先々週は、実は以下の「夢をかなえるゾウ」シリーズを読んでました。

 

爆笑して、そして泣いて神の慈悲を知る。

アニメでは1作目を見ていたのですが、本で読むのは初めてでした。

 

以下、巷の霊的存在のガネーシャではなく、「夢をかなえるゾウ」シリーズのガネーシャであることを念頭に置いてよんでいただければと。

 

「財を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上なり」

 

 

人を育てる神、ガネーシャ。

教え子に課題をこなさせることで、夢を実現させる神様。

人が望むものをただ与えるのは簡単だが、育てて自活できるように導くには、教える側の度量と器と経験が必要。

(人が望むものを簡単に与える存在は、交換条件の霊的存在で、どんな請求書が後から届くか分からないので、とても危険)

交換条件でなく、人を育てて望むものを自分で掴めるように育てるガネーシャは、正神なのです。

 

 

では本の紹介に入ります。

 

インドの神様だけあって、性格はかなり香ばしく、かつスパイシー。

ハマるとクセになる。

そしてインドの神様なのに、なぜか大阪弁。

神様なのに作れる料理はカレーのみwww

かなり押し付けがましく、ワガママな性格でもあるのですが、その破綻した人格(神格?)がパンチが効いていて最高に面白いwwwww

 

 

こちらのシリーズは起業したい人向けのシリーズ。

商売で本当に成功するとは?

そしてその心構えとは?を描いてます。

主人公が結婚を夢見る女性なので、自分を変えたいと思っている女性にも読んでもらいたいシリーズでもある。

 

黒ガネーシャを装った稲荷との対決が最大の山場。

途中、神力を奪われてただの子象になってしまうガネーシャと、ガネーシャを通訳する釈迦の掛け合いが面白い(笑)。

一味と七味を混ぜて八味を作ろうとしたガネーシャには爆笑しましたwwwww

詳細はamazonレビューに譲ります(笑)。

 


なんていうか、ガネーシャの教えは地道なんですよね。

奇異が一切ない。

人として当たり前、成功するには当たり前のことを、ただただ実践させる。

実践させることで、教え子を変えてゆく。

 

ガネーシャはあくまでも顧客目線、人を喜ばせるという視点からブレないが、対する稲荷は、人を騙して儲ける主義。

でもその稲荷の教えは、現在では「成功の法則」として、結構一般化してしまってます。

 

本書の内容ではないのですが、「儲ける」という文字は分解すると「信者」。

「信じている者」からお金を取る行為が「儲ける」であるのです。

 

予定調和のハッピーエンドに向かいそうになるが、そうはならずに、それとは違った形で主人公の夢が叶うのが現実的だなぁ、と思いました。

 

小説としても面白いです。

 

 

シリーズ4作目。

こちらは本当に深かった。

ガネーシャと死神と釈迦の豪華三位一体で繰り広げられる本編。

 

最初からとばすガネーシャ。

縄文杉のネタには爆笑しましたwww

それと、

「せやな」

「せやで」

「せやろな」

「せやせや」

「せやねん」

の「せや」の全バリエーションを知れたのも(笑)。

 

大どんでん返しもあり、皆さんに是非読んでもらいたいので、詳細を書くことは控えます。

冒頭のガネーシャの言葉は耳に痛いですね。

 

「結局、人間の夢なんて『お金持ちになりたい』とか『魅力的な異性と付き合いたい』とか『自分の名前が残るような仕事がしたい』とか、そんなんばっかで、全然バラエティに富んでへんやん」

 

私も願望実現系に身を置いていますので、ガネーシャの気持ちは痛いほど分かる。

付け加えることがあるとすれば、男性はお金や仕事での成功、女性は魅力的なパートナーを求める傾向がある。

願望にも性差があるということくらいでしょうか。

 

今回特に興味深かったのは、死を目前にして、「夢をかなえる」の真逆のことを主人公にやらせる。

つまりもう時間がないので「夢を諦める」ことを実践させるのです。

歴史上の偉人と持ち上げられる人たちは、直近のたった400年間の人々ですが、スティーブ・ジョブスを例に挙げるまでもなく、彼らは夢半ばでこの世を去っている。

 

 

 

夢を叶えるとは、頭の中で想像した完璧な状態の自分になろうとすること。

当然人間は完璧などにはなれないので、現実とのギャップにイライラし苦しむことになる。

「夢」とは何かを強く求めることであり、その状態でない今の自分を同時に潜在的に否定している。

(「最高の人生」を求めることも、潜在的に今の人生を否定している。)

 

願望実現とは、ある意味「特別な自分」になろうとすることであって、実はそれこそが全体(宇宙)からの分離であるということ。

加えて、冒頭にあげた「お金持ちになりたい」「人から羨ましがられたい」「大きな仕事をして名を残したい」等の夢は、ごくごく最近になって人類が作り出した「夢」であること。

より「特別」を設定すれば、それを手にした時の快感はより一層強いものになる。

それを目指すことは悪いことではないが、目指すことで一層分離を強めるということなのです。

叶えられない夢を見て、人は自分で苦しみを生み出す。

全体から自分を切り離して世界を認識するから、他人に認められたり、マウントしたり、人が持っていないものを求める。

 

なので、苦しむ主人公に、ガネーシャはこの世が物質の粒子でできていて、人間もそれで構成されており、自他の境界が曖昧であることを映像として見せるシーンがあります(万物である素粒子に霊を見出す、王族の宇宙観そのままです)。

死んで人は水や木や土になる、と。

世界を構成している物質と、自分を構成している物質は同じ物であるのに、人間にはそう感じられない。

世界と自分がつながっていて、本当は一つであることを感じられないのが人間であると。

ここを腑に落とすのが、今の私の目指している悟りです。

 

私はこう理解しました。

「世界や自分を分解して一つ一つの粒子に行き着くなら、その一つ一つの粒子に『特別』な粒子は存在するだろうか?

いや、存在しない。

ならば、特別でない粒子たちで構成されたこの世に、『特別』は本当は存在しない。

人間の概念にしか存在しない」と。

 

作者は人は何故、世界から分離した存在なのかの答えの一つを提示しています。

是非本作品を読んで、ご自身で答えを確認してみてください。

 

 

五行の話を読んでいて、なぜか無性に懐かしくなりました。

霊体を持っている限り転生は続きます。

(宇宙人に転生するということは、霊体は無くなっていないということです)

私はむしろ霊体すらなくし、五行(木火土金水)に帰りたい派。

 

 

ワガママで迷惑な側面もあるガネーシャですが、愛情深い。

決して見捨てない。

 

最初は気づかなかったけど、今読み返してみて、富士山でなぜガネーシャがゴネたのか。。。

釈迦の説法の時間を作った側面もあるのですが、自分を背負って主人公に山を登らせることを善行の起点として、奥さんに雲海を見せるためだったのではないか、と。。。

人の因果は複雑に入り組んでいて、生きている間は、人間にはその因果の詳細を理解するこができない。

しかし神ならば。。。

 

4を読んで、ますますガネーシャ好きになってしまいましたね。

人間を人(霊止)に進化させるのは、「慈悲・慈愛」なのだと。

 

先週の伊勢白山道さんのブログもすごかった。

こちらも「慈悲・慈愛」について書かれている。

あまりの仕事量の多さにやさぐれて、寿司屋で昼から酒を飲みながら読んでいたのですが(笑)、怨霊担当の私にはガッツリ響いた内容でした。

 

 

私もシベリアの遺骨収集に参加できるならしたい人です。

 

慈悲・慈愛(良心)を理解しない人には、私はいわゆるアセンションはないと思ってます。

だって、それが一霊四魂の一霊だから。

 

何故ならば、これからは「弥勒の世」。

一人一人が菩薩に上がる時代なのです。

菩薩は人を見捨てますか???

否。

 

 

久しぶりにこの歌を聴きたくなりましたので、貼っておきます。

中島みゆき『誕生』

 

 

神歌なのにあまり有名じゃない歌なんですよね。

 

 

最後に夢を叶えたい人向けに。

 

どんな大きな夢や目標も、今すぐ行動に移せるくらいに小さく分けて、一つ一つ計画を立てて実行してゆけば、夢は叶うらしい。

まず、細分化して行動計画書に落として、最初のステップを踏み、そして一歩一歩進んでいくのが大切ですね。

そのためには、あの大谷選手も作成していたマンダラチャートがおすすめです。

年始の記事を再度貼って終わりにします。

 

 

ガネーシャもこう言っています。