眠っています。
曾祖父が出陣時に持たせようとした軍刀は、仕上げが間に合わず、今でも実家の蔵に置いてあります。
戦地やシベリアには、まだ回収されない遺骨が沢山眠っている。
せめて明日8/15くらいは、亡くなった英霊達に想いを馳せていただければと。
本日も読んでいただき、ありがとうございました。