今回はこちらの漫画を元に話を進めます。

以前密教僧漫画でも紹介した、漫画家の永久保さんの別の作品から。

 

 

 

 

今日はついに三大怨霊のもう一柱の平将門公に触れます。

今後も取り上げることがあると思いますが、頭出しということで。

中学生の時に、「朝の読書の時間」があったのですね。

その時間で読んだ本で、今でも印象に残っているのが「平将門」と「真田幸村」の人物伝でした。

権力に楯突く将門公が本当に格好良くて、大ファンでした(笑)。

私は北関東出身なのでいまだに将門公ファンです(笑)。

あのまま京都にいる藤原氏をやってしまって欲しかったwwwww

 

 

話が逸れますが、この巻には、東西冷戦中にアメリカに依頼された日本が、ミグ戦闘機を捕まえるエピソードが載ってます。

永久保さんの密教僧エピソードシリーズを、天台密教の話だと勘違いしてました。

真言密教の話ですね。

法力のある真言密教の阿闍梨がミグ戦闘機を日本に引っ張ってくるエピソードです。

物理学者の保江先生が動画で話していたのを見かけたのですが、見つけられなかった。。。

 

 

本題に戻ります。

 

将門公と道真公。

日本の三大怨霊と言われるお三方の中のお二人です。

冒頭で紹介した漫画には、このお二方の霊的なつながりを書いたエピソードがあるので、こちらから内容を紹介させていただきます。

 

 

 

話は大手町の将門公の首塚の近くにある大手会社のビルの除霊を、主人公が依頼されるところから始まります。

ビルに巣食う怨霊を鎮めるために出てくるのが、神田明神である将門公の御霊。

将門公を拝むには、必ずセットで天神様、つまり道真公を拝むのだそうです。

なのでこの二柱の神は神社でセットで祀られていることが多い。

 

 

当時関東を治めていた藤原氏に反旗を翻し、940年に新皇を名乗る。

日高見国の中心だった常陸に国を造ったというのが興味深いです。

 

八幡神菅原道真の霊の神託が降ったことにより、「新皇」を自称するようになり、独自に除目を行い岩井(茨城県坂東市)に政庁を置いた。

 

とあります。

漫画によれば、「将門さんは新皇になったときその位官を菅原道真公に譲られた」ということになっているそうです。

将門公は生前は道真公を崇敬していたそうです。

さらに将門公と道真公の生と死の年月が近いので、将門公は道真公の生まれ変わりなのでは?という学者もいるのです。

 

https://www.touken-world.jp/tips/17530/

 

歴史学者の織田完之(おだかんし)によって書かれた1907年(明治40年)発行の「平将門故蹟考」(たいらのまさかどこせきかんが)には、「菅原道真は延喜三年死す、将門此の歳に生る故に菅公の再生という評あり」と記されている。道真が大宰府で亡くなった903年(延喜3年)に平将門は生まれたことから、将門は道真の生まれ変わりだと言うのだ。

 

さらに二人の家系は縁が深い。

道真公を祀る神社を将門公の親戚が建立しています。

 

道真は晩年、三男、菅原景行(すがわらのかげゆき)に「われ死なば骨を背負うて諸国を遍歴せよ。自ら重うして動かざるあらば、地の勝景我意を得たるを知り、即ち墓を築くべし」と遺言を残して亡くなった。

景行はその言葉通り、諸国を巡り、926年(延長4年)に常陸介(常陸国の地方公務員)として赴任し、この地が道真を葬るべき場所と悟った。そしてこの地は平家の本拠地でもあり、菅原家と平家は親交を持つようになったのだろう。

現在、茨城県常総市大生郷町にある大生郷天満宮(おおのごうてんまんぐう)は、道真の遺骨を祀るために、景行と将門の叔父の平良兼(たいらのよしかね)が創建したとされている。

また千代田区九段北にある築土神社には将門と道真がともに祀られている。

 

 

道真公の天神様の「天」は天部の神様という意味。

道真公の神名は「天満大自在天神」。

天満大自在天神は雷を操るインドのシバ神が集合した神様。

 

 

主人公によれば、天神様を拝むと、大自在天よりも聖天さまを感じるそうです。

道真公は生前聖天さまを拝んでいた。

道真公も聖天さまが好きだったんですねぇ。

 

 

 

 

この三大怨霊の発生に関わっているのが藤原氏。

怨霊製造マシーンの藤原氏ですが、聞き捨てならぬ説が小名木先生から披露されました。

 

 

先週の土曜日に藤原氏をディスっていたのですが(笑)、その時指摘されて「ハッ」と気づきました。。。

そういえば母方が「藤」がつく姓だった。。。

(「姓」は男へんではなく女へんなんですね。女から生まれるで「姓」)

我ながら不覚の極み。。。

藤原氏の祖である中臣鎌足に関しては、本当に日本人だったのか疑わしいのですが、もはや飛鳥時代まで遡って現代まで下ってくれば、私も鎌足の遠い遠い遠ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい親戚の可能性もあるわけで。。。

 

 

鎌足は中臣氏に背乗りした、と今でも考えているのは変わりません。

藤原氏をディスるのも、そろそろ潮時なのかと思いますが、近衛文麿について書けていないので、まだまだ藤原氏をディスるシリーズは続きますwww